新年早々から大変なことになりました、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

「新年おめでとうございます」とご挨拶したいところですが、

 

新年早々、大変な出来事がたてつづきに起こり、とても「新年おめでとう」と祝うことなどできなくなりました、震災で亡くなられた方々、被災された方々、そして、羽田空港の飛行機事故で亡くなられた海上保安官の方々、負傷された方々にはお悔やみとお見舞いを申し上げます。

そして、我が身の危険を顧みず、命をかけて救助活動を行っている方々に敬意を表します。

 

ニュースをみるたびに犠牲となった方々が増えています、

どうかこれ以上、犠牲となった方が増えないことを願うことしかできません、

幼子が犠牲になったというニュースを聞くともう胸が張り裂けんでしまうほどの思いです、

 

くしくも29年前の令和7年の1月17日には阪神淡路大震災が発生し、とても他人事とは思えないのです、あの時、僕は淡路島の震源地から4キロと離れていない須磨海岸を走っている電車の中でした、電車の突然の物凄い衝撃と振動、そして物凄いローリング、電車は急ブレーキをかけても直ぐに止まるわけがなく転覆することを覚悟しました、ところが、走り続けながらも脱線転覆することなく無事に停車することができました、その時の運転士さんの証言によると、レールは波のようにウネッていたと言います、

またその時は、隣のレールとは貨物列車とすれ違っており、その貨物列車も脱線することなく無事でした、もし脱線していたらと思うと今でもゾッとしてしまいます、

止まっている電車でさえ横転していたということですから、今考えてもまさに奇跡に近かったと思っています、

うちの誰かさんに後から聞いたら、絶対に電車は転覆してその下敷きになって死んでいるかも、

と思っていたらしいですが、悪運強い僕はまったくの無傷でした、

こればかりはまったくの運命としか言いようがありません、

 

その阪神淡路大震災から29年、僕はいまだに生きながらえています、

あと何年生きられるかわかりません、

ただ、残された年月は少ないことだけは確実です、長くても10数年?でしょう、

 

新年早々大変な幕開けとなりましたが、模型界ではどのような年になるのでしょうか、

僕としては今まで通り言いたいことを言っていくつもりです、

はい、ド素人の模型界の危険人物として貫くつもりです、

ただ、僕以上の模型界の危険人物はいます、

もう誰とは言わなくてもおわかりでしょう、引き続き注視していくつもりです、

 

この歳になって特に目標などなく、流れに任せてボチボチとやっていきます、

流れに逆らうとロクなことはありません、

 

とにかくアホな人間ですが、今年もよろしくお願い致します。