2月19日命の日…天国の息子からのメッセージかな。 | 〜青い空^o^ フクちゃんの空☆〜癌に負けてたまるかーぃ‼︎

〜青い空^o^ フクちゃんの空☆〜癌に負けてたまるかーぃ‼︎

2014.8月に巨大子宮筋腫全摘後→神経因性膀胱障害(自己導尿)→子宮体癌宣告からの8ヶ月後に乳がん宣告(5/15 左乳房全摘)からのオマケが右肺腫瘍ありだって…
そんなこんなで病気の事、日々の出来事などをこのブログに
綴ってみます^^;



「命の日」と書いて命日・めいにち

命が尽きた日なのに
なんで「命の日…命日」って書くんやろう…

めいにち…って言うんだろうか…


現世の終わりではあっても
新しい世界へ生まれ変わる始まりであり…
新しい命を賜る日だからって…
難しいから私にはよくわからないけど…



今日、2月19日は息子の命日

ごめんね…

何にも母親らしいことしてあげられずに
ごめんね…

ずっとずっとそんな後悔ばかりしながら
これまで生きてきた

あっという間のできごとで
涙も出やしなかった

「運命…」     運命だったの??

いや、間違いであってほしかった


棺の中で眠ってる顔?
眠ってたの?どうなん?

よく最期は安らかな顔…とか
ただ眠ってるだけみたいだね…とか
そんな言葉で表現するけど

通夜、告別式がひと通り終わり
参列してくれた三百人以上もの方たちの
誰もが棺の中の息子の顔を覗いた瞬間、
身体を背けるように、表情を強張らせる

弔問、参列してくださった方の多いことは
非常に有り難かったが…

当時ニュースや新聞欄にまで掲載されて
いたことを後で周りの知り合いが
教えてくれた

永遠のお別れなのに
直視してくれる人がいなかったことを
今でも思い出す

そうだよね、、、
私だって最初に遺体と対面した時
誰だかわからなかったもん


いつもいつも蘇ってくるのは
その最期の顔ばっかり

顔…うん、顔のほとんどが…無い
元々、細面だった輪郭はどこにもない
右目、鼻、口はガーゼで塞いであった
ガーゼを当ててあったが
鼻の盛り上がりもないので
直ぐにどんな状況になってるかはわかった

唯一見れたのがピンポン玉状に
飛び出した左側の眼球だけ

あまりにも悲惨、無残な事故死

遺体確認のために
一番はじめに息子の顔を見た夫は
耐え難かっただろう

短命、ほんの一瞬で命が尽きた 

明日が必ずやってくるか?
今日という一日を事なき終えて過ごせるか?

ついさっきまで笑って
たわいも無い会話をしたはずなのに…

一瞬で天に召されていった家族を持つ
私たちには…

「明日が必ずやってくる」なんてことが
わからないことを知っている


あの日は雪が舞ってたね
相手は3〜4トンもある大型のトレーラー

こんなことになるなら…

こうしてやっておけばよかったとか
あーしてやってればよかったとか

最後になるなんて思いもしないからさ、
今更「たられば」ごとを
考えてももう遅いけど。


私がこのブログを始めたのは
乳がんになったことがきっかけだったので
特に家庭の内情などを綴るつもりはなかった

書きたくないことは書く必要はないし


でもこのできごとは書きたくないんじゃなくて
書けなかった(書く必要はないのかもしれない)

今書いていても喉の奥がつかえたように
なって呼吸が苦しくなりそうになる

普段から私自身はあまりいろんなことを
隠したりする性格ではないので
愚痴や弱音、楽しいこと、嬉しいこと
何か感じればブログに残す

でもこの上の子を亡くしたことは
幼なじみとほんの数人のブロ友さんにだけ…

話す時に苦しくなってしまうので
精神科に通院している理由の一つには
このできごとがあったからだろう…たぶん
わからないけど…


ただ、「不思議なこと」に気付いたから
今回書き残そうと思う。
書くことにもの凄く勇気がいるが…

私たち家族は今、三人で幸せいっぱいに
見えるだろうな、他人から見れば。

幸せを噛み締めないとだめだと思う。
噛み締めて生きてるよ
本の少しでも握り締めないと
だめだと思うから。
感謝しなきゃいけないと思うから。


三人になった家族の誰もが
19年経っても思い出を語らない

違う、語れない
生きてた頃のことを思い出すと
19年前に私たち家族に起きた
「一瞬の無残で悲惨な死」に
たどり着くことになるから

でも今年の今日は
天国の息子からのメッセージ?かも、、、
そんなことを
気付かされたような気がしてならないから
書く…書こう…私なりに…


ほんとに今頃だが、、、この2月に入り
今まではこの命日が近づく2月が嫌で 嫌で
ただただ胸が苦しくてたまらなかった
勿論、今日も変な夢ばっかり見て目覚めは
悪いが。



19年前の今日…

幼なじみや下の子のママ友たちは知って
くれてるし勿論、マンションでも
仮通夜をしたので狭い玄関から和室の 
息子が眠っている部屋はかなり狭く
手を合わせに来てくださった方々で
マンション下の坂道まで長蛇の列だった…と
これもマンションに住むママ友が
あとで語ってくれた

こんな一番寒い時期に申し訳なく思ったが
後から後から続く弔問客の多さに

「あぁ、○○はこんなにも親しまれて 
いたんだなあ」と初七日の後で
夫と息子のことを話した

事故原因はバイクと大型トレーラーの
衝突事故だった

車の免許を取得したばかりだったが
なぜか車よりバイクを欲しがった

ちょうど19年前の今日は深夜から
雪が舞ってた

成人式を終えたばかりで
大学2年の2月19日 二十歳

当時、結婚式場でバイトをしていた息子は
その帰りに三人の友人を
一人一人アパートまで
送り届けた

その友人を皆んな送り届けた
後の雪道でトレーラーと衝突

朝の4時過ぎに家の電話が
鳴った
間違い電話かな?とも思い
夫が半分寝ぼけて電話を取った

夫の声のトーンがおかしい

電話の相手は
搬送先の病院に居た救急隊員の方からだった

こんな深夜の誰もが寝静まった時間…
まさか息子とは全く思いもしなかったが
電話に出て切ったあとに夫が
「○○がかなり酷い事故で
危険な状態らしいけん今から
搬送先の病院に行ってくる」
え?こんな時間に…


夫41、私が32、下の息子は小学1年生

「私も行く」
と言ったが下がまだ1年生の息子

「お前たちは家で待ってろ」と、、、

この待っている時間がたまらなくて
下の息子を起こして着替えさせ
よくわからないけど
直ぐに私も病院へ行けるよう準備を
始めていた

頭に浮かんだのは

もしかすると何らかの障害が
残るような事故かな…
勿論「死」なんてことは考えるはずもなく… 

心を冷静にすることで精一杯

家を出て病院に向かった夫から
しばらくして電話が入り

「もう搬送されたけどほぼダメな
状態やったらしい、遺体確認をした…

今から○○を連れて帰ってくるから
和室を片づけて布団を敷いて待っといてくれ」
と言われ電話が切れた

ダメってなんなん?
ダメってどういうこと?
ダメってなにが?

足から力がスーッと無くなるのが
わかった

でも、待て、しっかりしろ私
下の子も眠いのに起こされ 

とにかくしっかりしろ、違う違う…

ちょっと待って?どうしようか?
冷静になろうとするが
心臓の鼓動が止まらない

下の子は早朝に起こされ訳も
分からない感じだったが
私はとにかくタクシーを直ぐに呼び
下の子を連れて搬送先の病院に向かってた

読んでくださってる方は
年齢からも察しておわかりでしょうが
上の子と私は血が繋がっていません

私は初婚、出逢った夫には知り合った当時、
6歳になる男の子が居た
その子が亡くなった私たちの上の息子です…
2歳の頃に離婚し、夫が引き取り
実家で育った

母親は子育てノイローゼだと…
これを聞かされたのは夫ではなく
夫の義父からだった

お腹を痛めて産んだ我が子を
育てられなかった…
私には理解できなかったけど

息子は母親の顔を知らないと…

まだ私自身も若かったので直ぐに
「結婚」という考えはなかったので
夫とは約6年の交際を経て
息子が中学生になった年に結婚

一番思春期の年頃だったが
結婚までが長かったし息子も
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」と
結婚前から遠足のお弁当を作ったり
小学校の運動会も勿論弁当を大量に作って
観戦!!
デートは三人で!!!
私もかた親で育ってるので息子の
気持ちは若いながらも理解していたし
一番居て欲しい乳飲み子の時に実の
母親が居ない辛さ…はなんとなくだが
わかるし愛らしい子だった。

凄くおっとりした優しい子で
私もボーっとした性格

私や夫は結婚式まであげるつもりは
なかったが義父がすごく気を遣ってくれ
息子○○のためにも式だけは
簡単でもいいから挙げなさいと。
結婚資金もお互いになかったが
身内だけでほんとに簡単な式を挙げた。


結婚当初、中学一年の息子は
「僕のお母さんになった人、綺麗っちゃんね」
と何を思ったのか(実際の顔は不細工)

自分の友達にもよく話してたと
テレくさいがこれも亡くなったあとで
息子の友人から聞かされた

そして結婚して約一年後に妊娠、出産


息子がある時、
台所に立ってた私の所に来て
「ねね、あのさあ、今度僕にも弟が
できたけんお母さんて呼んで良い!」と
言ってきた

普通はなかなか言えないはず

出会った頃がまだ私も20代前半で
若かったので「お姉ちゃん!」と呼ばれて 
きたからそんなことを言いに来てくれた時は
本当に嬉しかった

「お母さん!という響き!!!
嬉しい反面、
慣れていないし一瞬ドキッともした
実の子を産んだ以上に
母親としての「責任」を感じた瞬間だった

でも、一番初めに私を「お母さん!」と
呼んでくれた息子はもう居ない…
二十歳の永遠の旅立ちを私は32歳で
見送ることになった


親より先に逝った息子
今生きていれば
三十九歳と六ヶ月

結婚してたかな?
孫抱けてたかな?

一人になった下の息子も15歳の誕生日に
スポーツの厳しい世界へ飛び込んで
家から離れ私たち夫婦は
子供をもうけても居ないに等しい生活に
なった。

下の子は上の息子が亡くなったことで
私自身それなりに厳しく
育ててきたつもりだ
アホだが…
それはそれで育てた親が
私だから仕方ないが甘やかすことは
いくらでもできたが敢えて厳しく育てたつもり



昨日、18日にお墓掃除をして
墓に夫と手を合わせてきた
毎年この時期は墓周りは梅の花が満開なん
だけど今年はまだ蕾だけ…

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そして気付いたこと…今頃かよ…

息子自身はきっと何にも感じることなく
逝ったのだから
今もずーーーっとバイクに跨ったまんま
走り続けてるんだよね、今も大好きな
バイクに乗ってるんだ!って。

バカだね、私大事なことに
気付かなかった

それに気付かせてくれたのも
癌になったことがきっかけで
始めたこのブログ…

たくさんの方々と繋がった

そして

不思議なことに繋がっている
ブロ友さんたちに
バイカーさんも多いこと

バイクで大怪我を負われた方々も
いらっしゃること

私より一回りほど上の大切なブロ友さんで
あり今や心友さんですが…
すみません、失礼かなm(_ _)m
Kさん

そのKさんにはまだ直接お会いしたことは
ありませんが
やはり同じように若いころにバイクで
大きな事故に遭い腰から下に損傷を負われ
今はバイクに乗ることは
できなくなってありますが
一度私からお電話で尋ねたことがある

「Kさん、、、
それだけ大きな事故で損傷を負っても
もし…それでも今バイクに乗れるなら
また、バイクに乗られますか?…
乗りたいですか?…」と尋ねたら

「はい、また乗りたい!」Kさんは
そう応えられました

そっか!…
そうなんや!…
バイクに罪はないもんな…

私、、、息子の事故以来、正直、バイクを
見るのが凄い「怖かった」

でもこれも不思議…

昨年、現役バリバリのバイク大好き人間
ハーレーに跨って福岡まで会いに来てくれた
seizosf ちゃんとの出逢い
バイクに跨らせてもらった私…

バイカーさんたちと繋がり
ブログで走ってある画像を見ると
カッコイイ!楽しそうだなあ!
そう思うようになってた

これって息子からの
天国からのメッセージ?!なのかな🌈
「僕はまだ、走り続けとうよ!」

19年前の今日で止まった心は
私たち家族だけで

「息子はバイクで走り続けてる!」
そう思わなきゃいけないのかな?
そうだよね、本人は何にもわからないまんま
走り続けてるんだよね





一言で表現するなら
毎年この日が近づいてくると

私は息もできないくらい
「苦しい」…最期の顔が蘇るから

今日はあの日みたいに雪は
降っとらんよ…うん

寒かったやろ
痛かったやろ
でも何にも感じないまんま
いっちゃったもんね

それだけがほんの救いか?…

いや、友人たちを巻き込まずに
済んだ事が何よりの救いだ


すんげー汚い文字でノートを
破っのかぁ?苦笑

なんで父さんと母さんに
あんなあったかい置き手紙をポストに
入れたの?不思議だよ

大学は福岡県内だけど
大学が少し遠いので一人暮らしを
してた息子

一人暮らしなんかさせなきゃ良かった…
これも「たられば話」。

もう、いろんな後悔しかない

下の子が家を離れる時の感情も
とてもじゃないが言い表せなかったけど…


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普段、傍に居るから
手紙なんて書かないのに…

不思議だよ、最初で最後になった
置き手紙。。。


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「いままでありがとう。
これからもよろしく!」
って書いてあるけど全く意味わかんない

不思議で…

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あまりにも汚い文字だから目から
鼻水がポタポタ落ちて読めねーよ、バーカ


一年に一度だけアルバムを開く

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薄いよね…このアルバムの最後のページに
置き手紙も貼って毎年2月19日にだけ
頑張って読む…

頑張らないと読めない置き手紙




毎年この日は
後悔と懺悔の日になってるけど


息子は今日も走り続けてる!
大好きなバイクで🌈

気付くの遅いよねごめん。






父さんと弟Kのことだけは…

ずっとずっとこれからも二人が
元気でいられるように
あなたが今いる場所から
日差しになってそこで見守ってあげてほしい
息子に頼むのも申し訳ないが…

母さんは大丈夫σ^_^;
癌に罹患したよ…苦笑
でも癌の一つや二つや三つ…ヘコタレて
たまるかっσ^_^まだそっちには
いかなくて大丈夫そう

代われるものならね、代わってやりたいよ
ごめん


いつも家族を
見守ってくれて本当にありがとう
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遺影の笑顔に救われるかな。




{E2A4EF4F-CC0B-4150-9086-EC7DD9F69EFE}
曲がったバイクのキーだけが形見になった。

先日、ぴょん君を連れて我が家に
来てくれた涼さんたち…
手を合わせてくれてありがとうございます

そして命日を覚えてくださってたKさん
本当に感謝の気持ちでいっぱいです


痛み苦しんでる姿を看取るのも辛く苦しい

痛みも苦しみもなく看取る時間も
ないままに一瞬で逝かれるのもまた苦しい

車、バイク…ハンドルを握った時から
本人一人一人の責任である

これはただ歩いているだけでも同じ。


もし最後まで読んでくださった方が
いらっしゃったら

「一日を、そして
       一瞬を大切に大事に生きてください」

そしてどうかハンドルを握ったら
くれぐれも怪我や事故、命を落とすような
ことが決して起こらないよう
いつも私自身、皆さんの安全を願っています

命の尊さを感じています。


よかったらバイカーさんたち…
息子と一緒に走ってやってください!

楽しんでやってください!

いえ、本当に気をつけてほしいし
たくさん楽しんで走ってください。


天国の息子から伝えてくれ!🌈と
頼まれた気がしたのでσ^_^;




今日だけはどうしてもいっぱい いっぱい
泣いてしまうのでなかなかブログを
書くのに苦戦しましたσ^_^;

また、元気なブログを綴っていきます。


2018年 2月19日🌈フクロウ