東大阪はプラスチック加工産業、ブリキ玩具産業、化学産業の、
東大阪は戦前から町工場のメッカであったことは上記の記事でも紹介している、
その記事の中で下記の写真があった、
東大阪にも昭和30年以前にはすでに射出成形、金型製造のメーカーが存在していたこと、
実はこのメーカーのことがわからなかった、
この写真をよく見ると、大阪金型㈱となっている、
大阪金型㈱?、さて、何かで聞いたように気がする、
そうそう、思い出した、
そう、昭和28年発行の「プラスチック名鑑」、
その広告に大阪金型㈱が載っていた、
そこで、その社長さんは誰かと調べてみたら、
なんと、宮本順三さんになっていた、
すでに紹介しているように、宮本順三さんといえば、グリコのオマケ玩具を製造していた方、
東大阪には記念館もある、
もちろん僕も4年ほど前に行ってきた、
ところが、宮本順三さんがその大阪金型㈱の社長で当時から金型製造、射出成形などを行っていたということは今まで知られていない、
昭和28年3月現在となっているので、遅くとも昭和27年にはすでにその大阪金型㈱を立ち上げていたということだろう、
その場所は日本プラスチックの濱田さんが工場として間借りしていた大阪化学研究所のすぐ近くである、
大阪金型㈱の工場の布施市長堂2-47の場所を当時の住宅地図で確認してみた、
住宅地図としては一番古い昭和34年現在の地図である、
しかし、そこには大阪金型㈱ではなく明治生命布施営業所になっていた、
その周辺にも大阪金型は見当たらない、
考えられることは、昭和34年には大阪金型㈱は消滅していたということかもしれない、
そうそう、そう言えば日本プラスチックも昭和34年に消滅したなあ~、
まあ、調べれば調べるほど謎は深まるばかりである。