日本模型新聞 昭和32年12月5日号、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

今日も最後のほうに書いています、特に松井さんへ書いていますので読んで下さい。

 

        (昭和32年12月5日 日本模型新聞)

 

松井さんと知り合ってもう22年ほどになります。

なぜ私と松井さんとの関係が今のようになったのかについては、松井さんご自身がよくおわかりになっているはずです。

当初の15年間は楽しい思い出ばかりが思い出されてしまいます。

マスコミ界での著名人である松井さん、そしてタミヤ模型が誰よりも大好きな松井さん、模型研究の第一人者である松井さん、

そのような松井さんに声をかけられた私は本当に嬉しかった、

ド素人で、学もない私が松井さんとお付き合いできることが、私の自慢でもありました。

狭い我が家にも2回ほど来て下さいました、

松井さんが神戸方面へいらっしゃった時には、私も仕事をサボって神戸駅で待ち合わせし模型店へお連れしたりと、

中でも一番の記憶は、私が運転する車で「小松崎茂美術館」、そして、尾道での戦艦大和のオープンセットを見学しに行ったことでした。

そして、「明石小五郎」という名を世間に広めていただいたのも松井さんでした。

それらのご恩は今でも忘れることはできません。

 

それが7年前から私は松井さんを追求することになってしまいました。

その原因なども松井さんご自身が充分におわかりになっているはずです。

7年間松井さんを追求し続けてそろそろ私も疲れてまいりました、

もう、そろそろ終わりにしませんか、

このままでは、松井さんの信頼性というのは薄くなっていくばかりです、

マスコミ人は正確な情報を発信しなければなりません、

正しい情報を発することがマスコミ人としてのあるべき姿です。

ましてや、捏造することなどとんでもないことです。

 

最近の事例でも正確な情報は発信されていません。

ご自分の都合のいいように発信されています。

「タミヤ 模型史研究顧問」の件でもそうですが、あの発信表現では皆が誤解してしまいます。

もう一度、ご自分のXツイッターで正確なことを発信する気にはなりませんか、

それを第一歩にしませんか、

ご自分を大きく見せる必要はありません、今でも松井さんは業界でも大きな存在です。

もう一度言いますが、今のままでは松井さんの信頼性は薄くなっていくばかりです。

 

私と違って松井さんの人生はまだまだこれからです。

お互いに人様に迷惑をかけづ、清く正しい人生を送っていこうではありませんか。

 

◯ 数ヶ月ほど待ってみよう、

  それでもなんの動きもなく、あるいはまた嫌がらせ、妨害工作などが確認できたら、

  最後の手段として僕が今まで書いてきたことが証明できるようなものを紹介したい、

  そう、本当はここで書いてはいけないような暴露的なものがいくつもあるので、

  それで松井さんの信用性というのがゼロに近いものであることが証明できるだろう。