昨日は、岡山県立美術館まで、ベン・シャーンを観に行ってきた。


20年前に、大阪の大丸ミュージアムで催されていたベン・シャーン展に、たまたま時間潰しで入って、
ずっとずっと、忘れていて、本棚にしまわれていた図録。


ここ2~3年、何度も取り出して見ていた。

20年前の、原画を目にした時の記憶はまったくなく
アタシのシャーンの記憶は、この1冊の図録だけだった。





実際に美術館に並んだ作品を観ると、
作品の大きさはもちろん、絵の具の厚み、紙のシワ、レタリングのためにうっすら引かれた案内線。

今、間違いなくそのものを観ていると云う事実に、ウルウルしてしまった。

また、「あー、なんで自分はメガネなんだろう。コレではレンズ越しで観ているのではないか。」と、悔しくて違った意味でウルウルしてしまった。


美術館に入って、たくさんの作品に囲まれたとき、「待っていましたよ」と、作品たちに声をかけられたような、親密で温かな感覚になった。





シャーンは(今回の展覧会のサブタイトルにもなっているが)、
写真、絵画、グラフィック・アートを跨いだ、クロスメディア・アーティストと呼ばれている。


自分の表現(写真でも絵画でも、グラフィックでも)を通して、『伝える』と、いうことにとても力を注いでいたんだろうなと、勝手に思った。

また、どのように描くか?より、
何を描くか?どうして伝えるか?。が大事だったんだろうなと、勝手に思った。


ちょっと、斜めから世の中を見て、
照れ隠しから、ユーモアというオブラートにくるんだユーモラスな作品。

でも、彼は心の中で、沸々と怒っていたのだろうな。
そして、平和を求め続けていたんだろうな。


まだアタシが生まれる前、アメリカのビキニ環礁で行われた水爆実験。

被爆した日本の漁船『ラッキードラゴン(第5福龍丸)事件』を取り上げた作品が、展示の締めくくりとなっていた。


あと一週間で岡山の展覧会は終わり。
最後は福島での展示で、ベン・シャーン展は締めくくられる。


今、福島で、これらの作品を観ると云うのは、とても意味深いものだと思う。


いえ、岡山でも 今観られたことは、アタシにって、とても大切なことだったのは 云うまでもない。



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