「マイティジャック」は今年で55周年に、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

あまり気にしていなかったが、今年は「マイティジャック」55周年だという、

そう、その放映が始まったのが昭和43年4月のこと、

 

            (昭和43年3月25日 日本模型新聞)

 

実は、その昭和43年4月といえば僕が銀行に入行した年、

初めての勤務店が大阪生野区の勝山通り支店であった、ただその店も20年ほど前に他の店に統合されその跡地にはマンションが建っている、

 

新入行員ということで、その頃は仕事を習得するのに精一杯で今では考えられないほどの時間外労働があった、毎日夜の9時、10時は当たり前で月の時間外はゆうに100時間は超えていただろう、そう、基本給より時間外勤務手当のほうが多かった、

なので100時間を超えても特に不満などなく、むしろ時間外労働が嬉しかった、

そもそもが当時は今のようにコンピューターなどがなく、ソロバンで手書きの時代だったので定時の5時までに終わるはずがなかった、

それがソロバンの世界からコンピューターの時代となり、そして労働時間の規制などによりすっかり世界も変わってしまった、

 

そのようなことで、平日はテレビなど観る余裕もなかったので「マイティジャック」も観たことがない、そうそう、当時は宿直があったので宿直室で「イレブンPM」はよく観ていた記憶がある、もちろん、「マイティジャック」のこともその放映も知ることはなかった、

 

イメージ 1

 

僕が持っているマイティジャックのプラモはこの秘密基地だけ、

なぜこれだけは持っているのかはすでに紹介しているように、「マルコ模型店」のショーケースに飾ってあったからであった、

店主が「もうそろそろアンタが来る頃だから出しておいたよ」とショーケースに飾ってあった、

僕は大喜びで15,000円を支払うと店主も「エッ!!、こんなにくれるの」とお互いに大喜びしたことを思い出してしまう、

 

さて、その今井科学の「マイティジャック」、

第一弾の「サンダーバード」、その2番煎じの「キャプテン・スカーレット」、そして3番煎じの「マイティジャック」であったが、これが不発で売れなかったという、

その理由などはすでに紹介しているが、もう一つ発売時期にも問題があったような気がしてならない、

「マイティジャック」シリーズでは10種類のプラモを発売した、

順を追ってみよう

その第一弾は昭和43年6月の「ミニマイティジャック号」50円

  第二弾が     9月の「ジュニアマイティ号」  200円

 

           (コレクターの方からの画像)

 

これでは遅すぎる、放映が始まってから2ヶ月も経ったあとにやっと第一弾、

そう、その頃はすでに1回目の放映は終わっている、

第二弾が2回目の「戦えマイティジャック」の放映が始まってから2ヶ月後、もうその頃は中盤に入っている、

 

第三弾が、  10月「ミニエキゾスカウト」200円

       10月 「エキゾスカウト」 250円

       10月 「ピブリダー」   250円

       10月 「ハイドロジェット」250円

 

やっと10月に入ってから本格的に投入し始める、

 

第四弾が、  11月 「ジュニアハイドロジェット」150円

       11月 「マイティ号」    600円

       11月 「マイティジャック秘密基地」3,500円

 

もうすでに来月には放映終了の時期、

 

そして最後の 12月 「イージーキットマイティ号」1600円

 

           (コレクターの方からの画像)

 

そう、放映終了の時期になってやっとモーターライズのマイティ号の投入、

もともとが低視聴率だったのに放映が終了してから発売しても売れるわけがない、

 

おそらく、膨大な在庫を抱え込んだに違いない、

 

         (昭和44年2月24日 日本模型新聞)

 

すでにその年明けには今井科学の製品の大安売りが始まっている、75%引きもあったという、

 

 

某有名メーカー製品のプラスチックモデル(新製品も含む)とある、

これは今井科学の製品であることは間違いないだろう、

 

 

他社の製品は手に入らない、とある、

 

 

そして、今井科学のロゴマークが見える、

 

この2月頃から今井科学はスケール物へと転換するが時すでに遅く、倒産へのカウントダウンが始まっていた。