牡羊座新月の日に、
私はずっと愛されていて
豊かさの中で生きていた事に
気づいたら、



それは、
今も続いている事に
気づかせるかのように、



お母さんが「ヘルニア」と診断されて、
遂に布団から起き上がれなくなった。



うちの両親は、
畳の上に布団を敷いて寝てるから、
ヘルニアの人が起き上がるには、
結構辛い状況なんだと思うアセアセ



更に、
お母さんは全然動いていないから、
筋肉が減ってる上に硬くなってて、
とても大変。


今まで、
極力関わらないようにしてたから、
そんな事にも気づいていなくて
本当に申し訳なくなったけどアセアセ


ここで、
自分を責めても
全く意味がない事は
もうよくよくわかってるから、


今朝は、
弟も巻き込んで、
家族総出でお母さんを救出した🏥


5時間かかって、
立ち上がった時は、
クララが立った時の
ハイジの気持ちがよくわかったよえーん
(ネタが昭和)









そんな中、

先週の金曜日に、

整形外科の診察券を探しがてら、

お母さんが使っていた引き出しの

断捨離をした。




その引き出しには、

主に病院の領収書や

ここ7年くらいの

血液検査の結果の紙が

大量に入ってた。




基本的に、 

物を捨てられないお母さんは、

何でも取っておく人で、

断捨離好きの私からすると、

意味がわかんなかったけど、



今回は、

そのお陰で、

いつくらいから

体の不調が出ていたのか

よくよくわかった。



お母さんは、

76歳から急激に

血液検査の回数が増えてた。



糖尿病と診断されていたのも

思っていたよりもずっと前だったし、

大腸のポリープ(陽性)も

2回も取ってた。



そして、

それらの用紙が

グチャグチャに

保管されていた事から

認知症も始まっていたんだと思う悲しい




7年前って、

ちょうど私が会社を辞めた年だよゲロー



皮肉な事に、

家にいる時間が増えたのに、

野球観戦に没頭して

全く気づいていなかった。



お母さんは、

いつまでも元気で

私を守ってくれる人で

いて欲しかったもんなぁ悲しい



だけど、

思い返せば、

一緒に野球観戦に行った時も

もう様子がおかしかったから、

私は何度もイライラしてたアセアセ




あの時に、

怒って終わるんじゃなくて

病気の可能性を疑っていれば、



もっと早く、

認知症の進行を遅らせる薬を

飲めてたのかもしれないなぁ。。




でもさ、

これも自分を責めても

何の意味もないから、




そこを反省して、

今のお母さんの様子を

毎日チェックしていくしか

ないよね。




話が逸れたけど笑い泣き




領収書の整理をしていた時に、

「これって普通は亡くなった後に

よくやるやつだよなぁ」と思った。




遺品整理じゃないけどさ、

離れて暮らしていて、

尚且つ仕事をしていたら

中々、実家の片付けって

出来ない。




亡くなってから、

初めて片付ける事が多い中で、

私は本人の目の前で、

ビリビリと破いてた笑い泣き




土曜日は、

お父さんに頼まれて

お母さんの洋服の断捨離も

したんだけど、




私は、

お母さんが亡くなってから

断捨離をする事になっていたら、

きっと耐えられなかったなと思った。




近くに本人がいるのに、

お気に入りの服を見ると

その服を着て楽しそうに

笑っていた姿を思い出して、

思わず涙が出た。




こんな作業、

もし亡くなっていたら

私には悲しすぎて

拷問だったと思うアセアセ




そう思うと、

お母さんは全く無自覚だけど、

これもまた「愛」なのかなぁと思った。




あんまり考えたくないけど、

少しずつ少しずつ、 

でも確実に、

お母さんがいなくなる日に

向かっていってる中で、




その日が来た時に

受け入れられるように。




そのくらい、

私にとってお母さんの存在は、

とてつもなく大きい事も

改めてわかった。




今だって、

お父さんと弟がいなかったら、

私はきっと耐えられない。




これもまた、

とても皮肉だけど、

お母さんが認知症になって、

やっと私たちは、

本当の家族になれたと思う。




カッコつけず、

お互いが本音を話して

みんなで助け合って

お母さんをサポートする。




みんな、

お母さんが心配で、

少しでも心地よく過ごして欲しくて

知恵を出し合う。




そんな状況の中、

すごく不謹慎かもだけど、

私はすごく豊かさを感じてる。




うちの家族には

絶対に「ない」と思っていた

「家族愛」を感じてる悲しい




ここにも、

ずっと憧れていて、

いつか手に入れたかったものが、

既にあったよ。



愛されていた事や

豊かの中にいた事に気づいたら、




それは、

今もそこにある事を知った。




お母さんが認知症になってから、

私はずっと自分は不幸だと思ってたし、

何度もお母さんを恨んだ。




どうして、

私がこんな目に

遭わなきゃいけないの??




どうして、

お母さんは

認知症になったの??



私が、

何をしたと言うの??




と、

ひどく思ってたけど、




そういう受け取り方だと

本当に望む世界には

いけない事を教えてくれてたんだ。




その現実がやってきたのは、

宇宙(潜在意識)からの

成長の為の試練だった。




そして、

ようやくこの試練を通して

送っていたメッセージが、

わかった気がする。




あなたには、

感謝の気持ちが足りないよ。




自分だけが不幸だと

嘆き悲しんでいるけれど、

本当は全く不幸なんかじゃないし、



すでにある「愛」と「豊かさ」に

気づく事で、



過去にも今にも

「感謝をすること」が足りないよ。





これに、

気づいて腹に落とす為に、



お母さんは、

認知症になったんだと思った。




そう思うと、

認知症と診断された

2022年12月から、 

「脱・悲劇のヒロイン」

真の自立への流れが

始まっていたんだなぁと思う。




でも、

私が生きづらさを感じて

苦しくてつまらなかったのは、

感謝の気持ちが足りなかったから

なのかもと思えてならない。




なんせ私は、

ほんのつい2年前まで、

鬼高いプライドがあって、

比較とジャッジの塊の

傲慢な女だったから滝汗




お金しか

信じていなかったし、

誰に対しても心を閉じて、

本音を言わない人だった。




自分が

そういう人だとすら

わかってなかった滝汗




でも、

ここに気づかないと

私は一生、悶々として

生きていただろうから、




お母さんが、

自分の体を張って、

気づかせてくれたんだと思う悲しい




私は、

お母さんじゃなきゃ、

気づけなかったと思うもの。




もちろん、

たくさんの人達が

見守ってくれて、

関わってくれたから、

ここまで来れたのは、

あたりまえで。




そう思うと、

マジでこの苦しかった2年間に

感謝しかないえーんえーんえーん




ありがてぇえーんえーんえーん









とは言え、

私がここに気づいたとて、

お母さんの認知症が

急に治るわけでもなく



普通に、

これからもサポートは続く。



その中で、

ムカつく事もあるだろうし、

何が起こるかわからない。



でも、

それも全て、

ありがてぇ事でしかないし、




何よりも、

今の私には、

愛されていると

思える安心感と、




私の世界は、

豊かで優しい事への

感謝が止まらなくて

何か知らんけど、

幸せだから笑い泣き



どうにかなると

心底思えてる。



そして、

これもみんな同じなんだ。




みんな、

すでに愛されてるし

豊かだし優しい世界で

生きてるんだ。



そう見えなかったら、

受け取り方や、

見てる視点が「ない」に

フォーカスされてるだけ。



本当に、

それだけだと思う!!




だって、

私の目の前の現実は、

前よりも認知症が進んだお母さんがいて、

お金に困ってる私がいて、

何も変わってない笑い泣き




現実だけを見たら、

こんなブログは書けないし、

支払いの為に動いて、

目が血走ってそう滝汗




まぁ、

そういうのも

散々やったから、

さすがに体が覚えている

のだと思うけど笑




やっぱり、

地球という星は、

この現実世界というものは、

見えないものが創ってると思った。




意識が先。

現実が後。




これが、

この世の真理やーラブ




なんか、

急に眠くなったので

終わります笑い泣き←え




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三浦明美