今日は冷たい風が吹いています



昨日いただいたメッセージの温もりを忘れないよう

また  こうしてブログを書いています

ありがとうございますおねがい





前回の読書記録のときに  少し紹介させていただいた  近藤勝重氏の本を読みました






                                  近藤勝重・著
                                  幻冬舎









たくさんのコラムからなる一冊です




どの文章もとても静かです
それは 凹凸を感じさせない柔らかさがあるからかなと思います
難解な語句を避け  ご自分の思いやエピソードをさりげなく入れながら話を進めていかれます
文章の向こうで 癒しの音楽が奏でられているよう



でも  内容はかなりシリアスです

生きること
死ぬこと
老いること
哀しみ
今の世への不安

………




それらをこんなふうに書いていけば気持ちが楽になるのかと感じました
どの文章でも とりわけ最後の一行に  氏の気持ちが凝縮されているようでした




たくさんのなかで  1つ   写してみます
1番気に入ったコラムです
写しながら  学びたいと思います





夜の公園にて

春先の肌寒い公園で、老犬をじっと抱きかかえベンチに座っている婦人をみかけた。ぼくの夜間の散歩コースに入っている住宅街の公園なので、その日以来、婦人と犬の姿をしばしば目にすることになった。
   婦人とは、そのうち短い挨拶をかわすようになり、犬はすでに病んでいて長くはないことを知った。その後ずっと出会うこともなくなっていたが、年が変わって木々がほつほつと芽をつけてきたころ、公園のベンチにぽつんと婦人の姿があった。
    近寄って声をかけると「ああ……今晩は」と応えてくれた。ひざに犬はいなかった。婦人は犬のことは何も言わず、ぼくも犬の死を察して何も聞かず、その場を去った。
    先夜、ぼくは公園のベンチに腰を下ろした。ごく自然に婦人のことが思い出された。ここに座って、犬とどんな会話を交わしていたのだろう。いや、犬を相手に会話というのはおかしいかな。そう思ったところで、物言わぬ犬がこれまでに倍していとおしく思えた。
    そうそう、死去の報で本棚から取り出した長田弘氏の最後の詩集『奇跡ーミラクルー』の「幼い子は微笑む」の一節を思い浮かべたのも、その時のことだった。


人は、ことばを覚えて、幸福を失う。/そして、覚えたことばと/おなじだけの悲しみを知るものになる。/まだことばを知らないので、幼い子は微笑む。/微笑むことしか知らないので、幼い子は微笑む(略)


    ぼくは目をつむって耳を澄ませた。風も木々も草花も、ぶらんこも鉄棒もすべり台も、公園内のことごとくが言葉をもたない。けれども、どんな雄弁よりも意味をもつ沈黙ー。
    物言わぬものらが語らずして語っているその声が、公園のベンチで静かに時間を過ごす婦人にはありがたかったことか。その胸中が少し分かってくると、そうかと独り合点した。婦人にとってはあの老犬は変わらぬ日々の営みの中でも、微笑みを忘れない永遠の子であったのだ、と。











氏は  心がうちを向くときは  外に出て歩くのがいいと書いています
今の世への憂いやら憤りに  うつうつとなる自分に  自然は安らぎをくれると




また笑うことがなくても   腹式呼吸をしたり   わざと声に出してワッハッハと笑ったりしながら   自律神経を整えてみえるそうです




人は老いるほどに  過去が近くなっていくとも



死(それはいつか誰にもわからない)までの残されたときを  一日一日を大切に
一日に1つ  ふっと笑えることを見つけて過ごすように




すてきな文章のなかで  いろいろな知恵を教えていただけたように思います





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この本は先日の本を出すときに  本棚で見つけました
そう言えば   1月の初め   本棚の本を全部出し   種類別に整理したのです
知り合いのアドバイスをもらって😌


そのなかの『エッセイコーナー』で私を待っていてくれました
まだいろいろなコーナーがありますよ






山茶花の白き木肌に歩の止まり
                                           アマンバ







昨日   上の本を読んだあと散歩をしました
山茶花の木がこんなに白いとは  今まで気づきませんでした
花にばかり目をやっていたのです