日本模型新聞 昭和47年11月13日、20日号、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

         (昭和47年11月13日 日本模型新聞)

        (昭和47年11月20日 日本模型新聞)

 

興味深い記事を見つけた、

 

 

弁理士の井沢武氏が「プラモデル」の名称の考案者の一人であるという、

エッ、そのようなこと初めて知った、

「プラモデル」の名称はマルサンの社員の話し合いで決まったものと書いてあったが、

 

そう、和工樹脂が社内で使っている「プラモデル」、「プラカラー」の名称をパクリましょう、

 

 

 

今は、その「プラモデル」の商標権を管理している特許事務所は下記の、「下坂・松田国際特許事務所」となっている、

所長は下坂弁理士先生である、下坂弁理士先生は女性弁理士の草分け的な存在の先生である。

下坂・松田国際特許事務所: HOME

 

なお、下坂弁理士先生は「プラモデル」の商標登録については否定的なお考えである。

その理由は、

 

◯ 「プラモデル」という商標はすでに「普通名称化」となっており商標登録する意味はない、

  「プラモデル」という名称を普通にドンドン使ってもらったほうが宣伝にもなり、プラモ  

  デルの普及にもつながる、

  ゆえに、

  仮にその商標権を誰かが侵害したとしても、商標権利者としての主張は通らない可能性が高

  い、

  なぜ、「日本プラモデル工業協同組合」が未だに商標登録をし続けるのかその意図がよくわ

  からない。

 

「日本プラモデル工業協同組合」の顧問弁理士先生がそのようにおっしゃるので、僕は非常に驚き納得したのであった。

 

なぜ未だに「日本プラモデル工業協同組合」が「プラモデル」を商標登録し続けるのか、僕の妄想ではあるが、

 

◯ 「プラモデル」という名称はマルサン商店が商標登録したものであり、日本初のプラモデル

  はマルサン商店である、といつまでも言い続けたいからであろう。

  しかし、「プラモデル」という名称はすでに普通名称化され、現実はプラスチックモデル 

  を指すことを忘れてはならない。

  そう、プラモデルといえばプラスチックモデル、プラスチックモデルといえばプラモデル

  のことである。