毎日快晴です
済みきった空気と柔らかい陽の光は  もう少し続いてくれるのでしょうか








                                  石田 千 ・著
                                  港の人・出版




エッセイ集を久しぶりに読みました
石田千さんの暮らしは   一つひとつが丁寧だと感じました



それは  衣食住や人間関係にまつわる小さな出来事を愛おしんで書いてあるからだろうと思います



けれど  その愛おしさを愛おしいと言葉に出すのではなく  書きたい対象から少し距離を置いて  さっぱりと書いてあります



そこが胆だなと思いました



「何がどうした」
という1行目に始まり  それにまつわるエピソードを幾つか
読んでいて飽きのこないものばかりです
こんなふうに感じることができたら生活が豊かになるだろうと思います




そして最後の1行は
あっと思う文章
そうか   この1行に思いが込もっているのかと  じんときたり  うるっときたり  安堵したりします



石田さんの文章が読みやすいと感じた訳がほかにも幾つかあります



書きたい物や人のことを  湿り気なく  分かりやすい言葉で書いてみえます
文章のなかにいきなり「浮く」言葉が出てくるエッセイを目にすることがありますが  それだけで  書きたい対象物たちの存在が薄れていまい  残念だなと思うことがあります
それが全くありません



あと  「自分が!自分が!」というのがないのもいいなと思いました
それがないからこそ   エッセイに出てくるたくさんのエピソードを素直に受け止めて読んでいけます



たくさんのエッセイでしたが  そういうのが1つもないところに魅力を感じました



こんなふうなエッセイが書けたらいいなとも思いました



例えば   
『ヒヤシンスとミルクティー』では  朝  まさに花開こうとするヒヤシンスのことだけを書いています
そのなかの文章です



ダルマサンガ、コロンダ。
花も、気づかぬうちに動くのだった。
濃く煮だしたミルクティーは、青紫のカップにおだやかにうつる。
ちいさな星があつまって、おおきな一輪になる。
ちいさなよろこびがあつまり、忘れえぬ一日になる。
冬をのりこえたヒヤシンスは、ことばもつかわず、教えてくれる。
天気予報は、終日快晴とのこと。
なにをしてもいい、なにもしなくてもいい。春の休日がはじまる。




石田さんはあとがきでこんなことを書いてみえます



鼻をすすり、奥歯を噛んで書いたものもある。しゃがみこむような日にも、書くうちに明るい景色が見えてくることたびたびだった。



エッセイを書くってそうだなあという思いを新たにしました


そばに置いておきたい本が1冊増えました


moneさん   ご紹介   ありがとうございます



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まぶしきは夕陽すひこむ蜜柑かな
                                            アマンバ





                         



今たしか枯葉一枚散りたよな
                                        アマンバ