昭和18年10月号の「模型」には、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

 

昭和18年10月号の「模型」を読んでみると、

もちろん、この頃になると物資も乏しくなり、ペラペラの薄いものとなっている、

 

冒頭の記事の一部を紹介すると、

 

 

意外にも現在の戦況を正確に伝えている、

ここで筆者が言いたいことは、航空戦力にかかっている、しかし、それには航空兵が足りないのその育成を急がなければならない、そのための具体策などを語っている、

 

 

ここにも書かれているように、明治時代には航空機などが兵器として使われることなどは考えつかなかったらしい、

 

 

すでに紹介しているように、戦時下においても全国各地において模型飛行機大会は行われていた、もちろん、エンジン模型の飛行機も、

 

 

当時から有名だったのが小川精機のOSエンジンであった、

「金属類回収令」などにより金属の供給統制が行われ、玩具類も金属が使用できなかったが科学模型(模型飛行機、鉄道模型等)については供給されていた、

 

 

ライトプレーンでよく見かけるのが、「爆弾投下装置」、「落下傘投下装置」である、

当時でもいろいろと考案されていたようで、この記事を読んでもよく理解できない(笑)、

 

そうそう、僕もその落下傘投下ができるライトプレーンを持っている、

 

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「落下傘降下器付」と凄いギミック?が付いている、

 

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落下傘だけは自分で作るようになっている、このカタカナの文字が時代の古さを感じさせてくれる、メーカー名も入っていないのでどこの製品なのかも不明である。