恋愛や性に対して
ものすごい拒絶感があったのは
女であることに抵抗
していた事に気づいたんだけど、
これこそが、
まさに母親への復讐に
直結した事にも気づいたんだけど、
土曜日の夜に
アナフィラキシーショックを
発症した事も繋がっていた事に
さっき気づいた
ビックリだよね。
でもやっぱり全て
繋がってるんだね
そもそも、
女であることへの抵抗が
なんでお母さんへの復讐に
なっていたのか。
まず、
私の大前提として、
女の幸せの象徴が
「愛される喜びを味わうこと」で
その手段が「パートナーシップ」
だと思っている事に気づいた。
だから、
まるでそれを放棄するかのように
女であることに抵抗をして
恋愛が下手くそな私である事で、
お母さんに対して、
「あんたのせいで私はこうなった!」
と、復讐をしたかったんだ。
前回は、
ここまで気づいた事で
もうお腹いっぱいだったんだけど、
土日で
更に深まった。
まず、
私にはお母さんに対する
猛烈な「許さない」という
思いがあった。
それは、
怨念レベルだったから
呪縛になったんだと思うけど、
ずーっと許していなかった。
その思いは、
お母さんへの執着にもなってたし
お母さんへの拒絶にもなっていて、
結果的に、
強烈なコントロール欲
になっていた事に気づいた。
私はさ、
自分の強烈なコントロール欲を
ワガママだと認識していたから
全然気づかなかった
ワガママなんて
可愛いもんじゃなかったよ
私のコントロール欲は、
ものすごくドロドロとしていて
そこにはものすごい「恐怖」が
隠されていた。
始まりは、
幼稚園くらいの時。
近所の仲良しの男の子と
うちの押し入れで
イチャイチャしていたのを
お母さんに見られて、
それをお父さんにチクられて
「変なことしちゃダメ」と
怒られた出来事がキッカケだと思う。
うちのお父さんは、
性に対して「いかがわしいもの」
と思っている節があるのか、
テレビで
キスシーンとか流れると
パッとチャンネルを変えていた。
お母さんも、
「女の子は清く正しく美しく」
的な思いがあるような人だから、
色気とかに
拒絶反応を示していた。
でね、
怒られた時の私は、
その瞬間に、
男の子とイチャイチャしてはいけない
という、
強烈なルールを創っていて、
これがのちのち「女への抵抗」と
「恋愛下手」へと繋がってた。
じゃあ、
なんでそんなルールを
創ったかと言うと、
そうしないと
お母さんに捨てられるから
と、思ったからだった。
お父さんに怒られた時に
横にいたお母さんは、
ものすごく怖い顔をしていた。
その顔を見た私は、
お母さんに見捨てられる恐怖で
いっぱいになってたと思う。
その恐怖は、
お母さんに見捨てられたら
生きていけない、
死んでしまう!!!!
という恐怖だったんだ
この頃から
妄想の果ては「死」だったみたい←
だけど、
この恐怖は凄まじくて
ここから自分で自分を見張る
コントロール人生が始まった。
コントロール=エゴ
大人になるにつれ
見捨てられる事への恐怖
は、どんどん大きくなっていって、
いつしか、
私の中には、
最初から
愛されなければ
こんなに怯えなくていい
というルールが出来ていた
これが、
愛の受け取り拒否になっていて
私は自分を1番に愛さない相手ばかりを
好きになっていたんだと思う。
片思いが多かったのも
付き合ってしまったら、
その愛をなくす恐怖に
いつも怯えて疲れるから、
自分がブレーキをかけてたし、
エゴで恋愛をしていたのも
コントロールしたかったからだ。
コントロールを辞めたら
見捨てられてしまうかもしれない
という死の恐怖を感じるから
私は手放せなかったんだと思う。
アレルギーを
薬で抑えていたのも
今まではそれが自分への
愛のカタチだったけど、
それを
意図的に飲んでいない事で
私は無意識だったけど、
体へ解放のアプローチを
したんだと思う。
そうしたら、
今まで抑えつけていた
アレルギー反応として
アナフィラキシーショックが
起こって、
私は、
まんまと死への恐怖を
思い切り味わった。
だけど、
そこを感じ切ったからか、
今もアレルギー症状は
ほとんど出ていなくて、
それが
「もうコントロールしなくても大丈夫だよ」
という、体からのサインなのかと思う。
やっぱり
体ってすごいよね
まぁ、
私のやり方は
かなり激しいけども
あと、
弟への劣等感とか
無価値感とかも
全てここから来てたんだと
わかった。
私が悪い子だから、
お母さんは怒ってるんだ。
私がダメな子だから
いけないんだ。
だから、
私は愛されないんだ。
見捨てられるんだ。
この深い悲しみが
いつしか怒りとなって
「許さない」と呪いになった。
まさに、
呪術廻戦の世界やん←
私はさ、
愛してくれないなら
最初から愛される事なんか
望まない!!!!
と、
ずーっと泣き叫んでたんだと思う。
傷つきたくなくて、
見捨てられる恐怖を
味わいたくなくて、
ずっと拒絶してたんだ
だけど、
本当はめっちゃ愛されたいから
ものすごく執着もしてたんだ
この
失うことの恐怖
が、私にとって1番怖いことだから、
お金もさ、
実は使う事に対して
ものすごく抵抗がある事に
気づいた
私、
お金を使うのが得意だし
そこには何の抵抗もないと
心底思ってたけど、
実は、
その行動は、
この「失う事への恐怖」を
巧妙に隠す為の行動だったんだよ。
エゴのコントロールって
神業だと思うわ
失うことが怖いから、
貯金に興味がなくて
入っては使っていたんだ。
取られるくらいなら
自分で使ってやる!ってね。
あー、だから、
お金がたくさんあると
取られる=失うと思っていて
ここにすごく嫌悪感と恐怖が
あったんだな。
やっぱりお金も
私が入ってくるのを
止めてたんだ
お金を失う恐怖から
自分をコントロールしていたけど、
そこにもう疲れちゃったから
何もやりたくなかったんだなぁ
そんな私にさ、
体が「コントロールしなくても
死なないから!大丈夫だから!」
と、教えてくれてるんだと思う。
もっと、
私を信じてよ!!!
と。
エゴ主導で生きるのを辞めるとは
魂主導で生きるって事で、
それは結局、
コントロールする事を辞める
って事だった。
てかさ、
まさか自分を
こんなにコントロールして
いたなんて本当に知らなかった
全然
自由じゃなかった。
エゴの範疇で
自由になっただけで
ものすっごい狭かった。
お金がある私もない私も私。
愛される私も愛されない私も私。
どっちでも私には変わらない。
なのに、
私はずーっと
お金がない私は価値なし!
愛されない私は価値なし!
と思ってた。
その思いは、
見捨てられるくらいなら
最初から愛されなくていい!
と、ものすごくひねくれた思いと、
傷つきたくない
悲しみたくない
あの恐怖を感じたくない
という抵抗から生まれていた。
そして、
自分がその呪いをかけたのに
私はずーっとお母さんのせいにして
「許さない」と呪ってたんだ
それは、
お母さんが大好きで、
お母さんのように
なりたいと思ってたからで、
本当は、
ただ愛している事を
感じたいだけだったし、
愛してると
伝えたいだけだったんだ。
何よりも、
こんな壮大なコントをする私を
魂の私は見捨てることなく
ずーっと愛し続けてた。
外側ばっかり見て
「ない、ない!!!」と
騒いでいたけど、
内側には
ずーっとあった。
呪うような私も
拗ねちらかす私も
ひねくれてる私も
見張る私も
コントロールする私も
すぐ怯える私も
大袈裟な私も
魂の私は、
変わらずにずーっと
愛し続けていた。
今日まで
私を生かしてくれた。
気づいては忘れる私なのに
いつまでもずーっと
待っていてくれた。
ありがたいなぁ
健気だなぁ
何度、
裏切ったかわからないのに
それでも何も変わらないんだなぁ
自分からの愛ってすげー。
まだまだ
コントロール欲は
あるけども、
もうこれは
クセでしかないからな
大丈夫、大丈夫と
伝えていこう。
私にとって
愛される覚悟とは
なくす恐怖も受け入れる
って事でした。
なくしてもいい。
それでも私は
何も変わらない。
このマインドを
育てようと思います。
これが、
何者でもない私で
生きるって事なのかもだね。
三浦明美