日本海軍 歴代の飛行帽 | 軍装 製作 赤とんぼのブログ  インスタグラムはこちらです→ ki9.k5y

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日本軍の歴史に興味があり、その歴史を残していく方々の中のひとりになりたいという思いで製作に励んでおります。日々研究し、オーダー製作、修復もしております。ヤフオクに出品中の商品はこちらhttp://sellinglist.auctions.yahoo.co.jp/user/ryotacrash?

こんばんは。
本日は、日本海軍の飛行帽(冬用)のなかで
資料でよくみられるタイプをご紹介したいと思います。
 
 
 
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右から、前期型のなかでも初期の頃の飛行帽。
次に電信・偵察員用とされる昭和15年5月制定の飛行帽。
次に後期型飛行帽。
最後はレシーバーが内蔵された三式飛行帽。
 
 
ちょうど75年前の今朝、「真珠湾攻撃」のためにヒトカップ湾から出港した日です。
歴代の飛行帽にもあてはめてみたいと思います。
 
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九七式艦攻を満載して航行する゛蒼龍"
南雲忠一中将指揮下の旗艦「赤城」および「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」を基幹とする日本海軍空母機動部隊は択捉島の単冠湾に集結。出港直前、空母「赤城」に搭乗員達が集合し、南雲中将が米太平洋艦隊を攻撃することを告げた。(搭載機合計380機)
1941年11月26日午前6時、南雲機動部隊はハワイへ向けて単冠湾を出港した。日本時間1941年12月 8日未明、ハワイ時間12月7日、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による、「真珠湾攻撃」。
 
 
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飛行帽で見てみますと、ちょうど真ん中の昭和15年制定と後期型の間が境になります。
 
 
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資料では、この「真珠湾攻撃」より後になってから、白色系の毛色が多く見られます。
 
 
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【前期型(初期)】
特徴としては、鼻口当てマスクのホックが縦に二つ付いています。
飛行帽の縁周りは兎毛と表革をパイピングで押さえているのがわかります。
顎バンドの顎部分には兎毛を縫いつけてあり、顎当て部分のクッション性を増しています。
初期頃の兎毛の色は濃い焦げ茶色が多く見られるようです。
 
 
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【昭和15年5月制定】
電信・偵察員用でレシーバーや伝声管が使いやすいように考えられています。
伝声管の受話口の円形部分と同サイズにステッチが円形にあり、中央に伝声管の穴が見えます。
真珠湾攻撃の際にも被っておられるお方が多く、特に複座機の搭乗員が被っておられました。
 
 
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【後期型】
1942年ぐらいに官給品として製作されたもので、真珠湾攻撃後におおく見られる飛行帽になると思います。
最初に比べると作りがかなり簡素化されたように感じますが、よく考えられた作りになっています。
主に、フェルトレシーバーを対応できるように、飛行帽で押さえつけるような装着がみられます。
毛色が濃い茶でなく、薄茶~白色が多く見られます。
 
 
 
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【三式帽】
電気通信機の会社である、東洋通信機(株)製です。
零戦は五十二型になって無線機が従来の九六式空一号から新型の三式空一号に更新されており、これに合わせて飛行帽も、左右の耳の部分にある受聴器が丸く膨らんだ新型の『三式飛行帽』に変わった。
海軍で最初で最後のレシーバーを飛行帽に内蔵した飛行帽になります。 
ちなみに、海軍の撃墜王の岩本徹三特務中尉も三式飛行帽を被っておられました。
 
 
 
 
 
みなさま、いかがでしょうか。