1輪の薔薇が咲くだけで

庭が変わる




咲くまでの

待ち遠しい時間が

喜びに変わる瞬間だ







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※ 2018年に書いたエッセイです




すてきな伴走者




高校3年生のマラソン大会は、11月の下旬に行われた。北陸では、霙か初雪が降る頃だ。男子は10キロ、女子は5キロだったと記憶する。運動オンチの私は、なかでもマラソンは大の苦手だった。

中学時代にブラスバンドでフルートを吹いていたから、肺活量は人並みにあったはず。30分程自転車をこいで通学していたから、脚には筋力がついていただろう。心臓に問題もなかった。

だが、「走る」という行為には、根性といった精神力が不可欠だ。私には それがなく、コースの途中で歩き始めるのが常だった。倒れるよりまし、あまり悲観することもなかった。

ところが高3の大会。何が自分を突き動かしたか、「完走したい」と周囲に洩らした。クラスメートの真理ちゃんが、「じゃあ一緒に走る」と約束してくれた。とりたてて仲良しではなく、よくお喋りするほうでもない。長い髪をおさげにし、色白のふくよかな顔は、いつも優しい微笑を湛えていた。彼女の眼を、半世紀弱過ぎた今でもはっきり思い起こすことができる。

彼女は、私の左側を、私と同じスピードで走ってくれた。本当はもっと速く走ることができたのか、そのスピードがちょうど合っていたのか……。何も言わず、伴走者のようにそばにいてくれた。とても心強かった。心のどこかに申し訳ない思いがあったのも確かだ。

しんがりでゴールラインを踏んだ。とうとう中学校以来初めての「完走者」になれた。達成感とともに、やればできるという小さな自信が、胸に広がった。他の人達よりずっと遅かったことなど、何も恥ではなかった。真理ちゃんに、ただただ感謝の気持ちを伝えた。

彼女は、熟練したカウンセラーのようだと今になって思う。つかず離れず寄り添い続け、その人が元気に歩き出すのを黙って見届ける、深い心を持っていた。



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亡くなった友人の

いろいろな表情が今も浮かんでは消える

彼女

マラソンが速かった

運動場で練習していたときの

真剣な橫顔を思い出しながら

マラソン大会のことを書いたエッセイを

思い出した




マラソンでは伴走者ではなかったが

他のときは

最高の伴走者だったからか







じぐざくに舞ひて降りくる竹落葉



静かな日です
風さえ吹かない日です
裏の神社の枯れた竹の葉が  ふっと舞うように落ちてきます
それは  ゆっくりと  じぐざくの線を描くように落ちていきます