南河内フィルムコミッション富田林石川アケボノゾウ -2ページ目

〈この記事は2016年9月23日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

2016.9.20.に大阪府に最接近した台風16号により石川は増水し、その結果、さらに層面が出現し、あらたな円形の痕跡がでてきているようです。そこは、2014年に、100万年前のアケボノゾウの足跡化石が発見された地点で、今後の調査が期待されます。

 

 

 2016.9.21.7:16 大阪府富田林市富田林町 下天溝(あもぞ)井堰

 

 2016.9.21.7:19 金剛大橋のすぐ下の井堰です。

 

2016.9.21.7:28

2016.9.20.に大阪府に最接近した台風16号で石川が増水しています。

 

 2016.9.21.7:38 井堰の上手。川幅いっぱいに増水した石川。

石川はあばれ川で、明治以降、近代的な人工の堤防が築かれるまで、この少し上手で右岸が何回も切れています。

 

 2016.9.21.7:41 水に浸った河川敷の草むらに屯するシラサギ・アオサギ

 

 2016.9.21.7:24 このように河川敷が浸水したようです。

 

 2016.9.21.7:45  金剛大橋下流200m左岸

 この増水によってあらたに出現した流路あと。

 

 2016.9.21.7:50 

2014.7.25.に発見された100万年前のアケボノゾウの足跡化石発見地点と同じと場所です。

 

 2016.9.21.7:48

直径30~40cm位の円形に見える痕跡。

 

 2016.9.21.7:54

ここも6個ほどのアケボノゾウ足跡化石かもしれない丸い跡と、よく見るとふたつならんだ偶蹄目の足跡かもしれない痕跡が2つほど確認できます。専門家により調査していただかないと、確定はできませんが...

 

 2016.9.21.7:49 ここにもそれらしき痕跡

ここの地層は、100万年前の大阪層群の地層と同定されています。写真右側にここ粘土層のうえに堆積した粘土層が見えますが、砂層と粘土層の互層になっていて、3つくらいの上に堆積した粘土層が確認できます。

  

 2016.9.21.7:46

ここも円形の足跡化石の可能性のある痕跡。

 

 2016.9.21.7:59

崩れた部分が下の粘土層です。なにかボコボコしていますね。

 

 2016.9.21.7:46

炭化層や植物の根と思われる化石も出ています。

 

 2016.9.21.7:21 右岸から見た2014年7月発見のアケボノゾウ足跡化石発見地点

 

 2016.9.21.7:11

 その同じ地点が今回の台風16号によって、さらにあらたな層面が拡がり、円形の痕跡が出てきて、足跡化石の可能性があります。

見に行かれる方は、現場の保全をよろしくお願いします。

 

 2016.9.21.7:30

 ところで、河川敷にある石川サイクリングロード。増水したあとに、3つ足跡が残されていますが、これなんの足跡やろ?

 撮影:2016.9.21.

        関連記事:これなんですか? 2014.9.3.

               みつけたよ~!石川のゾウ・シカ足跡化石 2014.9.5.

2017.6月21日

夏至の日ですが、朝から大雨です。

ひょっとすると、石川が大増水して、大阪層群の新たな地層面から足跡化石が出現するかも知れません。牙の化石も出てほしい。

 (HN:アブラコウモリH )

 

 

 

 

 

〈この記事は2017年5月11日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものです。〉 林 保夫

 

滋賀県犬上郡多賀町にアケボノゾウに関する展示をしている博物館があるのを知りました。多賀町内で1993年3月に180万年前のアケボノゾウの骨格化石が発見され、それに関する展示がされているということで、見学に行きました。

 

 

 

 2017.4.7.15:16 滋賀県犬上郡多賀町四手 あけぼのパーク多賀内 多賀町立博物館

アケボノゾウの全身骨格標本(レプリカ)

 

 図書館・博物館など3つの施設が合わさって、公園も併設されています。

 

 

 富田林市で発見されたアケボノゾウの足跡化石、牙・臼歯の化石などと関連した化石を展示されている施設があると聞いて、多賀町立博物館にやってきました。

 

 図書館と博物館の間の空間ホールに据えられたアケボノゾウの全身骨格標本

 〈画面をクリックすると富田林市桜ケ丘町にあるすばるホールのアケボノゾウの全身骨格標本が見れます。(非公開)〉

 

 

 ホールと外をアケボノゾウの足跡がつないでいます。

 

 ここ、多賀町四手(しで)のアケボノゾウ化石発掘現場を再現されています。

いいアイデアですね。きっと児童のみなさんは大喜び!

 

 ありました!発掘現場の全身骨格(レプリカ)

うらやましい。富田林市は牙と臼歯だけです。

 

 頭部の骨格はないようですが、ほぼ全身の骨格が出土しています。

180万年前の古琵琶湖層群の蒲生累層の最上部から出土したそうです。貴重な全身骨格の化石です。

〈画面をクリックすると富田林市美山台で出土したアケボノゾウの牙(レプリカ)が見れます。(非公開)〉

 

 富田林市美山台から出土したアケボノゾウの牙・臼歯の化石は約100万年前のものです。いずれも工事現場から工事関係者により発見され、学識者に連絡があり発掘がなされました。連携プレーが大きな発見を生んだということですね。

 

 博物館のアケボノゾウの展示と映像

[以下の館内の写真は博物館の許可をいただいております。]

 

 映像は1992年に発見された当時の模様を再現されています。

 

 発掘されたアケボノゾウの化石(実物)

多賀町のアケボノゾウの化石は、全国でももっとも完全に近い形で発見されました。そればかりか、アケボノゾウを含むグループであるステゴドン科のゾウ化石では、アジアで2番目によくそろった骨格です。

富田林市のすばるホールにある骨格標本も実はここで発掘された化石により作成されています。

 

 これ実物ですよ!すごい!!

1993年、滋賀県犬上郡多賀町の四手(しで)の、現在『多賀町立博物館(「あけぼのパーク多賀」内)』が立っているところから2kmほど離れた造成地で、約180万年前の昔の琵琶湖にたまった粘土の中(古琵琶湖層群、蒲生累層)から、アケボノゾウというゾウの全身の骨格の化石が発見されました。

 

 アケボノゾウは体高2m程度の小型のゾウで、今のアジアゾウ(インドゾウ)より小さいゾウです。日本列島に渡ってきて、順応し小さくなったと考えられています。でも牙は大きいですね。

海外では、アケボノゾウに相当するゾウの化石は発見されていません。このことからも、日本で独自の進化をとげたゾウと考えられています。(残念ながら、絶滅)

 

 当時の様子がよくわかるパネル展示

 

 多賀町の土地の移り変わりがよくわかる展示

 

 多賀町発見の全身骨格化石で、発見されなかった頭部

 

 足跡化石

富田林市の石川でも数多く出土しました。

富田林市のゾウ足跡化石と化石木:  石川化石林・石川足跡化石 学習会 2014.9.27.

「第9回 こども祭り(レインボーホールにおいて)」での「石川ゾウ足跡化石&化石木」展示と学習会

2017.1.25.

 

 多賀町立博物館は平成11年(1999)に開館し、18年が経過していますが、平成4年(1992)の発見当時の感動を生々しく語りかけてくるすばらしい展示です。そして、18年も経過しているにも関わらず、すこしも展示の劣化を感じさせないのも驚きです。

小早川館長にお話をお聞きすると、展示物の更新がなかなかできていないとのことですが、7563人(2017.4月)の多賀町の人口にあって、入館者数が1.6万人は立派と思います。訪問した4月7日にも企画展が開催されていました。町民は無料というのもいいですね。

18年も前に、人口7千人余りの多賀町にあって、こんなすばらしい博物館が存在しているというのは驚きです。富田林市は人口11.3万人(2017.4月)と多賀町の15倍の人口を擁していますが、文化財を展示するといった大きな施設がありません。

正直、とてもうらやましいことです。

撮影日:2017年4月7日

2017.5月11日 ( HN:アブラコウモリH )

 

〈この記事は2016年4月12日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

 

 2016.4.6.17:18 富田林市富田林町 金剛大橋北詰

ここに「アドプト・リバー・100万年前のアケボノゾウの足跡(化石)」の案内板が写真入りで誕生しました。

 

金剛大橋下のアケボノゾウ足跡化石群は、 「2014.7.25.5:34」に発見されて3年ちかくが経過しています。

アドプトリバーとは河川環境の美化に取り組むことを目的としており、具体的には清掃活動・環境整備などを「富田林市アケボノゾウ足跡化石と化石林事務局」が大阪府、富田林市とともに協同して行ないます。

 

 

 2016.4.6.17:26 

二上山のみえるこの石川、金剛大橋下流すぐのところに、3カ所にわたり100万年前のアケボノゾウの足跡化石が50個以上出ておりました。

 

2016.4.6.17:39 

ここが発見場所の一つ、下流 左岸150mのポイント 100万年前の大阪層群が露出しています。実は私が第一発見者。朝日を撮ろうと散歩しているときに、30cmくらいの穴が複数開いていました。

 

 2016.4.6.17:36

これは現在の写真でかなりわかりづらいですが、一番輪郭が残っている写真です。クリーニングした後、増水で砂が堆積しました。

 

 2016.4.6.17:49 右岸50m地点

これは別の地点。青緑の粘土層に赤茶けた酸化鉄をふくむ粘土層が丸くみえます。

 

 2016.4.6.17:35 左岸

劣化してわかりにくいですが、シカなどの偶蹄目の足跡化石の可能性があります。

 

 2016.4.9.6:29 富田林市彼方(おちかた) 彼方地区憩いの広場

場所が替わり、化石木の発見された場所です。ここにも案内板が設置されました。

 

 ふたつ並んだアドプト・リバーのうち、右側が「100万年前の樹木(化石)」のものです。

 

 向こうに見える石川で複数発見されました。

 

 ここは無料駐車場になっているところでベンチなどもあり、ウォーキングやジョギングされている方の「憩いの広場」になっています。

 このすこし上流で発見されたというか、私が約3年前に発見しました。

第一発見者 アブラコウモリH

 

 手前の井路と石川

化石木を紹介したかったのですが、増水して水没していました。残念。

 

 対岸の錦織東二丁目では、すでに昨年大きな説明板が設置されました。

 

 現地では冬場や田植えの時期の水位が下がる時期に、現在も数か所化石木が確認できます。

 

2015.11.21.マキコムズ

昨年秋、富田林市中央公民館の別の講座で、アケボノゾウの実物大 展示をしました。

 

 2014.9.17.富田林市中央公民館 市民講座「富田林百景+」での報告会。

 

 2015.6.19.喜志小学校での報告会

 

 2016.1.22.富田林小学校での報告会における展示。

全部手作りでやってます。

 

 〈画面をクリックすると大きくなります〉

石川化石木は2013.6.5.発見

 

 

【最新の遺跡分布図】 2017.2月

〈画面をクリックすると大きくなります。〉

現われては消え、消えては現われるの連続です。今回、井堰の水を抜いたことにより、C6とC7が新たに見つかりました。

ここ3年ほど、貴重な遺産が増水の影響で流失・不明になっている中、ほんとうによかったと思います。

(ポイントの地点名は仮称です。)

 

 

  〈画面をクリックすると大きくなります〉

画面の中に「【A】2014.6.5.発見当日」とありますが、2013.6.5.の誤りです。

 

  〈画面をクリックすると大きくなります〉

 

 石川はこんなに増水することがあります。2015.6.25.

かつてはあばれ川で同じ場所で何回も決壊しています。

 

川底の土砂が流され、化石木が露出しました。

現在増水で水没中なので過去の写真です。(撮影: 2014.12.12.)

 

 これは別の化石木。現在、増水で流され消失。(撮影:2014.1.23.)

 

 この化石木も消失しました。(撮影:22014.1.23.)

 

 これも流失。」倒木です。(撮影:2014.1.23.)

 

 現在も存在。立木化石です。(撮影:2014.12.12.)

 

 はっきりした足跡化石も紹介しておきましょう。現在は劣化または消失しています。

発見当日(撮影:2014.7.25.5:34)

 

 発見当日(撮影:2014.7.25.5:36)

 

 カズサシカと思われる偶蹄目の足跡化石

発見当日(撮影:2014.7.25.5:38)

 

 ヒトがいない100万年前、ゾウやシカの楽園が日本にありました。金剛山・葛城山もそれほど高い山ではありませんでした。

 

 いまの石川でゾウやシカが闊歩していたとは驚きですね!

 

2013年5月に富田林市の中央公民館の市民講座「富田林百景+(プラス)」のブログとして始めてから丸3年、閲覧数が50万件を越えました。これは、毎日毎日ひとりひとりの方がお読みいただいたおかげです。

 私たちの住んでいる富田林市のことを少しでも皆様に知っていただこうと、公民館の方々と相談して立ち上げたこのブログ、すでに掲載数がを700を越えました。感謝の念とともに、これからも続けていきたいと思います。

関連記事:  これなんですか? 2014.9.3.

  0012.gif    みつけたよ~!石川のゾウ・シカ足跡化石 2014.9.5.

 

2017.5月12日 ( HN:アブラコウモリH )

 

〈この記事は2015年10月14日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

 

富田林市の石川沿いの市立小学校において、今年春から順番に「石川化石木、ゾウ・シカ足跡化石発見の学習会」を、「 出前授業 」として実施しています。その授業の内容をご紹介させていただきます。 .

2015.9.25. 富田林市立 小学校にて

富田林市の石川沿いの市立小学校において、今年春から順番に「石川化石木、ゾウ・シカ足跡化石発見の学習会」を、出前授業として実施しています。その授業の内容をご紹介させていただきます。


 

 

出典:「富田林の足跡化石」 富田林市石川化石発掘調査団 1994.3.より

「一昨年に富田林市の石川で、化石木が発見され、去年、さらに別の場所でも、ゾウやシカの古い足跡の化石が発見されました。」

 

 *化石はその後の増水による影響で、消失、変容、新しい発見を繰り返しています。現在ご覧になれる状況が上記分布図の通りとは限りませんので、あらかじめご了承ください。

〈画面をクリックすると拡大します。〉

 

状況は以下の図の通り、変化しております。

現在の石川化石木 新たな発見! 2017.2.28. 2017.3.2.

 

 

 *足跡化石については、特にその後の変容が大きく、写真に比べ、わかりにくい状態になっています。それでも、「オ‐3」ポイント中心に20カ所ほど、ゾウの足跡化石と判定できそうです。

 〈画面をクリックすると拡大します。〉

*現在、オ-2、オ-3地点の足跡化石はほとんど確認しにくくなっています。

 

 

 「実は、これが2014年に発見されたゾウの足跡の化石です。すでに100万年の年月が流れています。100万年というと哺乳類が栄えた時代ですが、まだ人はここ日本列島には、住んでいません。いまの日本に人が住み始めたのは4万年前と言われています。

 2014年7月25日、金剛大橋の150m下流で発見されました。」

 

 「穴が開いていますね。よくみると、爪の跡があります。前足と後足、左の方向へ進んで入ったようです。」

 

 「埋まっている砂を取り除くとこうなります。やわらかい土を踏んで、その足跡が残り、その後すぐにそれが、土砂で埋まったようです。」

 

ゾウの種類で言うと『アケボノゾウ』という仲間になります。

 

 「これは天王寺動物園のアジアゾウのラニー博子さんです。インドからやってきました。めすのアジアゾウですね。

 現在はゾウはアフリカに「アフリカゾウ」とインド・タイなどのアジアに「アジアゾウ」しかいません。

アケボノゾウは絶滅しています。」

 

 「現在のゾウも足に爪があります。」

 

 「足跡化石にも、爪のような跡がありますね。これで、単なる穴ではなくてゾウの足跡化石であることが解りますね。」

 

 「現在のゾウの足の骨は前足・後ろ足とも5本あります。爪はゾウの種類により、すこし違います。」

 

 「これは、今回の発見の25年ほど前に、同じ石川の別の場所で発見された、ゾウの足跡です。手前から、向こうへ歩いているのがわかります。

 実はこの足跡化石、右足は右足で、左足は左足で同じ所を踏んでいるのがわかります。」

 

 「つまり、前足が先に踏んでさらに後足が同じところを踏んでいる形になります。」

 

 「これは天王寺動物園の故アジア春子さんの足形見本です。40cm程の大きな足ですね。前足の爪のが5本、後ろが4本あるのがわかります。」

 

 

 「ところで、すばるホールの小ホール横のパソコン室にはアケボノゾウの骨格標本があります。」 

 

  「この標本は、富田林で発見されたものではありませんが、このゾウが群れをなして、現在の石川付近で生活していたと考えられます。」

 

 

 「富田林で34年前に出土したアケボノゾウの牙のレプリカ(複製見本)も展示されています。しかし残念ながら、この標本はいつも見れるわけではありません。

すばるホールの学習会で説明するのは、大阪市立自然史博物館の樽野さん。ゾウの化石の専門家です。」

 

 「このような骨格標本から、ゾウの復元ができます。アケボノゾウは背丈が2m位の少し小型のゾウで、今のゾウより小さいです。日本の風土に順応して、小型になったそうです。」

 

 「さらに骨格標本を元にして肉付すると、こんな感じになります。このゾウの復元模型はアケボノゾウではなく、後の時代のナウマンゾウです。」

 

 「これは何だかわかりますか。これはシカの足跡化石です。ゾウと同じところで見つかりました。ゾウもシカも同じところで、一緒に暮らしていたのですね。

このシカの足跡化石は100万年 前のカズサシカという種類で、今の奈良公園にいるニホンシカとよく似た種類です。」

 

「写真は、天王寺動物園のニホンシカ。この足跡化石の近い種類で、小型のシカに属しています。」

 

 

 「足がじゃんけんのチョキの形をしています。偶蹄目といい、ウシやイノシシ、キリン、ラクダがこの種類に属しています。奇蹄目はウマ、サイなど。」

 

 「ですから、足跡もチョキの形になります。」

 

 「話をまとめると、100万年前に、ここ富田林にもゾウやシカが住んでいました。そして、まだこの時代は、ここ日本列島には人間が住んでいません。」

 

 「いまの日本人の先祖が大陸から渡って来たのはもっともっと後の時代の4万年くらい前になります。

そのころは、人間はまだここに住んでいないので、ゾウやシカの動物たちの楽園やったかもしれませんね。」「また、サイもいる可能性があります。サイの河原ですね、ホンマの話。(日本各地で50万年くらい前の地層から見つかっています。)」

 

 

 

 「これまで動物の足跡化石について、お話をして参りました。 それでは次に、これは何ですか。」

「これは木の化石です。木の根っこの部分の化石ですね。幹回りがなんと4.5mもあり、針葉樹であることは専門家の鑑定で解っています。どうも根っこの形状からメタセコイアの可能性が高いそうです。」

 

 

  「それでは、次に化石木のお話をします。これは、倒木の化石のようです。この前の増水で、行方不明になっています。」

 

 「この化石も木の根っこの化石のようですが、樹幹の周りだけが残り、真ん中は空洞になっているようです。これも相当大きな立木であったようです。」

 

「この化石も昨年夏の増水で消失してしまいましたが、 掲載している分布図の通り、あちらこちらで化石木が見つかっています。」

「場所は、近鉄の滝谷不動駅から、不動さんへ

 

行く道を渡る橋 高橋の下流250mのところで、2013年6月に、私が見つけました。」

 

 「このおもしろい形をした化石木も、現在消失して所在がわからなくなっています。」

 

 「手前の化石木が2014年の夏に流失しました。

化石は100万年経過しているので、黒ずんで石炭のようになっています。

普通の木は水にに浮かべると浮きますが、化石木の破片を水に浮かべると沈んでしまいます。水より重いということですね。」

「100万年の間に地中で木がギュと圧力をかけられ、その組織が縮まったという事ですね。」

 

 「化石木の多くは、専門の方に鑑定していていただいた結果、松や杉や檜と同じ仲間である針葉樹(葉っぱが尖っている)ということが解りました。しかし、組織が大きく変化を受けていて、何ていう木であるかは解りませんでした。

 おそらく100万年前の環境からメタセコイアであろうと考えられています。」

 

 「メタセコイアは生きている化石と言われています。現在錦織公園のやんちゃの広場に、3本あります。針葉樹は普通冬も葉っぱが付いていますが、このメタセコイアは秋になると葉っぱが落ちる針葉樹です。秋には薄茶色に黄葉します。」

 

 メタセコイアの「まつぼっくり(球果)」

 「100万年前には、たくさん生えていたいたようです。「生きた化石」と呼ばれ、初め化石しか発見されなかったため、絶滅したと考えられていましたが、その後中国で生えているのが見つかり、話題になりました。錦織公園へ行った時は、見てくださいね。」

 

 「メタセコイアの樹幹。ある程度木が大きくなると、幹回りが凹凸状になるのが特徴です。」

 

 「メタセコイアの根っこです。大きく根が張ります。化石木でも5m近く根が張っているのがご覧いただけます。」

 

 【足跡化石】のある場所は金剛大橋の下流100~150mくらいのところ、3カ所です。

 

 

 「2014.7月 発見当時は、化石もはっきりしていましたが、現在はその後2~3度増水があり、わかりにくくなってしまいました。それでも20個ほどは確認できます。」

 

 また、【化石木】の場所はこんな感じです。こちらは、高橋下流250m位のところから、散在し、現在4カ所程度確認できます。

 

 「以前、高橋の下流部では中州があり大きな木が生えていたことがありましたが、今から2年前、2013.9.18.の台風18号は、この中州を立木ごと押し流してしまいました。川の氾濫は先日の鬼怒川の氾濫でも解るとおり、本当に怖いです。」

「そして、その結果川底が浸食されて、さらに化石木が見えてきたということです。」

 

「石川は、いまでこそ上流に滝畑ダムができ、さらに堤防が整備されて、洪水の危険は少なくなりましたが、雨が続くと大増水し、川の様子や流れが変わることがあります。」

 「最近の増水でも、C群の立木化石が出現しています。」

 

 「以前は、頭だけ出していて、どういう状態かわかりませんでした。」

 

「これは、先ほどのC-2より、30mほど下流部で、今回新たに発見した倒木の化石木です。」 

 

 

「もしかして、ここより、上流部で今回流失したC-1のこれより大きな倒木化石の破片の可能性もあります。」

 

 「いずれにしても、川の中にある化石木は、刻々とその姿を変容させており、消失したもの、新たに発見されたものもあります。場合よっては、別の場所での保存も必要かもしれません。」

「ポイントAの幹回り4.5mの巨大な化石木も、幹の真ん中が最近かなり削られており、また乾燥により木片のはがれが目立つようになりました。まだ健在な今でこそ、その保存対策が必要かもしれません。このままでは、いつか必ず消失、破壊されてしまうことを懸念して止みません。」

 

 「現在、専門の方と協力していっしょに調査し、これらの化石を残して、皆さんに知ってもらい、富田林にはこんなすごいものがあるという事を覚えておいてもらいたいと思います。」

 

 「ここに人間のいなかった100万年前、ゾウやシカの楽園が、現在のここ富田林の石川流域にあったということを考えると、とても楽しいですね。」

 

 「錦織の化石木発見場所の近くのグラウンドの入口に今年のなって案内板が設置されました。

みなさんに、誇れる自然史遺跡をご紹介できるよう、今後もいろんな形でご案内していきたいとおもいます。

そして、この足跡化石と化石木は、全国でも珍しい貴重なものです。

しかも、みなさんがいつでもそこへ行けば、見れるようにしてあります。

サンプルを取ったり、化石に触れてこわす事のないように、充分気を付けてください。よろしくお願いいたします。」

 

 


 

 

 

 2015.5.8.小学校4~6年生

 

 2015.6.19. 小学校6年生

 

 2015.9.25. 小学校6年生

ビデオの製作は、「富田林の足跡化石と化石林実行委員会」 代表 辰 義孝さん ふたりで石川沿いの小学校を回っています。

みなさん真剣に聞いてくれました。

 

2017.5.6. 林 保夫  富田林市立中央公民館 市民講座「富田林百景+」講師

                 石川化石木、ゾウ・シカ足跡化石(オ-1ポイント)第一発見者

                 「富田林の足跡化石と化石林実行委員会」石川化石発掘調査研究グループ

                 大阪府 文化財愛護推進委員、学芸員、会社員             

                 (ハンドルネーム:アブラコウモリH)

 

〈この記事は2015年9月26日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

 

 〈画像をクリックすると拡大します。〉

 

 2015.9.23.13:20 ポイントC1~C4の間

今回、新しく見つかったポイント(仮称C5)

倒木の化石木です。

 

 C5 木目がはっきりしています。炭化状態にあります。 

 

 C5 断面

 

2015.9.23. 13:18 C1ポイントのすぐ近く2mくらいのところにC2ポイントがあります。 

 

 今回の増水で堆積していた砂層が取り除かれ、さらに15cmほど露出しました。


 

 

 2014.6.4.以前のC2

この増水の前は、一部を2~3cm頭を出しているだけでした。


 

行方不明になっているC1 倒木の化石木


 

 ポイントA ここの化石木のシンボル的存在、健在でした!

中央部にかなり深いくぼみができていて、少しずつ痛んできています。

 

関連記事:一連の石川化石木・足跡化石(17)

撮影:2015.9月23日

 

*2017.5.3.現在、一帯はさらに変化しています。

詳しくは、 石川化石木 新たな発見! 2017.2.28.をご覧ください。

2016.5月3日 (HN:アブラコウモリH )

 

 

 

〈この記事は2014年12月17日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

石川足跡化石が発見されて数か月、発見された2014年7月25日の時に比べかなりわかりにくい状態になっていました。台風等の増水で少なくとも2回以上水に浸かり、化石のある表面が増水の影響を受けてます。できるだけ記録に残しておこうと思います。

 

きょう、ご紹介の「石川足跡化石」の「オ」地点は、地図の一番右上に当たります。 

 

【石川足跡化石付近の地図】

 

【オー1地点】

2014.12.12. 12:05 富田林市新堂 石川河川敷(左岸)にて

発見されて5か月近くなります。側の地層がさらに崩れました。

 

 【2014.7.25. 発見当日】

 


 

2度の大きな増水で、表面が洗われ、また砂の堆積も見られます。

 

【2014.7.25. 発見当日】

 


 

ゾウの足跡化石の明瞭なものは土嚢で保全しています。

 

【2014.7.25.発見当時】

 


 

かどがとれて輪郭がわかりにくくなりました。

 

【2014.7.25. 発見当時】

 


 

シカの足跡化石

 

【2014.7.25. 発見当時】

 


 

 【オー2地点】

 2014.12.12. 石川河川敷(右岸) この地点は、一番低い場所で、しょっちゅう水に浸かっています。

 

【 2014.8.06. 発見当時直後】

 


 

 発見当時堆積していた砂や小石が流されています。

 

 【2014.7.30 発見当時直後】

 


 

 柔らかい部分が浸食され、逆に凹凸が大きくなっています。

 

 【2014.7.30 発見当時直後】

 


 

 クリーニングすれば、もっと明瞭にでてくると思います。

 

【2014.8.06.発見直後】 円形の輪郭がよく解ります。

 


 

 

 足跡化石として、標本価値の高いものもみられます。

 

 【2014.9.19. 約2か月後】

 


 

 【オー3地点】

 2014.12.12.石川河川敷(右岸) 下天溝井堰下

土嚢や石は保全のために、置いています。

 

【2014.8.6.発見直後】

 


 

 側面がかなり崩れました。

ゾウ足跡化石ごと落ち込んだ粘土層もみられます。

 

 2014.8.6.発見直後】

 


 

 ゾウ足跡化石とおもわれるものがたくさん見られます。

 

【 2014.10.10. 発見2か月余り】 大きな変化はないようです。

 


 

 これは調査員がクリーニングしたゾウ足跡化石

 

 【 2014.10.10. 発見2か月余り】 

 


 

 金剛大橋より下流部を写す。左にオー1地点、真中 川の中ほどにオー2地点が小さく見えます。

 

 井堰の上では大きな鯉がいます。

 

 アオサギ(写真)、コサギ、カワウ、コチドリ、カワセミも見かけます。

 

 河川敷の木に留まっているムクドリ

 

  関連記事: 石川化石木・足跡化石 (14)

2014.12月25日 ( HN:アブラコウモリH )

 

この記事は2014年11月6日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

富田林市新堂の金剛大橋下流部における、その後の調査の結果を報告します。度重なる増水の結果、出現した100万年前のゾウ・シカ足跡化石は、その後の増水でさらに変化しています。その状況を報告します。

 

 <地図をクリックすると画像が大きくなります。>

 

【2014年10月10日の調査】 オ-3ポイント

 2014.10.10 13:13 石川右岸のオ-3ポイント

10月に2度、たて続けに台風が上陸しましたが、18号の時に、ここオ-3ポイントが流れに洗われたようです。

 

 2014.10.10. 30cm前後のゾウの足跡化石らしい跡。

 

 2014.10.10. ここも同じような痕跡がありますが、調査しないとわかりません。

 

 2014.10.10. 法面が川の浸食で崩れています。表面の粘土層は硬いのですが、その下の層が粗い砂が混じっていて、浸食を受けやすくなっています。 

 

 2014.10.10. 横から見ると、こんな感じになります。表面は青緑色の酸化第一鉄(FeO)の含まれる還元鉄型粘土層、20cmほどの下部は赤茶色の酸化第二鉄(Fe2O3)の含まれる酸化鉄型粘土層で粗い砂が混じっています。

 

2014.10.10. 足跡化石と思われる断面を少し削ってみたところ。白い部分がゾウが踏んでへこんだ部分に、後に土砂が流入したと思われます。上部はすでに浸食されているようです。 

 

 2014.10.10. オ-3地点の足跡化石 クリーニング作業

足跡化石の中に埋まっている砂を取り除く作業を「クリーニング作業」と言っています。地層表面(露頭)に30cm位の円形の痕跡があると、足跡化石かポットホール(甌穴)かが想定されます。その全体的な並び具合で、ある程度どちらであるかは想定できるのですが、確定はできません。

よって、長鼻目の足跡化石は、クリーニングして、蹄の跡を確認し、立体的に見て着地痕・支持痕・離脱痕が解ればほぼ確定的となります。外観だけでは「足跡らしい」ということまでしか確認できません。単なる穴だけでは甌穴なのか長鼻目足跡化石なのか解らないのです。

そこで、痕跡のなかで、確認しやすそうなものからクリーニング作業をすることになります。あわせて、測量・現場写真・ビニールスケッチも行います。

 この調査については富田林教育委員会と連絡をとり、富田林の石川化石林・足跡化石実行委員会のメンバーがその保全と調査をしています。

メンバーは25年前の1989年8月富田林高校理化部の生徒による最初の発見とその後の本格的な3年間にわたる富田林市石川化石発掘調査団による錦織東一丁目の深溝(ふこうど)井堰下の調査に携わった森山氏(写真右)と樽野氏(左)を中心に活動しています。

 

 2014.10.10. オ-3地点 クリーニングした足跡化石 

離脱痕がわかります。

 

 2014.10.10. オ-3地点 クリーニングした足跡化石 

 離脱痕と蹄の跡のような痕跡(右斜め上が進行方向)

 

 2014.10.10. オ-3地点 足跡化石の可能性

すこし色の濃いところが境界です。基盤の灰色の粘土層の中に、赤茶系を含むすこし質の違った粘土が入っています。100万年経過し、上部が浸食されていることもあるのでなかなか判定はむつかしいです。 

 

 2014.10.10. オ-3地点 クリーニングした足跡化石 

蹄跡や離脱痕がうまく出ませんでした。

 

 2014.10.10. 浸食された地層の法面

地層の法面が川の流れにより崩れ、ちょうど足跡化石の断面と思われる箇所が確認できます。黄色い砂が入りこんでいるのがわかると思います。

 

【2014年10月10日の調査】 オ-2ポイント

 2014.10.10.オ-2ポイント

長鼻目の足跡化石と思われます。10月6日の台風18号の時の増水で水に浸かりすっかり堆積していた砂が取り除かれた状態です。

 

 2014.10.10.オ-2ポイント

オ-2ポイントから、下流(東北東)部を写す。

 

 2014.10.10.オ-2ポイント

 偶蹄目の足跡化石と思われます。

 

 2014.10.10.オ-2ポイント

 長鼻目(ゾウ)の足跡化石と思われます。離脱痕がわかると思います。自然の浸食でこのようになりました。

 

 2014.10.10.オ-2ポイント

かなり密度の濃い足跡化石です。 ひょっとすると一匹のゾウが歩いた跡が含まれているかもしれません。

 

 2014.10.10.オ-2ポイント

これは以前河床の工事に入った重機のショベルの爪の痕です。

 

 2014.10.10.オ-2ポイント

 測量しているのは森山氏。上流(西南西)部の金剛大橋と下天溝井堰が見えます。

オ-2ポイントの一番化石の密度が高い場所です。

 

【2014年10月10日の調査】 オ-1ポイント

2014.10.10. オ-1ポイント

重機のショベルの爪跡です。化石漣痕のようにもみえますが、爪跡が2つの地層をまたいでいるので、違うようです。

 

 2014.10.10. オ-1ポイント 同じく偶蹄目と思われる足跡化石

 

 2014.10.10. オ-1ポイント 偶蹄目と思われる足跡化石

 

2014.10.10. オ-1ポイント

 足跡化石を含む地層が川の浸食作用により、法面が崩されています。

 

 【2014年10月17日の調査】 オ-3ポイント

2014年10月17日の調査 オ-3ポイント

今回はビニールスケッチを森山氏と樽野氏が行いました。

 

 2014年10月17日の調査 オ-3ポイント

 ビニールスケッチは足跡化石の上に透明のビニールシートをかぶせて、それを写し取ろうとするものです。実測の測量図ですね。

乾燥しているようでも、日射が強いと地表から水蒸気が出て結露し、ビニールシートが曇りうまく写し取れないので、地表に接する裏面に、曇り止めスプレーをかけます。

写し取ることにより、足跡化石を配置でゾウがどの方向に歩いて行ったかがわかることもあります。

 

 2014年10月17日の調査 オ-3ポイント 足跡化石の一部をクリーニングしたところ

遺跡全体はこんな感じです。露頭部分は狭いですが、南側(手前)の砂が堆積している部分の下に大阪層群が連続し、足跡化石がある可能性が大きいと思われます。

 

 2014年10月17日の調査 オ-3ポイント クリーニング途中の足跡化石

離脱痕がはっきりしています。酸化鉄の赤茶色の砂が入りこんでいるので比較的解り易い。

 

 2014年10月17日の調査 オ-3ポイント

大阪層群の法面がその下部の粗い砂質の浸食により崩れ、露頭の足跡化石部分が沈んでいるようです。(矢印)

きちんと調査しないと確定はできませんが。

 

【2014年10月17日の調査 】オ-1ポイント

 2014.10.17.オ-1ポイント

 また増水で遺跡が劣化するといけないので、クリーニングした足跡化石を一旦樹脂で固定しているところ。

 

 2014.10.17.オ-1ポイント

 この足跡化石も樹脂で固定しました。

 

 2014.10.17.オ-1ポイント

かなり深いですね。左方向に進んだようです。

 

 2014.10.17.オ-1ポイント

上と同じ足跡化石 別の方向から写しました。

 

 

 2014.10.17.オ-1ポイント 上と同じ足跡化石 別の方向から写しました。

蹄跡らしい痕跡もあります。

 

  

 2014.10.17.オ-1ポイント 上と同じ足跡化石

この地点は他より標高が高く台風にによる増水にも無事でした。

 

発見からの関連記事も見てください。

石川化石木・足跡化石 (13)

2017.4月3日 (HN:アブラコウモリH )

 

この記事は2014年11月5日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

2013年から2014年の度重なる台風などの増水で、富田林市付近の石川の流路が変わった地点では大阪層群の露頭が新たに出現し、木片や炭化層、種子化石を含んでいる地層が確認できます。今後の増水でさらに新たな発見があるかもしれません。このあたりの大阪層群の地層は、錦織東地区付近のピンク火山灰層により、100万年くらい前の層であることがわかっています。

 

【新北橋流部の大阪層群】

オ-1地点より380m程下流部に、増水の結果出現した大阪層群の露頭があります。以前よりすこし地層が見えていましたが、2014年9月~10月の増水により、表面の土砂がさらに流されたようです。地図のB地点あたりになります。

 

2014.10.10. 16:29

 オ-1地点より下流部を写す。川底も大阪層群の地層が見えています。

 

 2014.10.10. 16:57 B地点 写真はB地点より上流部(南西)を写す。

ここ2か月位で新たに出現しました。新北橋の上手に水管橋がありますが、そのすこし上流です。400m向こうに金剛大橋が見えます。

 

 2014.10.10. 16:38 Bポイント

大量の木片を含んでいる層があります。写真は種子化石が見える露頭です。

 

2014.10.10. 16:39 

多くの木片を含んでいます。

 

 2014.10.10. 16:45  B地点より下流部(北東)を写す。 

 

 2014.10.10. 16:46

木片を含んでいます。

 

 2014.10.10. 16:47

すこし大きめの木片を含んでいます。 

 

 2014.10.10. 16:57

川底も大阪層群が露出しています。 

 

 2014.10.10. 17:05 修理中の新北橋

2013年9月15日の台風18号で石川は大増水し、井堰や橋、護岸に大きな被害をもたらしました。この新北橋も橋脚が1本増水で沈み込み、通れなくなりました。傾いた橋脚と橋の部分を撤去し現在修理中です。以後修理完了。

 

2014.10.10. 17:09

この橋は車がやっと通れるくらいの小さい橋ですが、この橋がそれ以来不通になっているため、上手の金剛大橋に車が集中し、朝夕とても混雑するようになりました。

 

 

 2014.10.10. 17:14 石川サイクル橋下手

ここも昨年の台風18号の増水でコンクリートの護岸が壊れました。現在は修理されています。このほか、多くの上流・下流の井堰(ゴム引布製起伏堰)は損傷をうけました。

 

2014.10.10. 17:45 石川右岸 

調査の帰り道

 

 2014.10.10. 17:43 石川サイクル橋の夕暮れ

 

 2014.10.10. 17:43  PLの塔もきれいに見えます。

 

【富田林高校裏の大阪層群】

富田林高校の裏、上天溝(かみあもぞ)井堰の下流部100mの右岸にある大阪層群が、増水による影響で洗われ、露頭が拡大しています。

 

 2014.10.15.16:44

大阪層群の露頭から上流(南西)部 上天溝井堰を見ます。

 以前から露出していましたが、増水により、露頭が拡大しています。

 

 2014.10.15. 16:42

 偶蹄目と思われる足跡化石が複数見えます。

 

2014.10.15. 16:43

クリーニングしてみないとわかりませんが、長鼻目の足跡化石と思われる足跡化石も見えます。

 

 2014.10.15. 16:44

これは護岸工事のため、近年ブルドーザーが前の爪で削ったもの。これは遺跡ではありません。

 

 2014.10.15. 16:50  小さな炭化物を多く含む層 1

 

 2014.10.15. 16:51  小さな炭化物を多く含む層 2

 

 2014.10.15. 16:52  木片を多く含みます。

 

 2014.10.15. 16:53  木の根っこ か 枝のようです。

 

 2014.10.15. 16:54  木の根っこ か 枝のようです。

 

 2014.10.15. 16:56 木の根っこが続いているようです。

 

 2014.10.15. 17:01 大阪層群露頭より上流(南西)部を望む。

また新しい発見があるかもしれません。

 

記事:2014.11月5日

 

*以後、幾度かの増水により、現地の状況は変化しております。ご了承ください。

富田林市の名所 「桜井の井戸」 

 桜 デコメ絵文字 掲載:2017.3月27日 ( HN:アブラコウモリH )

 

この記事は2014年11月2日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

【石川足跡化石付近の地図】

 

2014.10.14.

以前の増水でここまで水が来ました。(赤矢印) 青矢印はゾウ・シカの足跡化石のあるオ-1地点です。少しの増水でも水に浸かってしまうので、保全がむつかしい場所にあります。実際、2度の台風などによる増水により、足跡化石はかなり傷んでしまいました。

 

2014.10.14. オ-1地点

木片を含んでいます。

 

2014.10.14. オ-1地点

丸いのは百円玉(直径2.26cm)。そんなに大きい木片ではありません。

 

2014.10.14. オ-1地点

左上が川面になります。

 

2014.10.14. オ-1地点より上流部(南西)を写す。

下天溝(しもあもぞ)井堰と金剛大橋が見えます。

 

2014.10.14. オ-1地点より下流部(北東)を写す。

2度の大きな増水により、足跡化石が傷んでしまいました。輪郭がはっきりせず、クリーニングした化石も土砂に埋もれ、角がとれてしまっています。新たな砂礫の堆積も見られます。

 

2014.10.14. 7:31

台風19号が岸和田市に再々上陸し、市内の一部が水に浸かりました。前日午後9時前に富田林市を通過したと思われます。心配した増水はそれほどでもなくて、翌日7時半に確認したところ、オ-2地点のみがすこし冠水していました。(井堰の下の対岸)

 

2014.10.14. オ-1地点

上の地層と下の地層の違いがよく解ります。上は粗い砂が混じっていて青緑色をしていますが、下は粘土層で色が灰色をしています。

 

2014.10.14. 7:25 オ-2地点

一部が冠水しています。確認すると、水流で締まっていない部分は削られ、足跡化石はクリーニングされた状態で、穴が掘れていました。

 

2014.10.14. オ-3地点

ここは冠水を免れたようです。しかしながら、地層の法面の下の粗い砂層の浸食が激しく、法面の崩壊がかなり見られました。今後も増水時にこの傾向が続くと思われます。

 

2014.10.14. 7:22 川原で獲物を狙うアオサギ

 

2014.10.14. 7:28

羽根をを乾かすカワウ よくこの動作をしますね。

 

追記:2017.3,21.現在、この場所はさらに変化しています。

2017.3月21日 (HN:アブラコウモリH )

 

この記事は2014年10月28日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

【2017年2月28日現在の化石木】

 

【2014年10月28日における化石木】

2014年8月に台風11号が襲来し石川が大増水、10月上旬に2週続けての台風18、19号上陸。台風19号は10月13日夜、岸和田市に再々上陸し、富田林市の上あたりを通過していきました。これら度重なる台風や異常気象の大雨による増水で石川化石木や足跡化石の状態も大きく変化しています。

 

化石木については、2014年10月24日の時点で、ポイントB、Dが流され消失してしまいました。

その上流部のポイントA、C付近の堆積していた土砂が流失し、大阪層群の粘土層とポイントC1,C4の露出度が高くなり、逆によく観察できるようになりました。

 


 

 2014.9.19. 14:41. 富田林市錦織東2丁目 石川左岸 高橋下流部200m地点

ポイントA付近 大阪層群の露出度が高くなりました。ポイントAも根幹部分の砂が流され大きく見えます。

 

 

2013.6.5.

 最初に化石木を発見した当時、A・BポイントとDポイントの間に、立木の見える中洲がありましたが、2013.9.18.の台風18号の時の増水で消失しました。ポイントAも小さく見えます。ポイントAの右側にポイントBがありますが、度重なる増水で破壊され流され、消失しました。

 


 

 2014.9.19. 14:46 ポイントA

直径1.5m×1.2mの大木の根幹で、錦織石川化石木のシンボル的存在! 針葉樹です。うまく後世に残していけたらいいのですが、わずか1年余りで4つある立木化石の2つが消失してしまいました。

 

2014.1.23.

 今年1月深溝井堰が満水になると、上流部のこの地点は水面が上昇、頭を出すだけになります。

 


 

 2014.9.19.ポイントD 

8月10日 台風11号の増水の結果、今年1月23日の最初の発見時に比べ、 倒れたようになり、わずか水面に顔を出す程度に変形しました。

そして、今回10月24日の調査では確認できませんでした。

 

2014.1.23. 最初の発見当時。

 


 

 2014.9.19. 14:39 ポイントC

ポイントAの70m上流部。ここも川底に堆積していた砂が15cmほど流されています。現在、水面より出ている部分が多くなっています。

 

2014.1.23.

これは、倒木か流木で、大きな裂けた木の板のようにみえます。。これも針葉樹です。炭化して炭のようになっています。

これもかなりでっかい!砂にだいぶん埋まっているようです。


 

【2014.10.24.の調査】

 2014.10.24 下流300mの深溝井堰

この日は、満水を1m程下回っています。


 

 2014.10.24. 16:50 ポイントC1

砂が流され露出部分が拡大しています。この写真は、表面を水で濡らした状態で撮影しています。

 

2014.10.24. ポイントC1

露出部分の炭化木は、空気に触れているため乾燥し、板目部分がはがれで風化状態が進んでいます。

 

2013.10.11. 

表面は砂や礫をかぶっていますが、大阪層群のなかで炭化物を多く含む粘土層(炭化層、写真矢印の部分がそれ。)に埋まっています、他の場所とは違っていて全体が炭化層のようです。 2014.8.10.台風11号の増水で表面の砂礫が流され、炭化層が全体的に見えるようになりました。 

 


 

 2014.10.24. 16:51 ポイントC1と下流部

 

 2014.10.24. 16:54 小さな木片混じりの炭化層

 


 

 2014.10.24. 16:57 ポイントC4 

 直径1mを越える立木化石です。根を大きく放射状に張っています。この立木化石は、以前より20cmほど露出し、幹回りは100×150cmあります。

 

2014.7.18. 森山氏が最近の調査で発見したC-4ポイント

C-1ポイントの約40m下流部で発見されました。1mを越える楕円形の直立樹幹で、中が空洞になり外周のみが残っています。

 


 

 2014.10.24. 17:01 夕暮れのポイントA付近

 

 2014.10.24. 17:06 ポイントA付近 おもしろい浸食をうけた大阪層群 

 

2014.10.24. 17:10 ポイントA  南南西より撮影 以前より40cmほど水位が下がっています。

 

 2014.10.24. 17:18 ポイントA 北側より撮影

 

 2014.10.24. 17:32 夕暮れ時

 

2014.10.24. 17:03 錦織石川化石木群の夕暮れ 

 

この化石木は2017年2月28日現在さらに変化し、さらに消失した化石木、新たに出現した化石木が存在します。

 

詳しくは、下記のブログをご覧ください。

石川化石木 新たな発見! 2017.2.28.  2017.3.6.

 

2017年3月19日 ( HN:アブラコウモリH )