ゴールデンウィークが明けたら もう7日になっていました
このような俳句はもう 古い 古い
四枚目を捲ればもはや皐月かな
アマンバ
今は大きなカレンダーのない家もあるとか…
みなスマホに予定を記入しているからとか…
風薫る飛行機雲の蛇行して
アマンバ
真っ青な空なら真っ直ぐの飛行機雲が似合うのに この日はやけにぐにゃぐにゃしていました
春の風に酔っているようでした
夏川草介・著
小学館文庫
懐かしい本の世界にまた戻りました
今回は 「0 (ぜろ)」ということで 今まで読んだ3冊の登場人物を何年か前に遡って書いてあります
「ああ こんなふうに生きていたんだ」
と 興味深く読みました
中でも特に心に響いたのは 『神様のカルテ』という意味の由縁です
それを 「365日24時間 」 診療する本庄病院に勤務することになり 初めての救急患者 國枝さんを診察し 大きな病気を見つけた 栗原一止と 大先輩の大狸先生(あだ名)の会話から知りました
「人間にはな、神様のカルテってものがあるんだ」
「なんですか?」
「神様がそれぞれの人間に書いたカルテってもんがある。俺たち医者はその神様のカルテをなぞっているだけの存在なんだ」
大狸先生はまだ続けます
「……栗ちゃんがいくらその真面目な頭を振り絞って考えたって、國枝さんの人生は大きく変わることはない。國枝さんには國枝さんのために神様が書いたカルテってのが、もともとあるんだよ。そいつを書き換えることは、人間にはできないんだ」
「それは……、しかしずいぶんと無力な話ではないですか」
「その通りだ」
栗原は では自分たち医者はどうすればいいのかと訊ねます
それを考えるのが医者の仕事という返事
さらに
「大切なことはな、栗ちゃん。命に対して傲慢にならねえことだ。……限られた命の中で何ができるかを真剣に考えるってことだ」
「その意味じゃ、栗ちゃんはいい仕事をしたと思うぜ」
栗原は勤務時間外も 娘の結婚式までは生きていてその姿を見たいという國枝さんの家を訪れて話相手になったり 病状を診たりしていたのです
他にも書ききれないほどに この1冊には夏川氏の「生きる」ことへの大切な言葉が詰まっています
それらは すぐに何かを諦めるのではなく 粘り強く周りの人に心を配り その生き方を見つめることに繋がっていると感じました
それが優しさかなあと思います
また 先の3冊の底辺には その思いが流れていたのだと強く思いました
人はみな 孤独を生きていますが 『神様のカルテ』シリーズを読むと 孤独のなかにも その人らしい生き方また死に方があるのだと感じさせられます
さて後1冊は 『新章 神様のカルテ』です
栗原一止は 大病院に移りどのように医師として生きていくのでしょう
楽しみです
近所の方が芍薬の花をくださいました
この花は不思議です
三輪だけで 部屋じゅうがぱーっと華やかになります
最後まで読んでいただきありがとうございます