帽子 | kiyoのつれづれ話

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日々のあれこれ備忘録です

 

先日仏壇にお供えしたストックの花 薄紫色です。
 
十数年前に亡くなった母の好きな色でした。

 

母の晩年は道で自転車にぶつかられ転び骨折 手術ショボーン

半年以上入院してやっと退院、父と仲良く暮らしていたのですが、

 

その後しばらくして  

悪性リンパ腫と乳がんに罹り手術や治療で入退院の繰り返しでしたが、

 

弱音は吐かない人でした。

 

痛い思いもしただろうし辛い思いも沢山有ったと思うのですが、

表には出さずにいつも明るくいてくれました。

 

多分弱音を言ったことも有っただろうし、我儘言った事も有ったと思うのですが

今、思い出すのは笑顔ばかりです。

 

私、、、

抗がん剤の影響で髪の毛が抜けてしまった母の為に手ぬぐいで帽子を作った事が有るのですおねがい

 

お供えした花に似た色の手ぬぐいでした。

 

ある日 

病院のエレベーターの中で頭に手ぬぐいを被った方と一緒に乗り合わせまして、

その方を真似して作ってみようと思いました。

 

初めは帽子を作ろうと考えた訳ではなく、少し縫い止めて体裁良くかぶれれば良いかなと思ってましたニコニコ

 

父が長年町会の役員を続けていたのでお祭りで頂いた手ぬぐいが沢山有りました。

 

町会の名前が入って赤で祭りと書かれて紺の染めの簡単な模様のものが多かったけれど     

鳶の下さる手ぬぐいは粋な色の染の手ぬぐいで、

その中に母の好きな藤色の手ぬぐいが有ったのでそれを選びました。

 

初めは帽子と言うよりは帽子もどきのもの(頭巾みたいになってしまっていました)を自宅で作り

 会社の帰りに実家に寄り「こういうの作ってみたんだけど」と母に見せましたニコニコ

 

その時母は多分仮退院して家にいたのだと思います。


その頃の私はフルタイムの事務量膨大の時間や締切に追われる事務の仕事(やりがいが有って楽しかったわ)に

就いていたので金曜日の晩に実家に寄ったのだと思います。

 

母に帽子もどきの手ぬぐいをかぶせてみたのですが、私と違って顔の小さい母でしたので頭も小さい。

 

ぶかぶかでした。

 

そしてお洒落でええかっこしいの母の気に入るものではありませんでしたショボーン


母のお針箱を出してきて小さく縫い直して 又、母にかぶせてもまだ ぶかぶか。


週の仕事終わりに寄ったので、クタクタに疲れていた私。

 

今日はもうやめようかな」と思ったのですが、母がすごく嬉しそうにしていて

 

そして父も嬉しそうで「又 後で」と言えなくなってしまいました。

 

幾度もかぶせてみては、

ダーツをとって縫ってみたり

あっちを縫い、こっちを縫いしていたら

 

あら不思議。


立体的になって


ちゃんと帽子と言える物が出来上がりました照れ

 

お針仕事の苦手な私にとっては、まさに奇跡

 

母もやっと満足してくれて、出来上がった時は嬉しかったな、、、照れ


15年以上も前の事ですが、実家のダイニングテーブルに父と母が居て

 

私がリビングのソファーで帽子作りに精を出し、

 かぶせてみては「まだ大きいね」とソファーに戻りチクチク縫い

 

待っている間に

 

父と母が私の方を見ながら

 色々な話を楽しそうにしている光景が心の中に残っています。

 

二世帯住宅で兄夫婦と同じ屋根の下に住んではいたのですが、

 

兄夫婦とはあまり良好な関係ではなかったので、父も母も私が実家に寄るのを楽しに

 

待っていたのだと思います。

 

なのでその夜はいつもより長い時間私と一緒にいることが出来て、そのことも嬉しかったんだろうな、と思います。

 


その帽子を母はとても気に入ってくれて、

 

入院の時にはベットの枕元に置いてき

 

お見舞いに来て下さった方や看護師さんに「kiyoが作ってくれたの」「娘が作ってくれたの」と自慢していたみたいあせる

 

(恥ずかしいやないの)

 

私にも病院に行くたびに「これね娘が作ってくれたのって言ったのよォ」と、

 

幾度も幾度も嬉しそうに話すのです。

 


そんな母でしたが、これで最後にしましょうと言われて望んだ抗がん剤治療で

発熱。

 

今度も無事治療を終えて帰宅できるものと思っていたのに旅立ってしまいました。

 

思いもよらなかった事でした。

 

悲しくて悲しくて悔しかった。

 

死亡診断書の死因の欄には敗血症と書かれていました。

 

納棺の時に親族が「kiyo ちゃんがかぶせてあげて」とその帽子を私に渡してくれて、

帽子は形見にとっておきたいと思っていたので戸惑ったのですが、

 

あんなに気に入ってくれていたのだからと思い直し棺の中の母の頭にかぶせました。

 

きっと向こうへ行って、祖父母や先に行った叔父や叔母に

 

「kiyoが作ってくれたのよ」と自慢して話したのではないかしらニコニコ

 

時々、あの夜の事を思い出します。  

 

父と母と私の三人で過ごした

 

何とも切なく、でも、ほっこりした時間でした。