戦前模型 フランス軽巡「ラモット ピケ」 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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千葉支部より、戦前の艦船模型でフランスの「軽巡 ラモット ピケ」、

 

今回は戦前の艦船模型としてフランス軽巡「ラモット ピケ」を取り上げようと思います。

 

 

あまり聞いたことのない名前だと思いますが、調べてみると色々面白いことが分かりました。

 

きっかけはヤフオクで「ラモット ピケ」を手に入れたことでした。

 

私もそれまで名前だけは知っていましたが、それ以上のことはほとんど知りませんでした。

 

その頃他に「ケント」と「こたか」も出品されていました。

 

 

(「ケント」と「こたか」の画像はヤフオクより)

 

「ラモット ピケ」について簡単に触れておきます。

 

フランス デュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦

 

要目 7,249t 181.6m 33ノット

 

    15.5cm連装砲 4基

 

    3連装魚雷発射管 4基

 

(ウィキペディアより)

 

「ラモット ピケ」は戦前の作とは思えないほど良く出来ていました。

 

しかし、それ以上に興味を惹かれたのは箱でした。

 

箱にはいくつかのスタンプとシールが貼られていました。

 

蓋の表には赤丸シールで

 

 

「長崎市 商工奨励館 指導」

 

もう一つは、ひし形シールで「長崎 みやげ」

 

 

蓋の裏には、青色スタンプで「酒井艦船模型製作所 長崎 岩瀬道町」

 

 

また、箱の裏には丸スタンプで「丸に政 紙箱 岡田商店 長崎市 油屋町」

 

 

これだけしっかりした箱入りで、シールやスタンプがあるということは観光土産として市もかなり力を入れていたのでしょうか。

 

「博多大丸長崎店」や「浜屋百貨店」などに置かれていたのでしょうか。

 

では、「ラモット ピケ」を見てゆきましょう。

 

 

台座にはアルファベットで「ラモットピケ」の表示があります。

 

小ぶりの模型ですが、張線や手すり、水偵など上構の配置も日本の模型に比べとても正確です。図面がなければこれまでには作れないでしょう。

 

 

それにしてもなぜこの艦が選ばれたのか?

 

それは当艦が極東艦隊に配属され仏印に在泊していたことに関係しています。

 

おそらくその間に何回か日本に、(長崎にも)来ていたのではないでしょうか。

 

「ラモット ピケ」の来歴について、簡単に見てゆきましょう。

 

1927年3月5日 竣工

1935年      極東配備

           フランス降伏後、ヴィシー政権側になる

1940年      日本軍仏印進駐

1941年1月17日 遼艦4隻とともにコーチャン島沖海戦でタイ艦隊と交戦、

           海防戦艦「トンブリ」などを撃沈

1941年9月15日より修理のため大阪でドック入り、以後仏印ドンナイ省で

           係留される

1945年1月12日 米第38.2任務群、「空母レキシントン」、「ハンコック」、「ホーネット」

        戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦22,ジェラルドFボーガン少将指揮のもと

       「グラティテュード」作戦によりサイゴンに停泊していた「ラモットピケ」

       は空襲を受け、測量艦「オクタント」とともに大破着底した。

 

   画像①

 

画像①は、コーチャン島沖海戦について(ネットより転載)

 

  画像②

 

画像②は (おそらくドンナイに)停泊する「ラモット ピケ」

 

戦前の港町では土産用として沢山の艦船模型が作られました。

 

今でも名前だけは残っている艦船模型製作所がありますが、実態を知ることはもはやできないことなのでしょう。

 

長崎や横浜だけでなく、特に軍港の横須賀、呉、佐世保などでは軍艦を見学に来た人々や自分の家族が乗艦している艦船の模型を土産として買い求める人が多かったことでしょう。今でもこれらが多数発見されているということは、これらの模型が大切に保存されてきたことを物語っています。

 

当時の艦船模型には単に趣味というだけでなく生活に結び付いた位置づけがされていたといえるでしょう。