蒸し暑い日になっています
エッセイ『まさか』の下書きをしようと思い 構想を考えているとき ああそうだ! とヒントをもらえる過去に書いたエッセイをひもといてみました
わたくん
「おじゃまします」
真っ白の靴下に履き替え、電気メーカーの店員が居間に入る。DVDが見られなくなったテレビの配線を、1本ずつ確認しながら原因を探っている。
「あっ、なんだ」
そう言って、線を繋ぎ直し、完了する。
誠実そうな人柄を感じ、ついお願いした。
「洗濯機が水漏れするんです。ちょっと見ていただけませんか」
快く引き受けてくれた。洗濯機を抱え、横に移動させた。その受け皿は、埃と水で、赤面するほどに汚い。彼は言った。
「使わないタオルありますか」
数枚渡すと、皿が白くなるまで拭き取ってくれた。原因は、ホースの穴と判明し、部品の発注をすぐにしてくれた。
その後2人で、後片付けを始めた。ようやく終わって手を洗う。
「よかったら、これで拭いてください」
黒地にベティちゃんをプリントした、愛用のタオルを渡す。
居間に戻った。お礼を言ったとき、彼は突然、私に聞いた。
「○○先生ですね?」
驚く私に重ねて聞いた。
「僕、わかりますか?」
まじまじと顔を見てしまった。そして、ヒントみたいにその姓を聞いて思い出す。わたる君。「わたくん」と呼んでいた。
眼鏡越しのリスのような眼。汗かきの顔。十五年前が、さっと蘇った。そのころ、亡夫が大きな手術をして、仕事を二週間ほど休んだ。ようやく復帰して、教室の扉を開けたとき、「せんせい、おかえり!」と言って、ぴょんと飛びついてきた一年生の小さな男の子。わたくんだった。人なつこい子で、ちょっと大人びた言葉を使うときもあった。
「どうしてわかった?」と聞くと、「ベティちゃんのタオルで確信しました」。ベティちゃんのキャラクターが好きなこと、ちゃんと見ていてくれたのか…。また「確信」という言葉に、彼独特の人柄を感じ、また、ずっと親身に手伝ってくれたことの意味もわかった。
彼の記憶の淵に、自分がまだ置いてもらえていたことに胸が詰まった。「余分な仕事のお礼を」と言うと、「いや、いいです。あのころのお返しができました」
雨の空にぽかりと開いた青空のような再会だった。
(2018年4月)
先日のかかりつけ医でのまさかの再会といい、こういうことがときどきありましたし、これからもあることでしょう
思い出してもらえることや思い出せることがいくつもあり、自分はたくさんの宝物を心の深いところに持っているのだなあと思います
もしかしたら
天職だったのかもしれません
両親に感謝です