今思えば、
この前日に、
検査で札幌医大に行った時、
お父さんのお迎えを待つ間に
院内のスタバで飲み物を買って
待合室でお喋りしたのが
最後の2人のお出かけ時間だった。
あのときの私は、
同じことを何度も言ったり
話が通じなくなってきたお母さんに
キーキーブチ切れてばかりいたし、
そんな自分の事も
本当に嫌いになっていて、
なんでわたしが
こんな思いをしなきゃならないのか、
なんでこんな事が起きてるのか
全くわからなくて、
ただただ
運命のようなものを恨んでた。
なんとか必死に
自分とは向き合っていたけれど
仕事をする気力もお金もなくて
本当に絶望を味わっていた。
そんな時に、
スタバを飲みながら
お父さんを待つ時間に
奇跡が起こった。
その瞬間だけ
認知症になる前のお母さんに
まるで戻ったかのように、
楽しく談笑できたの。
わたしも
あんなに穏やかな気持ちになったのは
本当に久しぶりだったから
今でも強烈に覚えてる。
だから
あの時は、
このまま
お母さんの介護はわたしがしよう
とすら思っていた。
でも、
そう思った次の日の朝、
お母さんが高熱を出して倒れて、
救急車で運ばれた。
そして、そのまま、
3週間の入院の後、
弱った足の筋肉を戻すために
リハビリ専門の病院に転院して
秋に施設に入所して、
去年の11月の末に
施設から救急搬送されて
末期ガンと判明して
たったの1月半で亡くなった。
もはや一生わからないけど
2年前に救急車で運ばれた時は
すでにガンになってたんじゃないか?
と思うんだよね。
だって、
その時点で余命1年半だったんだから。
でも、
たとえその時にガンが判明しても
何も出来なかったかもしれない可能性の方が
遥かに高かったんだろうなと思うし、
そもそも
すでに認知症だったわけで、
そう思うと、
やっぱりお母さんの人生は
完璧な流れだったんだろうなって思う。
あれから2年。
今のわたしは、
自分の内側が安心で
心地よいものだと知った。
あんなに
現実に振り回されて
未来や過去のことばかりを
考えていたのに、
あまりそうならなくなった。
どうにかしようとか
どうにかしなければと
考えることもほほなくなった。
それよりも、
今この瞬間を感じることに
意識を向ける事が増えてきた。
不思議なんだけど
その時間が増えていくほどに
お母さんとの繋がりを
感じるようになってる。
だから、
会えない寂しさや
居なくなった悲しみに
浸ることがほぼなくなった。
ここから
わたしの人生がどうなっていくかは
全くわからないけど、
楽しみの気持ちが大きい。
わたしは
わたしのままでいればいい。
と、腹の底から言い切れるようになった事が
1番嬉しいことかもしれないな。
自分のことは
自分にしか許せないことも
自分のことは
自分にしか幸せにできないことも
自分のことは
自分にしか愛せないことも
この2年で経験した財産。
初めて
お母さんがいない
お母さんの誕生日を迎えて
また1つ経験が増えた。
ありがとう。
お誕生日おめでとう。
ずっと大好きだよ。


