統一教会員KY 今日の聖書 -4ページ目

黙示録 10:7

第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。
すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、
「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。
そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。
すると、彼は言った、
「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。
わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。
すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。
その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。



ky「聞くには良いけども、、、ですかね、、、( ̄ー ̄;」




コリントⅠ 6:13

食物は腹のため、腹は食物のためである。

しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。

からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。

そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。

あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。

それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。

それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。

「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。

しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。

不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。

しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。

あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、

あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。



マタイ 12:1


そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。
すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。
パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、
「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。
そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、
ダビデが何をしたか読んだことがないのか。
すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。
また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。
あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。
『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、
あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。
人の子は安息日の主である」。

ローマ 1:16

わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、
すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。
これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。
なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、
被造物において知られていて、明らかに認められるからである。
したがって、彼らには弁解の余地がない。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、
かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。
彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、
不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。
彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。
創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。




【コーラン 雌牛章2-21.

人びとよ。あなたがた、またあなたがた以前の者を創られた主に仕えなさい。
恐らくあなたがたは(悪魔に対し)その身を守るであろう。
(かれは)あなたがたのために大地を臥所とし、また大空を天蓋とされ、
天から雨を降らせ、あなたがたのために糧として種々の果実を実らせられる方である。
だからあなたがたは(真理を)知った上は、
(唯一なる)アッラーの外に同じような神があるなどと唱えてはならない。




ペテロⅡ 1:16

わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、
わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。
わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、
その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。
あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、
この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。




ヘブル 12:14


すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。
きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。



【コーラン 雌牛章2-62.】
本当に信じる者、ユダヤ教徒、キリスト教徒とサービア教徒で、アッラーと最後の日とを信じて、
善行に勤しむ者は、かれらの主の御許で、報奨を授かるであろう。
かれらには、恐れもなく憂いもないであろう。



コリントⅠ 10:1

兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。
わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。
すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、
わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。
すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。
不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、
世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。



黙示録 19:11

またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。
それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。
また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。
彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。






『CROWN OF GLORY』

When I doubt people, I feel pain.
When I judge people, it is unbearable.
When I hate people, there is no value to my existence.
Yet if I believe, I am deceived.
If I love, I am betrayed.
Suffering and grieving tonight, my head in my hands
Am I wrong?

Yes, I am wrong.
Even though we are deceived, still believe.
Though we are betrayed, still forgive.
Love completely even those who hate you.

Wipe your tears away and welcome with a smile
Those who know nothing but deceit
And those who betray without regret.

Oh Master! The pain of loving!
Look at my hands.
Place your hand on my chest.
My heart is bursting, such agony!

But when I loved those who acted against me
I brought victory.
If you have done the same thing,
I will give you the crown of glory.

Sun Myung Moon
(Written when he was 16 years old)

ヘブル 13:3

獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。
また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。
すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。
神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。
金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。
主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。
だから、わたしたちは、はばからずに言おう、
「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」。
神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。
彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。



ky「すこーし、かえましたm(_ _ )m」

ヨハネ5:39


あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
わたしは人からの誉を受けることはしない。
しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。
もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、
どうして信じることができようか。
わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。
あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。
モーセは、わたしについて書いたのである。
しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。