振り返ってみれば、40歳代までは仕事をまずまず楽しんでいたように思う。毎日が同じで、単調な生活を楽しいなんてという人もいるが、やり方を工夫するなど一種のスポーツをするように楽しんでいたが、残念ながら50歳代は仕事を楽しむことはできなかった。63歳で仕事を止めて、毎日が日曜日となってからは、テニス・囲碁、野菜作り・ブログ公開と、自分のやりたいことばかりをする日々である。退屈することは無い。趣味といえば暇つぶしというイメージもあるが、私にとってはまさに生きがいのようなものとなっている。
今年の1月から、高校時代同じ教室で机を並べた同級生の誘いもあって、新たな囲碁倶楽部に入会した。それまで2つの囲碁クラブに属していたから、なんと3つ目である。以前からの2つのクラブはそれぞれ週に1回だったが、新しい倶楽部は毎日開かれている。メンバーは高段者が多く、加えて対局の結果が自分の持ち点に影響する仕組みになっていることもあって、対局は真剣勝負なのである。その緊張感(好きな割には集中力が突然消えてポカをする)と、長年の好敵手に勝てるようになりたい、昇段したい、更に自転車又はウォーキングで往復することによって適度の運動ができるができるなど、魅力がいくつもあるとあって、週に2~3回通っている。毎日が日曜日とはいえ、忙しい毎日となった。
最近思うことがある。現役時代に交流があった友とはだんだん疎遠になり、趣味を通しての新しい付き合いが増えているということだ。そこで意識してにっこりする、微笑みを絶やさないように努めている。楽しいことがあれば、自然に笑顔になるであろうが、腹の底から笑うのも、にっこりするのも、どちらも笑顔である。にっこりするのは、楽しいことがなくても、いつでも、どこでもできる。楽しいから、笑顔になるのではない、笑顔になるから、楽しくなるのだ。笑顔を心掛けていると、気分が明るくなり、元気が出てくるのだ。脳が「楽しい」と判断して、気持ちが明るくなる作用を生むのである。にっこりと笑顔を作ると、じんわりと気分が明るくなるのだ。笑顔を作ることを習慣にしたいと思っている。しかし、囲碁に負けてにっこりするのは難しい。
囲碁の対局においては、碁盤の右上隅での戦いは左下隅に影響する、伏線を張っておいての戦い、大場(大きいところ、敵味方の要所)に打つべきか急場(急いで打たなければならないところ、攻防の要点)に打つべきか、やきもちを焼くといいことは無い、地を貪らず相場を意識すべきなど、人生と通じる点が多々ある。戦国時代の武将がたしなんだ所以であろう。
さて、人生において、異なる2つの考え方に出合うことがある。例えば「仕事を楽しむことができる」と「仕事を楽しむことはできない」だ。どちらが正しいのかはっきりすればすっきりするが、人それぞれだから、正解もそれぞれであると考えたい。囲碁の対局においての考え方と似ているが、「どちらが正しいのか」ではなくて、「どちらも正しいのだ」と考えるようにしている。そうすると、世の中を、2つの見方や考え方で、見ることができるようになる。異なる考え方を受け入れれば、より多くの考え方を受け入れることができるのだ。1つの考え方に絞るのではなくて、いかにして多くの考え方を受け入れるかだ。そうすれば人生を楽しめる選択肢が増えることになるのだ。