(昭和54年5月1日号 日本模型新聞)
今井科学は帆船模型に力を注いでいた、
また、アオシマ文化教材社は積極的に広告を打ち出している、
国産初のプラモデルについては次にように書かれている、
印刷がちょっと不鮮明なので読みづらい、
国産第一号プラ模型はニチモの伊号潜水艦(百円売)であった、......
プラモデルの元祖である当時のマルサン商店では、米R社の大型本格的プラキットのほか、マッチ箱大のパッケージによるフリースケールの飛行機シリーズがオリジナル商品として開発され、
売価20円という......
もちろん、この記事は火星人さんが書いたものではない、
そう、この頃はすでに火星模型店も廃業され、日本模型新聞の社友としても引退されていた、
国産第一号プラ模型とか、プラモデルの元祖であるマルサン商店とか、ややこしいことを書かれている、
もちろん、日本プラスチック、ハマライト化学、和工樹脂、の名など出てこない、
何度も言うように、日本プラスチック、ハマライト化学、和工樹脂は日本模型新聞社に記事、広告を持ち込まなかったから模型界に知られることがなかった、
つまり、その後のプラモデルの歴史において表舞台に現れることがなかった、
今のように当時は情報網が発達していなかった、模型界のことを知るには日本模型新聞しか手段がなかった、そう、記録としては紙媒体の日本模型新聞というものしかなかった、
模型の歴史を知る上で日本模型新聞は今では第一級の資料である、これ以上の資料はない、
もうシツコイと言われてしまうが、日本模型新聞社に記事、広告を持ち込まないとそれには載らない、
それをうまく利用したのがマルサン商店であった、
マルサン商店は元々が光学製品、玩具製品がメインだったので日本模型新聞に記事が載ることはほとんどなかった、
それが突然に「国産初のプラスチックモデル誕生」などと広告、記事を日本模型新聞社に持ち込んだものだから話題になり、それが日本初のプラモデルメーカーとなってしまった、
もし仮に、日本プラスチック、和工樹脂が広告を日本模型新聞社に持ち込んでそれが記事、広告となっていたらどうなっていたのだろう、
言うまでもなく、当時から日本プラスチック、和工樹脂が日本におけるプラモデルの元祖となっていたのは間違いないだろう、
このような事例はプラモデルだけでなく幾つも事例はある、
そう、発明はしたけれど新聞などで発表しなかった、また発表が遅れたために一番目の発明者になれなかった事例など多くある、
極論すると、早く言ったもん勝ち、ということだろう。
すでに紹介しているように、和工樹脂は日本模型新聞社には広告などを持ち込まなかったが、玩具界には広告を打ち出していた、
それが、「玩具商報」であった、
これは、昭和34年4月の玩具商報、
和工樹脂の広告
そして、「ニッサングラフ」、「モーターファン」の月刊誌に和工樹脂の「ダットサン1000」の組み立て記事が載っている、
ただそれは和工樹脂が出版社に持ち込んだものではないだろう、
おそらく、その出版社が和工樹脂のダットサン1000のプラモデルを模型店で見かけて、あるいは誰かに知らされて記事にしたものと思われる、
そのおかげで昭和33年10月以前に発売されたことが証明できたのであった。