尊敬する日野原重明先生は、自分と相入れない人に対して、『いずれわかるよ』『真意がわかるまでには時間がかかると思っておきなさい』とおっしゃっていました。

医療界では改革者であった日野原先生もかなり抵抗を受けたようです。

日野原先生のが著書から引用いたします。
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面白いことに、反対する人、否定的な意見を言う人というのは、ほとんどが同業者、つまり医者でした。アメリカとは環境が違う、日本では実現しない、などということもずいぶんいわれたものです。


聖路加国際病院の建て直しをしたときにも、あの広い廊下を見て、「日野原は贅沢ばかりする。こんな広い廊下が何のためになるのか」と非難を受けたものです。


しかし、忘れもしない1995年地下鉄サリン事件のとき、現場に近かった聖路加病院はこれまで経験したことのない、まさに戦場と化しました。


贅沢だと批判を受けた廊下には、患者さん一人一人を受け入れる酸素吸入を含めた施設的な体制が整っていました。そのため、一度に600名を超える、生死の境をさまよう患者さんを受け入れることができました。

ひとたび戦争が起こったとき、医療現場がどうなるかということを実体験として知っていた、これまでの経験が役に立ったのです。


話は変わるようですが、僕の父も同じような道を歩んだのだと思います。

父も若い頃、牧師としてアメリカの生活を経験しました。アメリカの大学で感じた学生の心を開放するような広々とした空気、若者達がたくさんのことを吸収していく環境。それに感動した父は、帰国後広島女学院の学長となったとき、自分の心を揺さぶったアメリカの大学の姿を、日本にも実現しようとしたのです。


しかし父は、そのために購入した広大な土地や、当時の教育関係者の常識では考えられない様々な改革に、周囲から強烈な非難を受けます。中には土地購入を巡って、父が私腹を肥やしたのではないかという、心ない声もあったそうです。


「どれほど困ってもあなたたちのお父様はそのようなことをなさる人ではない」

と、父を心から尊敬し慕っていた母とともに、二人は悲しみの中広島を後にし、僕のもとに身を寄せ暮らしました。しかし「裏切り者、極悪人」と呼ばれ、その場を去らざるをえなかった父は、

どのような思いだったでしょう。


その後数十年の時を経て、今では広島女学院の礎を築いた功労者として、学院には父の銅像が建っています。その様子を父は天国からどのような気持ちで眺めているかと思うと、嬉しさがこみ上げてくるのです。


同時代の人がすぐにはわからなくても、真に価値のあるもの、つまり真に美しいものに時代は必ず追いついてきます。歴史の評価に堪えうる強さがあるからです。


本物というのは、僕は「限りのないもの、区切りのないもの」だと思っています。


だからいっときの流行りすたりには影響されず、永遠のメッセージを発し続けられるのです。


聖書の言葉もまさにそのようなものでしょう。

そして、これまで誰もしなかったことに挑戦するときに大事なことがもう一つあります。

それは、「なぜやるのか」ということを自分に問いかけ続けるということです。


おそらくあなたの心の中には「これをやりたい、僕はやるんだ」という強い気持ちがある、だから挑戦するのだと思います。そのときに、なぜやるのかということが大事になってくるのです。


稲盛さんは、京セラ設立、第二電電企画株式会社(KDDI)設立、そして経営破たんした日本航空の再建と、道なき道を歩いた方です。

そのときに自ら問いかけられたのは「動機純たるや。私心なかりしか」という言葉だそうです。

当時NTTの独占分野であった通信事業、そこに参入する際、稲盛さんはその言葉を自分に問いかけ続け、答えが出るまでに2年かかったそうです。そしてい

よいよそこへ向かうと決心したとき、それを自ら証明するため、大事業であるKDDIの株を一株も持たずに始めたといいます。


さらに。


新しいことを始めるとき、そしてまわりの人がそのことを理解せず反対されたとき、「遠くを見つめる」ということを思い出してください。


僕が尊敬する仏教哲学者の鈴木大拙さんは、抵抗があってもそのような人々を無視するのではなく、遠くを見つめる、そして「僕はこう考える」と表明することが大切だ、と教えてくれました。


遠くを見る。表明する。そして実践する。

これこそが僕達人間が持つ、意志の力を形にするために必要なプロセスです。


まったく抵抗のないチャレンジはありません。むしろ、抵抗があるからこそチャレンジなのです。新しいことを始めようとするとき、私は本当にこれをやりたいのだろうか、なぜ、誰のためにやりたいのだろうかと自分に何度も問いかける必要があります。

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まさに、

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。

(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)


《「史記」陳渉世家から》ツバメやスズメのような小さな鳥には、オオトリコウノトリのような大きな鳥の志すところは理解できない。小人物には大人物の考えや志がわからない、というたとえ。

革新を起こす者はこれだけの勇気と気概が大切だということです。あらためて日野原先生の人間としての器の大きさに感銘を受けます。