とうとうやってきました
涼しい風
朝 雨戸を開けると目の前に咲いています
まだまだの元気に 私も元気をもらいます
つくつくぼうしは もう朝早くは無理なようで9時頃にしばらく鳴いていました
小川軽舟・著
中公新書
「はじめに」から引き込まれて読み終えました
俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ。読者がそれぞれの抽斗を開けてそこに見出だすものは同じではない。俳句が引き出す情景は作者が頭に思い浮かべていた情景に限定されない。読者それぞれの抽斗が引かれればそれでよいのだ。
俳句はそのようにして忘れ去っていく日常のなんでもない日の記憶を甦らせてくれるものでもある。
俳句は日々の生活から離れた趣味の世界としてあるものではない。日々の生活とともにあって、それを大切な思い出に変えてくれるものである。
……
俳句とは思い出を共有することができる仕組みなのである。
もうこれだけで
さあ 続きを読みたい
そう思いました
本文にもたくさん学ぶ言葉がありました
俳人というものは、いつも自分にとって新鮮な題材を探している。そのおかげもあって、私は単身赴任の毎日を楽しむことができる。
軽舟氏は サラリーマンの生活をしながら俳句の仕事をしてみえたのですね
それも50歳を過ぎての単身赴任生活も経験してみえたのだと知りました
また こんなことも書かれています
俳句にとって調べは大切だ。悲しい、悔しいと直接言わずに、その感情を調べで表すのである。
さらに
あえて技巧を凝らそうと構えれば、これほど真っ直ぐに読者に訴える俳句にはならないだろう。
通信の添削指導の先生に
「しっかり写生しましょう」
と書かれることがよくあります
技巧を凝らしても居心地がよくないというか 私の場合は凝らす力に乏しいのでしょう
また 散歩の項では
俳句を作るようになって、次の季節を迎えることがとてもうれしく感じられるようになったという人は多い。私もその一人だ。
歳時記を傍らに置いて生活していれば、身の回りのあれもこれもが季語であることに気づく。ひとたび季語だと知れば、そうだと知らなかったときとは違う表情を季節の訪れとともに見せてくれる。
膨大な数の俳人や俳句について分かりすく端的に説明を加えながらの1冊です
名前だけおぼろげに知っていた方々の生き方や裏話を読みながら ほどよい満腹感を味わえました
たしかに『俳句入門書』だなと思いました
軽舟氏の思いは次の俳句に
平凡な言葉かがやくはこべかな
死ぬときは箸置くやうに草の花
俳句を作り続けましょう とポンと優しく背中を押されたような気分です
この本は ブログを訪問していて知りました
教えてくださった方に感謝しています
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