戦後初の輸出玩具は | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

昭和20年8月の終戦以降、その戦後復興期において戦後初の輸出玩具は何だったのだろう

か、それは、進駐軍の空き缶を使ったブリキ玩具でもない、

それは、意外にも、
その前に戦前の玩具情勢を見てみよう、
 
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                               (昭和11年3月号 科学知識)
 
これは、昭和11年3月号の「科学知識」、この雑誌の記事によると、
 
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一言で言うと、輸出玩具の主流はセルロイド玩具でその輸出先は全世界に及んだ、
 
アッ、そうそう玩具とは違って当時は自転車も輸出していた
マレー作戦の話を聞いたことがある、
15年くらい前に当時90歳のお方で「マレー作戦」に参加された時の話を聞いたことがある、
その時の進軍する時に使用したのが自転車だったと、そう自転車部隊である、
戦前は日本製の自転車が相当行き渡っていたらしく、故障しても現地での部品の調達が楽だっ
たということをいたことがある、
 
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                                (昭和22年1月号 工芸ニュース)
 
さて、戦後初の輸出玩具であるが、この「工芸ニュース」の記事によると、
 
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この記事にもあるように、戦後初に輸出されたのはアメリカ向けのクリスマスツリー用の飾り
玩具であった、
それと装飾用の電球だったとある、
 
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その時点ではまだまだ金属製玩具の注文は来ていないとある、
 
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その頃、アメリカではすでに総プラスチック製の玩具が現れていたらしい、
日本での戦後初のプラスチック製の製品は、昭和20年11月に発売された「お椀」であった
そして、プラスチック製初の玩具は昭和25年に発売された「ままごとセット」であった。