南河内フィルムコミッション富田林石川アケボノゾウ
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<このブログは「富田林百景」にも、掲載しています。>

先日深溝井堰のゴム引布製起伏堰がはずされていたので、新たな化石木が見えるかなと思い、見に行きました。

2020年10月1日 富田林市錦織東2丁目・彼方 深溝(ふこうど)井堰のゴム引布製起伏堰(風船ダム)

田んぼの水の利用がなくなり、起伏堰がはずされていました。毎年この時期から来年の彼岸まで堰の水が抜かれ、浸かっていた川底が出てきます。

逆に春から秋にかけて水に浸かっているということは、化石木の保全に大きく役立っていると思われます。

 

ということで、少し上流にある化石木も顔を出します。

 

川下から見た上流はこんな感じ。

 

〈以前にあった化石木〉

少し上流に向けて歩くと、見えてきました。以前からあるC-4の化石木。

 

これは前回調査(2020.2.9.)の分布図。

 

毎回少しずつ変化します。今年は大きな増水が少なかったので、大きな変化はないようです。

 

上流部(南側)から見たC-4。

 

100万年経過していますが、木の感じがよくわかります。針葉樹、おそらく日本で絶滅したメタセコイアと思われます。

 

これも以前からあったC-8と思われます。

 

これもC-4と同じく、立木化石に見えます。

 

これはC-6化石木。これらは現在の中国のメタセコイアのように根を張った感じがよく似ています。

分布図のC群が歯抜けになっているのは、最初の2013年6月の発見から消失した化石木が多く存在するためです。A・B・Dも消失。

 

〈新たに見つかった材化石〉

上流から流れてきたと思われる材化石。

化石木・材化石の集中している場所の300m下流で見つけました。

材化石は100万年経過して組織が圧縮されているので、水より比重が重く、浮かんで流されることはありません。増水による強い流れに少しずつ下流に運ばれたと思われます。

 

これはC群の場所にある大阪層群の粘土層から露出している材化石。

 

同じくC群 倒木片と思われます。

 

C群材化石

 

C群材化石 この場所は川砂が以前よりは流されているようで、多くの材化石が見つかりました。

 

C群材化石

 

C群材化石

 

C群材化石 小さなものが多いですが、このように大きいものもあります。

 

C群材化石

 

C群材化石

 

〈ゾウ足跡化石の可能性〉

前回の調査でもC群の場所にあったのですが、足跡化石の可能性のある層。

 

円の直径は40~50cm。

 

この層に足跡と思われる円形のへこみが10個くらいあります。

蹄の跡に見えるかもしれません。

 

なんか、石舞台古墳にみえる、花崗岩の巨石

以前は中洲の砂の中に埋まっていました。

関連記事:石川化石木・足跡化石(32)

2020年10月4日 ( HN:アブラコウモリH )

2018年12月18日に確認した石川の化石木

〈画像をクリックすると拡大します〉

 

2020年2月9日に確認した石川の化石木

〈画像をクリックすると拡大します〉

 

2020年2月9日 7:20 富田林市錦織東2丁目 深溝(ふこうど)井堰のゴム引布製起伏堰(風船ダム)

富田林の足跡化石と化石林実行委員会 会長(南河内フィルムコミッション)の辰さんから「石川の化石木に新たなものが出ているよ。」と連絡があり、確認に行きました。

 

まず、上流から下流をよく見ると、起伏堰の左側がしぼんでいるのがわかります。

これは冬場、農業用水が必要ないので、堰をしぼませて水を抜いているわけです。

 

下流から上流を見ると、水が抜けているのがわかります。奥の赤い橋が高橋。

これにより、上流の化石木群集地点の川底が露出しているのがわかります。

 

もうすこし近づくと、高橋の手前に100万年前の大阪層群と御嶽山のような化石木が出ているのがわかります。

 

手前で遊んでいるカワウとシラサギ(この時期、くちばしが黄色で脚が黒いのでチュウサギか?)

上方にC4化石木が見えます。

 

【C4化石木】 北側から撮影

堆積していた土砂が以前の増水にともない20~30cm流されて、さらによく見えるようになりました。

 

【C4化石木】 北側から撮影

拡がった根っこと横に拡がる傾向からメタセコイアと思われます。

 

【C4化石木】 南側から撮影

日本のメタセコイアは絶滅しましたが、ここには絶滅する前の100万年前の日本のメタセコイアがあります。

人類が日本列島に住むはるか前の時代です。

 

【C4化石木】 東側から撮影

代わりに、ゾウやシカの楽園であったようです。人類が日本列島に住み始めるのは4万年前頃のようです。

前回の2018年12月の調査よりかなり側面が削られているのがわかります。

 

【C6化石木】 西側から撮影

露出度はそれほど変わりませんが、以前に比べ側面の削られ具合が進行しているのがわかります。

一年に2~3度ある増水で、流路が変わったりして、土砂や石ころの堆積する場所が変わっていきます。

 

【C6化石木】 南側から撮影

これも形状からしてメタセコイアの立木化石と思われます。

100万年前に大地に根を生やしていたこのメタセコイアは、その当時には川底ではなく地上にあったものですが、その後に土砂が堆積し、根っこが腐敗をまぬがれ炭化しました。

 

【C6化石木】 東側から撮影

その後の六甲変動の逆断層により現在の羽曳野丘陵側が隆起し石川周辺が沈降したため浸食されて、再びここに顔を出した奇跡の存在なのです!

 

【C8化石木】 西側から撮影

幅3m、縦1.5mに及ぶ以前にはこれだけ露出していなかった化石木。

最初は新たに出てきた化石木かと思いましたが、場所と以前の形状から判断して、C8化石木の露出が進んだものと思われます。

 

【C8化石木】 南側から撮影

倒木なのか立木化石なのか、判断できません。まだ地中に隠れている部分が多く、全体像が見えません。

 

【C8化石木】 東側から撮影

1年余り前よりさらに、周りの大阪層群が浸食され、さらに露出しています。

赤いのは大阪層群の酸化鉄粘土層、青っぽく見えるのは同じく還元鉄粘土層によるものと思われます。

 

化石木のある地点より下流を見ています。手前に丸みを帯びた大阪層群の露頭がみえます。

右に見えるのは、C4化石木。

 

上流から流されてきたと思われる花崗岩の巨石

筋が入っているところまでが、井堰ダムの水面です。冬場以外はここまで水に浸かっています。

 

青緑(還元鉄)の粘土層と赤茶(酸化鉄)の粘土層

形成された時に周りの環境で、酸素が少ない深い沼、湖や海底で堆積すると青緑粘土層に、浅い流れのある川や海で堆積すると赤茶粘土層になります。

 

チャコールの炭化層になっている粘土層にいくつかの丸い穴。

もしかして100万年前のアケボノゾウの足跡化石かも。クリーニングしてみないと分かりませんが、形状と大きさはぴったり似ています。

 

これは、お寺や墓地によくある宝珠みたいなものが上流から流されてきたのだと思います。

類似のものは以下の通り。

観心寺 河内長野市寺元

八尾市神立 八尾市神立一丁目14の地蔵脇

山の辺霊園 天理市柳本町

寳国寺 御所市室

 

【材化石5】

大阪層群の地層の中に炭化した材化石が見えます。

 

【材化石群】

ここも材化石が顔を出しています。どれくらいのものが地層に埋まっているかはよくわかりません。

 

【材化石群】

ここも材化石が顔を出しています。

立った状態で、年輪のような形状にも見えます。

 

【材化石群】

室(空洞)になっているようにも見えます。

 

【材化石群】

直立しているように見えますね。

 

【材化石6】

260mほど下流で見つかった材化石。

地層が12度ほど下流の方に下がっているので、下流ほど新しい地層ということになります。

 

今後も化石木が多く出現し、消失する富田林市錦織東と彼方(おちかた)地区の石川です。

場所は近鉄 滝谷不動駅から不動さんに参る道の途中の高橋の下流200mあたりです。

 

帰りにモズが鳴いていました。

関連記事:石川化石木・足跡化石(31)

撮影:2020年2月9日

2020年2月15日(HN:アブラコウモリH )

*この記事は「富田林百景」に掲載したものを、転用しました。

 

富田林市錦織東二丁目と彼方(おちかた)の間の石川で2013年6月5日に発見された石川化石木の現状(2018年12月現在)について報告します。発見されてから以降、幾度となく石川の増水に見舞われ、消失と出現を繰り返しています。今年も7月29日の台風12号、9月4日の台風21号など大型台風の襲来を受け、石川の増水により多くの化石木が消失、破損、出現しました。

〈この記事は平成30年12月28日に「富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!

」にブログに掲載したものです。〉

 

【石川化石木の分布図(錦織東・彼方地区)】

〈画面をクリックすると拡大します〉

 

2018年7月29日:台風12号、8月23日:20号、9月4日:21号と 相次いで近畿を襲った台風で石川は増水し、河川敷内の流路がかなり変わりました。

それに伴い、富田林市錦織東二丁目・彼方の高橋下流部の100万年前の樹木の化石「石川化石木」の形状も大きく変容しました。

不明のなったもの、大きく破損して変容したもの、新たに出現したものなどを今回まとめました。

 

 【C-6地点】 北東から撮影 2018.12.18.16:52

*上記分布図をクリックして別窓の「blogimg.goo.ne.jp 」と比較してみていただくと解りやすいです。

 昨年2月28日流路が変わった時に発見されたC-6。現状は土砂がかなり堆積して埋もれた状態になっています。

〈画面をクリックすると以前の状態が見れます〉2017.3.1.撮影

 

 【C-6地点】 東側から撮影した写真

 

 【C-6地点】南側(上流)からの川の状況

〈画面をクリックすると以前の状態が見れます〉 2013.6.5.撮影 最初に化石木を発見した当時、A・BポイントとDポイントの間に、立木の見える中洲がありましたが、2014.9.18.の台風18号の時の増水で消失しました。

 

  【C-8地点】今回発見された倒木と思われる化石木

 

  【C-7地点】昨年2月に新たに見つかりました。

〈画面をクリックすると以前の状態が見れます〉2017.3.1.撮影

 

  【A地点】

 〈画面をクリックすると以前の状態が見れます〉2017.3.1.撮影

 

  【A地点】

 〈画面をクリックすると以前の状態が見れます〉2014.1.23.撮影手前に消失したBが写っています。

 

  【C-4地点】

 〈画面をクリックすると以前の状態が見れます〉2014.12.12.撮影

 

【材化石】

材化石も新たに見つかりました。 

 

 【材化石】

周りの粘土層に炭化物が混じっているようです。

 

  【材化石】

木の根っこのような材化石

 

 【材化石】

 

アケボノゾウの足跡化石の可能性

〈画面をクリックすると拡大します〉

 

 アケボノゾウ足跡化石の可能性 拡大図

〈画面をクリックするとさらに拡大します。〉

 

 大きな花崗岩の巨石

 

 深溝井堰(ふこうどいせき)

下流部の水田を利水するゴム引起伏堰(風船ダム)ですが、冬場は用水を使わないのでしぼんでいます。

そのおかげで、川の水位が低下し、それまで川底にあったものが見えてきました。毎年この時期は水量も少なく一番観察できる時期です。

みなさまもこの時期に観察してみてください。

この井堰がコンクリート堰なら、ここの化石木の発見はありません。

関連記事:石川化石木 新たな発見! 2017.2.28. 2017.3.2.

      その後の石川足跡化石・化石木  2016.10. 2016.10.21.

撮影:2018年12月18日

2018年12月30HN:アブラコウモリH )

 

石川の足跡化石のいま 2018.5.

 

この記事は、2018年5月28日に「富田林百景」に掲載したものを一部加筆・修正して掲載しています。

これは、富田林市新堂と川向町の間の石川で発見された足跡化石(金剛大橋下流150m地点)について、2018年5月の状況を報告したものです。現在はその後の増水により中洲では土砂が取り除かれ、新たな足跡化石が出現しています。

(2018年12月21日記す。林 保夫)

 

 

 2018年5月22日 6:03 富田林市川向町4 金剛大橋下流の右岸 下天溝(しもあもぞ)井堰より、アケボノゾウ足跡化石発見地点をみる。

 

 ここが2014年7月のアケボノゾウの足跡化石が発見地点です。

100万年前の大阪層群が露頭になっているこの地点では、増水するごとに、新たな足跡化石が出現しております。

昨年10月の台風21号で1m以上堆積した土砂が洗われ、また少しゾウの足跡化石のある大阪層群が見えてきました。

 

 2018.5.22.5:21 富田林市新堂

ここがゾウの足跡化石が発見された地点の現在の様子。

よく見ると直径30~40cmくらいの蹄(ひづめ)の型を伴なった足跡化石と思われる円形の穴があります。

 

2018.5.22.5:22 

川の攻撃面でどんどん浸食されている縁の材化石含んだ炭化層に多く見られます。

 

 2018.5.22.5:23 いくつかの足跡化石らしき痕跡

 

2018.5.22.5:22  こんな感じで残っています。

 

 2018.5.22.5:37 上部が蹄、下部が蹴返しのあとのように見えます。

 

 2018.5.22.5:36 円形に見えるのが特徴ですが、専門家の確認がされていませんので、「足跡化石らしきもの」という表現しかできません。

 

 2018.5.22.5:36 蹄を伴なう足跡化石らしきもの

 

 2018.5.22.5:37 これも上部に蹄らしきものがみえます。

 これらの足跡化石は河川敷にあり、消滅と出現を繰り返していますので、発見当初の足跡化石は一つも残っていません。発見当初の足跡化石は関連記事をご覧ください。

関連記事:みつけたよ~!石川のゾウ・シカ足跡化石 2014.9.5.

撮影日:2018年5月22日 

2018年5月28日 ( HN:アブラコウモリH )

 

 

これなんですか?


この記事は、2014年9月3日に「富田林百景」に掲載したものを一部加筆・修正して掲載しています。

これは、富田林市錦織東2丁目と彼方(おちかた)の間の石川で発見された化石木(高橋下流250m地点)について報告したものです。

現在は、台風による増水の影響等でこの化石木の多くは消失していますが、新たに出現したものも多く存在します。(2018年12月21日記す。林 保夫)

 

 

2014.1.23. 11:40 富田林市錦織東2丁目と彼方(おちかた)中間地点

恐竜が水面から頭をもたげているような写真ですが、実は100万年前の樹木の化石です。

 

2014.1.23. 14:15 富田林市錦織東2丁目と彼方(おちかた)中間地点

何とも表現しにくい造形ですが、これも100万年前の大阪層群に根を張る樹木、しかもこの場所に生えていたまんまの直立樹幹化石です。おもしろい形をしてますね。川の真ん中にあります。

2014年8月10日の台風11号の増水で焼失しました。

 

 

2014.1.23. 14:03  

あらら、上の写真と5mも離れていないところに...

こいつはでかいぞ!両手で抱えきれないくらい大きい木の根っこですね。150cm×100cmもあります。あとで解ったんですが、針葉樹やそうです。現在の松や杉・ヒノキと同じ仲間ですね。根がなんと!!5m四方にタコ足のように広がっています。

100万年前やから、まだ人がここにいない時代、人間にとってはとてつもなく古い時代ですが、地球にとってはほんの少し前、なんせ地球は46億歳ですから...

 

2014.1.23.12:41

これは、倒れていますね!大きな裂けた木の板みたいなやつです。これも針葉樹です。炭化して炭のようになっています。

これもかなりでっかい!砂にだいぶん埋まっているようです。

この石川、下流部でゾウやシカの足跡化石が見つかっていますから、この辺も彼らが歩いていたんでしょう。

 

 2014.2.26 7:36 中央部がしぼんでしまった深溝(ふこうど)井堰(ゴム引布製起伏堰)

2013年9月15日の台風18号で石川は大増水し、井堰や橋、護岸に大きな被害をもたらしました。深溝(ふこうど)井堰においても、故障して貯水ができなくなり、今年の田植えまで故障を繰り返していました。

 

2014.1.23.12:10 

井堰が貯水できなかった結果、上流部の水面が低下し、川底であったところがよくみえるようになりました。

これは大阪層群(この地点は100万年前)の露頭で、上流部(南南西)から下流部(北北東)を見ています。青緑粘土層(還元鉄)と赤茶粘土層(酸化鉄)の互層となっており、南東方向に15度地層が傾斜しているのが解ります。よくみると、粘土層と細かい角張った砂の層に分かれているのが解り、炭化した木片が混じっていることもあります。

 

 2014.5.02. 14:01 富田林市 錦織東2丁目 石川河川敷左岸 高橋下流部250m地点

植物化石の樹木特定のためのサンプリング調査

結果は、100万年前ここは広葉樹と針葉樹が混じる森林のようです。

 

 

 2014.8.20.16:41 足跡化石の現地学習会(金剛大橋下流部左岸150m地点)の後、化石林発見現場(錦織東二丁目、高橋下流部250m地点)において、劣化する植物化石をどうのようにしていくかを検討する調査メンバー

 

  2013年6月5日にこれらの化石木を私( アブラコウモリH = 林 保夫 )が発見しました。当日の調査記録にはこう記述してあります。

 林によるA・Bポイントの第一発見

「 林が錦織(にしこおり)と彼方(おちかた)を結ぶ石川に架かる橋、高橋の下流250m地点で、初めてA・B地点2カ所にわたり、河川の流路の中に全体の3分の2を水に浸かりながら、樹木の幹と思われる部分が確認できた。両方とも、水平に大阪層群と思われる地層に根を張っており、100万年以上前の直立樹幹化石の可能性が高いと思われた。しかし、かなり水生植物に覆われていたため、詳しく観察できない状態であった。今回、A・B地点の大阪層群の露頭を確認し、写真で現状を記録に残した。 」

 

 

2013.6.5.最初の発見時での植物化石

 

いままで、化石の保存に重きを置いて、公開することなく調査を進めてきましたが、この化石林の発見 とさらに2014.7.25.金剛大橋下流部の足跡化石の発見の調査報告を盛り込んだ学習会を、8月5日にすばるホールにおいて 「富田林教育委員会」と「富田林の足跡化石と化石林実行委員会(会長:辰 義孝氏)」主催で、「夏休み学習会 100万年前の富田林を見にいこう!」というタイトルで開催し、みなさんの周知するところとなりました。

 

また、8月19日の化石林現地学習会(富田林市錦織東二丁目)および8月20日の足跡化石学習会(富田林市新堂)においても合わせて150名の一般の方の見学があり、すでに見学された方のブログによる報告もされています。

今回、J:COMの8月5日および20日のニュースでの放映、8月19日の産経・読売新聞の記事においても紹介されましたので、これからは「富田林百景+」見ていただいているみなさまにも、ぜひご紹介したいとおもいます。

 

 

 2014.8.19.読売新聞

 

 2014.8.19.産経新聞

 発見は7月25日です。

 

 2014.7.30.11:00 金剛大橋下流部のゾウ・シカ足跡化石第一発見現場

 

2014.9月03日 ( HN:アブラコウモリH )

 

 荒涼たる不毛の地。原野を思わせる富田林市のここはどこでしょう?  2018.5.22.5:49

 

金剛大橋の少し下流の河川敷でした。大阪層群の地層が出ています。

ここは100万年前のアケボノゾウの足跡化石が4年前に発見された地点です。

 

対岸のこの地点では今もゾウの足跡化石が見られます。

 

丸い40~50cmの穴はゾウの足跡化石の可能性があります。

地層から100万年くらい前のアケボノゾウと思われます。

 

蹄(ひづめ)の跡とおもわれる足跡化石

 

これも蹄の輪郭が見て取れます。これだけでは断定できませんが、おもしろいですね。

関連記事:みつけたよ~!石川のゾウ・シカ足跡化石 2014.9.5.

撮影日:2018年5月22日

2018年5月24日 ( HN:アブラコウモリH )

 

〈この記事は2018年5月24日に富田林百景+ に掲載したものです。〉 

2017年5月26日  林 保夫 

 

 

 

織東二丁目の高橋方面に行く機会があり、ついでに石川化石木がどうなっているか見に行ってきました。下流に深溝(ふこうど)井堰ダムがあり、冬場は水を抜いているので、よく確認できました。見に行かれる方は今見に行かれたら、よく見えますよ。

 

〈この記事は2018年2月26日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載致しましたした。〉 林 保夫

 

 2018.2.18.10:12 富田林市錦織東二丁目 高橋下流部250m地点

手前の川の中にあるのが立木化石C4、背後は二上山

 

 2017年2月に新たに発見された立木化石C6 側のみが残存

 

 立木化石C4 この直立樹幹も中央が室(空洞)になっています。

 

 2017年10月の台風21号で中洲の草と堆積していた土砂が流され、花崗岩の巨石と大阪層群の粘土層が現われました。

 

 この地点より700m程度下流部にピンク火山灰層があるので、この大阪層群は100万年前の粘土層であることがわかります。

右手前に何かボコボコしたものが!ゾウの足跡化石の可能性もあります。詳しく調べてみないとわかりませんが。

 

 このボコボコ、気になりますね。

長鼻類(ゾウ)の足跡化石は350m下流の深溝井堰下や下流部の金剛大橋下(富田林市新堂)と上流部の錦織南遺跡(錦織東三丁目)でも見つかっていますので、ここに出てくる可能性はあります。

 

 

 蹄(ひづめ)の跡や蹴返しがあれば、ゾウの足跡と特定できます。

100万年前のアケボノゾウですね。

 

 いちばんボリウムのあるのはポイントAの直立樹幹です。200m上流の高橋の上からもよく見えます。

2013.6.5.に発見されたメタセコイアと思われる針葉樹の直立樹幹。

この化石木は幹回り4.5m、1.5×1.0mのここでは最大の化石木です。

 

 大阪層群の粘土層の中にあります。

 

 冬場は農業用水は使わないので、下流部の深溝井堰のゴム引布製起伏堰(風船ダム)もしぼんでおり、化石木がよく見えるのでチャンスです。

上流部の高橋です。滝谷不動の縁日では車は通行止めになり、道の両側に露店が並び、多くの参拝者で賑わいます。

左手前がポイントA、中央やや左に小さく見えているのがポイントC4です。

 

 

2018年2月21日 (HN:アブラコウモリH )

 

 

〈この記事は2017年9月12日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載致しましたした。〉 林 保夫

 

2017年7月22日、府立長野北高校科学同好会のメンバーがペットボトルのいかだで川下りをしながら探索中に、100+α万年前と思われる大阪層群に根を張った直立樹幹の化石木を発見しました。現在専門の検査機関で材質を確認中ですが、サンプリングの結果が確定できれば現在富田林市域で発見されている大阪層群の自然史遺産の分布がさらに大きく拡がることになります。

 

 

 

 2017.8.30.撮影 富田林市伏見堂 石川右岸(東側)

2017年7月22日、府立長野北高校 科学同好会(顧問:岩根 啓樹先生)の清水 大河君(高2)がペットボトルのいかだで川下りをしながら探索中に、100万年前+αと思われる大阪層群に根を張った直立樹幹の化石木を発見しました。

 

 

 南北70㎝、東西40㎝、高さ26㎝(水面より)

すこし砂利が堆積していますが、この直立樹幹の化石木は大阪層群と思われる青緑粘土層にしっかり根を張っています。

 

大きさに違いがあるものの、 2013.6.5.に発見された錦織 高橋下流200m地点の化石木群の中のポイントAによく似ており、検査結果を待たないと確定はできませんが針葉樹で、根の張り方より、メタセコイアに近い種類であろうかと想定できます。

 

 千代田橋~伏見堂大橋の間の両側が切り立った流れの中にこの化石木は存在し、川の中を巡検しない限りなかなか発見できない場所にあります。

 

 その意味でも、今回の長野北高校の科学同好会のペットボトルいかだによる探索は大きな意義があったと言えます。

 

大阪層群と思われる青緑粘土層が露出しています。地層は北西から南東に昇り勾配で傾斜しており、その下の層は礫を含む固結した層であるようです。

 

 化石木の地点を下流側に130m程下ると、伏見堂大橋が見えてきます。

 

 先ほどの直立樹幹以外にも、根っこか切り株のような材化石も見られました。

 

 粘土層に埋まっていますが、粘土を取り除くと大きな直立樹幹の室(空洞)の縁であったりして、すごく大きいこともあります。

 

 化石木の上流20m位の地点

手前左:大阪層群と思われる青緑粘土層

右奥:こぶし大の礫を含む固着した岩盤のようになっています。

この二つの層は不整合になっているようです。

 

 大きな礫を含んでいますが、実はこの岩盤に固着しています。

大阪層群のように100万年程度では、堆積した土砂は固結しないので、もっと古い時代に堆積した層であると思われます。火山岩をふくむ二上層群かその累層(1500万年前)の可能性もあるかもしれません。

 

 川底の表面をすこし削ってみました。礫を含む岩盤は比較的柔らかく、礫で叩くと崩れていくような感じです。

 表面を剥ぐと、礫を取り込んだ白っぽい岩でした。かなりもろく、そして一部チャートの丸い礫含むので、川や池に堆積した凝灰岩の可能性もあるかと思います。

 


 

 探索の要、ペットボトルいかだ

一見雑ですが、ちゃんと浮力を計算して、探索した清水君の体重に十分耐えるように設計されています。

河内長野市木戸東町の府立長野北高校へおうかがいして、第一発見者の清水 大河君(右)へ発見当時の状況をお聞きしました。

また、ペットボトルいかだの製作やいかだ探索の支援の要として活躍された名嘉山さくらさん(中央)、近藤ニコラス健二君(すんません、写っていません。)の科学同好会のメンバーからも製作に関わるお話を聞くことができました。ありがとうございます。

写真左は、今回の事を取材している高砂さん。(金剛コミュニティ)

今度、高校の近くの細谷池を水利組合の許可を得て、このいかだで探索するそうです。

日本固有種で絶滅が危惧されているイシガメに出会えるといいですね。

 


 

 5か所に点在する富田林市域における100万年前±αのアケボノゾウの牙・臼歯やシカマシフゾウ(シカの仲間)の角化石、ゾウ・シカ足跡化石と化石木の自然史遺産の、新たな6つ目の新発見として、しかもその南限域での直立樹幹の化石木ということでその意義はすこぶる大きいと思われます。

しかも近隣の市町村では見つかっておらず、富田林市のオンリーワンの一級の自然史遺産です。

今回の発見は二上層群の凝灰岩層と思われる岩盤も見つかっており、『横山潮湧石』の柱状節理や鉱泉湧出地点も上流800m程のところにあり、一大自然史遺産となっております。 

関連記事:私の富田林百景+  「 横山潮湧石 」 2013.10.4.

               横山潮湧石 2016 2016.12.2.

               石川化石木・足跡化石(26)

 写真撮影:2017.8.30.&9.08.

     2017.9.12. HN:アブラコウモリH 

 

 

〈この記事は2017年8月10日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載致しましたした。〉 林 保夫

 

2017.8.08.10:19 大阪府富田林市富田林町金剛大橋下流の左岸180m 石川左岸

2017.8.07.に大阪府に最接近した台風5号により、長く風雨が続き、石川が増水しました。翌朝、金剛大橋下流の左岸180mの所-2014.7月のアケボノゾウの足跡化石が発見地点に出かけてみると、すでにおおむね水は引き、一部新たな層面が出現していました。100万年前の大阪層群が露頭になっているこの地点では、増水するごとに、新たな足跡化石が出現しております。

 

ひずめの跡と蹴返しがよくわかる足跡化石

 

赤い矢印・:アケボノゾウの足跡化石

青い矢印:シカと思われる偶蹄目の爪痕のようです。

 

金剛大橋から見た足跡化石出現現場(赤の矢印、方角は東北東)

 

 現場から逆に金剛大橋を見る。

手前のボコボコしているのが足跡化石です。

上層は青緑粘土でここにも足跡化石はありますが、その下層部に今回非常によくわかる足跡化石が出現しました。

この層は以前から露頭になっていましたが、今回さら表層部分の砂層が浸食されて、硬い粘土層が出現したようです。

 

 対岸から見た足跡化石層

東北東に傾斜しているのがわかります。

 

 足跡化石出現層は、植物の材化石を含む炭化層。上層と下層の地質とは明らかに異なります。

 

大阪府富田林市富田林町 下天溝(あもぞ)井堰

対岸の井堰右側にも足跡化石が見られます。

 

 蹴返しがよくわかる標本

 

 これもゾウの足跡化石と思われます。

 

  これもゾウの足跡と思われる丸い型が付いています。直径は約40cm

 

 

こんなゾウが群れをなしていたようです。

 

 石川は鳥の楽園

 

 撮影:2017年8月8日、9日

        関連記事:あらたな足跡化石?ー台風16号のあと 2016.9.23.

2017年8月10日 (HN:アブラコウモリH )

 

 

〈この記事は2016年9月23日に、富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!に掲載したものを、一部書き直ししたものです。〉 林 保夫

 

1ケ月ほど前の台風16号の襲来にともなう増水で、金剛大橋のすぐ下流部で、石川の河川敷の地層面が水に洗われ、新たな地層面が見ることができるようになっています。その結果、新たに100万年前のアケボノゾウの足跡化石が出現し、しかも蹄の跡もはっきり確認できる価値あるものも出現しています。この場所は、2年ほど前にアケボノゾウの足跡化石が発見され話題になりましたが、その後の増水等で浸食されたり砂が堆積するなどで、ほとんど化石がわからなくなっていました。しかし今回また出現したことにより、はっきりと観察できるようになっています。比較的見やすい安全な場所にありますので、お近くの皆様は是非一度、また消えてしまう前にご確認していただけたら思います。また、ここの約3km上流の高橋の下流部の化石木については、現在深溝(ふこうど)井堰の井堰ダムが満水の状況にあるので、幹回り4.5mの直立樹幹化石木については水没し、存在は確認できますが、真近で見ることはできませんでした。ここは浸食よりも砂の堆積の方が大きく、いくつかあった化石木もそのほとんどが砂に埋まっていました。これらの化石は石川の氾濫原にあり、刻々と変化しており、その後消えてしまうものも多々ありますので、その記録が重要であると思われます。 .

 

【足跡化石】

2016.10.19. 9:53 富田林市新堂   石川河川敷(左岸)にて

2016.9.20.に大阪府に最接近した台風16号により石川は増水し、石川の河川敷の地層面が水に洗われ、新たな地層面が見ることができるようになっています。その結果、新たに100万年前のアケボノゾウの足跡化石が出てきているようです。

 

 1ケ月前に比べ表面が乾燥し、円形の直径30~40cmの複数の足跡化石がよくわかります。

 

 なかには、ゾウの蹄の跡がはっきりしているものもあります。この足跡化石は左斜め上に蹄の跡がありますね。その方向に歩いて行ったのがよくわかります。

 

 蹄の形状より、矢印の方向に進んでいったのがわかります。

 

 金剛大橋から見た、アケボノゾウ足跡化石発見地点

 

 拡大すると、こんな感じです。台風などでかなり増水した時、水に浸かります。

 

対岸の中州から見た発見現場。後ろは清水町の府営高層住宅。

 

100万年前の大阪層群の地層。段になっている硬い部分は粘土層。砂層-シルト層-粘土層の互層になっていて、粘土層よりやわらかい砂層が浸食され、表面に粘土層が出てきています。

 

 黒い部分は植物の炭化した層

 

 この地点で初めて炭化層面が見つかりました。

 

 樹幹部分や木の根と思われます。

 

 青緑色の含還元鉄粘土層と、赤錆色の含酸化鉄粘土層がみえています。

 

堆積当時の環境によって、粘土層に含まれている鉄分が酸素の多い条件では、酸化数の多い赤サビになり、逆に酸素が結合しにくい条件では酸化数の少ない酸化鉄になるため、それを含む粘土の色に表われてきます。

 

 波状漣痕と思いきや、実は数年前に川底を整備した時に、ブルドーザーが川底を削った時にできた刃先の跡であることがわかりました。

そういえば、等間隔の平行な跡が行く筋もいろんな方向に走っているので、波状漣痕でないことがわかりますね。

 

 砂を除けば、さらにいろんなことが見えてくると思われます。

 

 川面では、多くの鳥が。

 

 小動物が多く、生活しやすいのでしょう。

 

 井堰を昇る小魚を狙うアオサギ

 

 捕まえた!やや大物!!

 

左奥に見えるは二上山。右手前の地点も足跡化石発見地点。

 

場所は下天溝(しもあもぞ)井堰下の右岸になります。

 

 2014年の発見では、ボコボコあいていたのですが、わかりにくくなりました。

円形に少しへこんだ影がいくつもあるのがわかりますでしょうか。

 

これなんかはわかりやすいと思います。

 

 雄大な景色が広がります。

 

 橋の上からは、小魚や大鯉がたくさん泳いでいるのが見えます。

 

【化石木】

 2016.10.19. 富田林市錦織東2丁目 石川左岸

 

 石川流域で、100万年前のゾウ・シカの足跡化石と立木化石群の発見を記念して建てられた案内板。

 

 現在は水に浸かっていますが、この辺りに2013年に発見された立木化石木群があります。

現在下流の深溝井堰の風船ダム(ゴム引布製起伏堰)が満水のため、化石木が見えません。

 

 このあたりが幹回り4.5mを越える大きな針葉樹の立木化石のあるところです。

 

 うっすらと写っているのですが、見えますでしょうか...

 

発見時はこんな状態でした。2013.6.5.(ポイントA)



 

 ここは別の地点。ここも水に浸かっていますが、よく見ると...

 

 真ん中が空洞になった樹幹が確認できます。

 

発見当時はこんな感じでした。(ポイントC-4)


 


 

 ダムの水位が下がれば、また化石木が顔を出すと思われます。

 

 化石の保存という意味では、水に浸かっている方が、いいのでしょうけれど...

関連記事:あらたな足跡化石?ー台風16号のあと 2016.9.23.

      石川化石木 C群 2014.9.13.

 

 

2017.7月4日 (HN:アブラコウモリH )