他人に対する気遣いには、大きく分けて旅館型とホテル型の二通りがあります。


旅館では、「お食事はお風呂の後になさいますか」「お布団をお敷きしましょうか」などといろいろ声をかけてくれますが、ホテルでは、こちらから声をかけないかぎりほうっておいてくれ、何か頼みごとをしたときには、丁寧に応対してくれます。

旅館のように世話を焼いてくれるほうが居心地がいいという人もいますが、逆にわずらわしいという人もいいます。
ホテルのようによけいな干渉をされないほうがくつろげるという人もいるが、逆に物足りなくて寂しいという人もいる。


旅館もホテルも、客をもてなす心は同じですが、その表し方が違うだけなのです。

家族や恋人に対して、「私は愛されていない」と感じるのは、愛情の表現の仕方の違いによるものが多いものです。


一日に何度もメールや電話で連絡を取り合うのが好きな人もいれば、それを「行動を監視されているようで嫌だ」という人もいます。


すべてを包み隠さず打ち明け、話し合いたいという人もいれば、どんなに親しい間柄でも踏み込んではいけない領域があると考えている人もいます。


交わす言葉の多さが愛情の証しか、それとも、何も言わなくても信じ合えるのが愛情の深さか。どちらが正しいわけではなく、単に好みの問題なんです。

「愛されていない」わけではなく、自分は旅館型の愛情を求め、相手はホテル型の愛情を示しているにすぎないのかもしれないのです。


自分が「愛されていない」と感じるのは仕方がないにしても、だからといって相手を冷たい人だと決めつけて非難してはいけません。


自分が勝手に定めた「愛の定義」に他人を当てはめて評価してはいけないんです。

愛情をどう表現するかは、人それぞれで、相手には相手の表現の仕方があるのです。


愛される人とは、他人の愛情をうまくくみ取れる人のことをいうのだと思います。