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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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先日、素戔嗚尊を祭神とする八坂神社を訪れて、日本神話に興味がわいたのを機に、忘れかけていたのを思い出したくて調べてみることにした。

高天原(たかまがはら)に最初に現れた天之観中主神(あまのみなかぬしのかみ)の命により伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)によって日本列島が作られた。続いて二神は、山・海・風などの神様を生んだが、火の神を生んだ際に、その火によって伊邪那美命は命を落とす。妻である伊邪那美命に会うために伊邪那岐命は、死者の世界である黄泉国を訪れたが、変わり果てた姿を見た伊邪那岐命は黄泉国を逃げ出そうとする。追いかけた伊邪那美命は、「私と別れるならば1日1000人を殺す」というと、伊邪那岐命は「ならば、私は1日1500人を生みだそう」と答えたという。

            

伊邪那岐命は三貴子を生んだ後、それぞれに高天原・夜の国・大海原を治めることを命じた。しかし、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、母である伊邪那美命の死を嘆くばかりであったために、高天原を追放されることになった。素戔嗚尊は、別れのあいさつに天照大御神の元を訪れたが、高天原を去ることなく、居座り乱暴狼藉を働いたために、天照大御神は、天岩戸に引きこもってしまった。すると、世界は闇に包まれ、多くの災いが起こった。

神々は天安河原(あまのやすがわら)に集まって、対策を練った。知恵の神である思金神(おもいかねのかみ)の発案による儀式が行われた。

先ず、朝を知らせる常世の長鳴鳥を鳴かせた後、二神それぞれに作らせたやたの鏡とやさかにの勾玉を、布帛とともに榊(さかき:神事に用いる木)にかけて、布刀玉命(ふとだまのみこと)が捧げ持った。そして、あまのうずめの命が面白おかしく踊ると、神々が一斉に笑った。天照大御神は、闇の世界なのに、なぜ神々が楽しんでいるのかを訝しく思い、天岩戸を少しだけ開いて、あまのうずめの命に訳を尋ねた。あまのうずめの命は、「貴方様より貴い神が現われたからです」と答え、天照大御神にやたの鏡を差し出した。天照大御神が鏡を見ようと天岩戸を更に開けたとき、力の神である天手力雄神が扉を開いたのである。

 世界に光が戻り、災いは去った。高天原を追放され、出雲の地に降り立ちった素戔嗚尊は八つの頭を持つ大蛇を酒の酔わせて倒し、その胴から三種の神器の一つである天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、後の草薙の剣)を手に入れ、この剣を天照大御神に献上した。……

 さて、日本神話とは、奈良時代にまとめられた「古事記」、「日本書紀」に書かれている神話のことである。712年に完成した古事記は太安万侶が中心になってまとめたもので、全3巻に神々から推古天皇の時代までのことが記述されている。日本書紀は全30巻で、舎人親王が中心となって720に完成した。神々の時代から持統天皇の時代までが書かれている。この書物は「帝紀」という皇室の系図を記録したもの、「旧辞」という代々言い伝えられてきた古い物語などが元となっている。

 机の上に置いてある6年前の京都旅行で手に入れた広隆寺の弥勒菩薩の像を見ながら、古のことに一時思い浸った。

 参照 別冊宝島 日本の神様のすべて



ゴールデン・ウィーク明けの7日から妻と京都を訪れた。世界遺産がいくつもあり、最も人気のある観光地の一つである。歴史を思う場所、心静かに自らと向き合える場所など予想した通りの満足のいく時間を過ごすことができた。歴史など事前の下調べをしておけば、もっと豊かに観光できたと後悔し、遅まきながら帰宅してからだが、調べてみることにした。

                        

京都に着いた日の午後、先ず東寺へ行った。新幹線の車窓から何度も見た東寺にとどまらず京都の象徴である五重塔を見上げながら、真言宗の開祖である空海(弘法大師)が平安時代初期に建てたこと、真言宗の総本山であることを思った。東寺は教王護国寺の通称であること、堂々としたたたずまいに圧倒された本堂である金堂は天竺様の挿肘木を使うなど唐様と天竺様が取り入れられていること、展示されていた工芸品は密教独自のものであること、現在の塔は1644年徳川家光が寄進したものであることなどは、旅行後に知ったことである。

徳川家康が、京都を警戒し護衛するとともに上洛時の宿所として、1602年に竣工し、徳川幕府終焉の舞台となった二条城では、将軍の権威を垣間見ながら、大政奉還の場面を想像した。遠侍・式台の間・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院を広い廊下に沿って観た。狩野探幽の描いた襖絵やきらびやかな天井など華やかさを味わった。二の丸御殿の大広間から眺められるように作られた二の丸庭園を観ながら、落ち着いた心を感じながら歩いたが、残念ながら不愉快な場面に遭遇した。それは、通路に沿ってロープが張られており、「Please keep off」と書かれた立札が立っているのだが、見た目は日本人と変わらない5~6人のグループが日本語ではない言葉を発しながら、ロープをまたいで庭園内に入り写真を取っている場面に遭遇したのである。「入ってはだめです」と注意したが、言葉が理解できなかったのかその後も他の人が庭園内に入っての写真撮影が続いたのである。信じられないマナー違反の場面であった。

金箔が施され、絢爛豪華な輝きを放っている写真は見たことがあるが、金閣寺とは一体どういう目的で作られたのかなど、恥ずかしながら知らなかった。足利3代将軍義光が、西園寺公経の山荘跡に屋敷を建てて隠棲したのが始まりで、義満の没後に禅寺に改められたものであり、鹿苑寺が正式な名前である。大きな池とその周囲を巡る路を中心に作った池泉回遊式の庭園の中心に寺の象徴である金閣(舎利殿:お釈迦様の骨をまつっている)は、義満の野望を今に伝えているのかなと思ったりした。

西本願寺では広い境内に落ち着いた佇まいの木造建築を観て、須左之男命を祭神とする八坂神社では日本神話を思い起こし、祇園では舞子さんを見ながら歩き、建仁寺では荘厳さを味わった。いずれも敷地が広くて、妻の万歩計は約20000歩(2日目)を記録した。よく歩いたものである。

おまけ 見上げ物を販売する店で、白幡洋三郎著 京都新聞出版センター発行の「幕末・維新 彩色の京都」を見つけ購入した。1995年~1996年まで京都新聞に連載された記事をもとにした本である。江戸時代を取った写真かと見間違えそうなカラー写真をもとに解説を付しており、現在とは異なる風景は歴史を感じさせるお気に入りの本の一つになった。



定年退職をしてからテニスと囲碁を楽しんでいる。囲碁は自分の石で囲んだ範囲の多少で勝敗が決するゲームであり、時間の経つのを忘れるほど面白く、奥が深い。そして、囲碁とテニスに共通しているのは、勝負だからどちらかが負けるということである。勝つことは誰にとってもうれしいが、負ければ悔しいのである。

4月22日の対局において、序盤に大石を取って圧倒的有利となったが、更に得をして圧勝にしようと無理な手を打った結果、大逆転負けをした。悔しい思いを持ったまま、相手が変わっての次の対局ではジゴ(地が同数、白番の勝ち)となり負けた。日が変わっての対局においても、1目負けるなど接戦での負けが続いた。

学生時代に読んだアニメ「エースをねらえ」で知った剣道の極意であり、好きな言葉の一つに、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」がある。勝ったときより何故か負けたときの方が、つきあげてくるものが大きく、悔しいから「なぜ」と原因を探求するのであるが、接戦での負けが続き、迷いのトンネルに入ってしまったのである。この機会に、勝ちと負けについて改めて考えてみることにした。

勝つのはどのような条件が成り立った時なのか考えてみると、技術は同じだが体力が勝っていたとき、体力は同じだが技術が勝っていたとき、体力・技術は同じだがアイデアに勝っていたとき、ほとんどの面で同じだが執念が勝っていたときなど、何かが勝っていたから勝てるのである。

ヘボの囲碁愛好者であるから、対局の後で振り返ると、なぜこんなイージーミスをしたのであろうかと、悔しく思うことがよくある。原因を考えてみると、相手の地が大きく見えてやきもちを焼いて無理な手を打ったり、自分に都合のよいように相手の手を予想して打ったのがミスに繋がるケースが多いのである。

例えば、部分的な戦いで勝って相手の石を取っても、実は石を取らされたのであって、碁盤全体では負けていたなんてことは、よくあるのである。リキミ過ぎて視野が狭くなったことが原因の一つなのだ。

囲碁には「岡目八目」という言葉がある。他人の対局を横で見ていると、いつもより良い手が浮かぶということである。他人の碁だと邪心が入らず、自然体で碁盤を見ているから、良い手が浮かぶのである。背筋を伸ばして、肩の力を抜いて、碁盤に近づき過ぎないようにして、碁盤全体を眺めて、「黒の弱い石はあるか」、「白の弱い石はあるか」、「黒の強力な厚みはあるか」、「攻めたい白の石はあるか」と、基本に立ち返って、「岡目八目」の状況になりたいものである。

俺は歳だから、還暦を過ぎたのだからと勝つことを目指す気持ちが薄らぎ、何かと妥協するのはさみしい。勝負だから負ける時もある。その時、負けたという現実に立ち向かうことから逃げる「敗者の言い訳」を考えるのではなくて、「たら、れば」思考を心掛けたい。例えば、さっきのショットは、構えたときの腰が高かったから、腰を落として構えて打てば……のように、失敗の原因を分析する。そして、その分析結果を次に生かすことに努めれば、相手よりも勝った何かを得ることが

でき、次の一歩に繋がると思うのだ。そうすることが楽しむことであると……。