戦時下における教育体制は、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

来月はまた講義をしなければならない、

 

そう、明石市立文化博物館で展示物の解説ボランティアの皆さんを対象に行うことになっている、自慢じゃないが、男性グループの中では僕が一番若い、

実は僕のことを君ずけで呼ぶ方がいらっしゃった、「明石君」と、

まあ、この歳になって君ずけで呼ばれるのは初めてのこと、

「エッ、この人、一体何様?」ムッ、とするのは当然のこと、

その方とは特に親しく話したくもないので、こちらから近づくこともなかった、

かなり高齢の方でボランティアのメンバーの中では長老的な存在であった、

僕以外のメンバーの方々には「さん」で呼び、僕だけが「君」であった、

まあいいや、と僕は無視していたが、そのうちにボランティアも引退なさった、

おそらく、僕が目立つことをするのがその方にとっては気にくわなかったのだろう、

 

どの世界も同じようなこと、

「俺様が一番」「俺が俺が」と思い込む方々が多い、

もちろん、僕も目立つことが好き、有名になりたい、そして、金持ちになりたい(笑)、

だから、毎日このようにブログで皆に発信して目立つことをしている、

皆が楽しみ?にして見てくれるので益々過激になって発信している、

過激なことを言うと、益々アクセス数が増えてしまうので非常に困っている(笑)、

 

さて、本題に戻ってその講義とは、

戦時下における教育体制について、

 

実は、解説する場合は当時の資料、模型、玩具などを実際に見せて行うと皆が喜んで聞いてくれる、

例えば、「明石の空襲」ということで解説する場合はプラモデルのB-29,飛燕、屠龍、を見せて解説すると皆が興味深く聞いてくれる、

そして、「面白かった、もう一度やってほしい」と、

 

そこで、今回は「戦時下における教育体制について」当時の資料、模型などを実際に見せて講義してほしいとの要望があった、

もちろん、僕が断るはずがない、そう、目立つことが大好きなので、

 

 

ただ、当時の資料などを取り出すのが大変、

押し入れのダンボール箱の中に詰め込んだりしているので、どこにしまい込んだのかちゃんと記憶していない、

とりあえず取り出したのがコレ、

 

 

 

 

 

まだまだどこかにしまい込んでいるので探さなければならない。