剣道の極意である「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、私の好きな言葉の一つである。私は、定年退職を機に毎週一回気の置けない友と囲碁の対局を楽しんでいる。囲碁は自分の石で囲んだ範囲の多少で勝敗が決するゲームであり、時間の経つのを忘れるほど面白く、奥が深いが、勝負だからどちらかが負ける。負ければ悔しい、勝ったときより何故か負けたときの方が、つきあげてくるものが大きい。「悔しい」から「なぜ」と原因を探求する。この敗因探求は、私は対局後直ちに行うようにしている。プロ棋士は対局後その場で引き続いて数時間をかけて感想戦を行い、お互いの最善手を探求する。あらゆる場面を想定して、どう打てばいいのかを検討する感想戦を、私はテレビで何度も見たことがある。
起きてしまった失敗の原因を探求し次に生かそうとすることに注目した工学院大学の畑村洋太郎教授は、「失敗学」を提唱し、失敗学会を設立した。
畑村教授は、東京大学工学部の学生時代に、研究室で盛んに囲碁を打ったという。その経験から、「囲碁は、対局の半分は負ける。負けて、つまり失敗して、自分に何が足りなかったかが分かる。まさに囲碁は、失敗学に最適といえる」と熱っぽく語る。
囲碁の負けを失敗と考えると、何故負けたか深く反省するのは、自分自身を省みて考えめぐらすことであり、この態度が人として成長する元となり、何事にも「恐れと謙虚」をもって接するようになると畑村教授は述べている。
また、負けた原因をさかのぼって突き止めるのは逆演算ともいえ、負けるたびに反省していれば、自ずと進歩・向上するのは間違いない。
ある年の本因坊戦の第1局の中盤の戦いでシチョウ(アタリアタリとどんどん追いかけて最後は取れる形。「シチョウ知らずに碁を打つな」といわれる基本技術であるが、実践では正しく読み切るのは容易ではない)を見落とす致命的なポカで有名な、元本因坊の王メイエンは、自身の体験をもとに「碁と親しめば、失敗を受け入れられるようになる。これが一番の効用である」と、アマチュアに伝えたいと考え、「我間違える ゆえに我あり」というタイトルの本を出版した。何故間違ったかを検証する異色の本であり、是非読みたいと思っている。
日本製の自動車の品質が向上したのは、弱点や小さなトラブルについての検証を徹底したからであるとか、3000mの深い海底からH-2ロケットのエンジンを引き上げて、徹底的に調査・分析したことが、H-2Aロケットの打ち上げ成功となったことは広く知られていることである。
「失敗は成功のもと」といわれるように、創造や進歩を目指すとき失敗は付き物であり、失敗から学ぶことは多い。このことは科学に限らず身近なことにもいえる。
人生において失敗をしない人はいない。大切なのは失敗をしたとき、次につながる分析を徹底し、そして、それをどう活かすかである。
スポーツの種目は、球技、水泳、トラック競技、……と分類することができるが、驚くほど多くの種目がある。中でも技と力で格闘する柔道は、日本で始まった種目であるが、オリンピックの種目になったのをきっかけに、世界各国に普及した。特にヨーロッパの競技人口は多く、本家日本を脅かすほどである。柔道をテレビ観戦していると、知らず知らず力が入る。とにかく面白く、世界に普及した理由が分かる気がする。だが、海外の選手は勝ちにこだわり、組み手争いに終始し、一本勝ちが少ないなど、日本の目指す柔道スタイルとは違っているようだ。。そこで、柔道を通してオリンピックについて考えてみたい。
北京オリンピックの銅メダルから4年、柔道52kg級の中村美里は、北京の借りをロンドンで返すと、できうる限りの努力を重ねてきたが、初戦で、北京五輪で敗れた宿敵アン・グムエに返り討ちにあった。開始20秒、懐に入られての「谷落とし」に「技あり」を奪われた。その後挽回を期して全力を尽くしたが、「有効」を奪うにとどまり、惜敗した。ロンドンで金メダルを取ることのみを目指した中村美里の4年間の努力を思うと、一瞬のすきを突かれ、初戦で敗れた彼女の悔しさと勝負の厳しさを再認識させられた。
中矢力選手は、2011年のパリ世界選手権を制しての世界王者として「金メダルをもって帰る」という目標を掲げてのオリンピック初出場であった。相手を豪快に投げ飛ばして一瞬で一本を奪う立ち技を目指すのが日本柔道の主流であり、25秒間抑え込んで一本となる寝技は、地味に映るが、この寝技を得意とする世界屈指の寝技師として大会に臨んだ。惜しくも決勝戦で敗れ、銀メダルとなったが、ひたすら自らの柔道スタイルを貫く姿勢は、全国の柔道選手の励みになったと確信するとともに、感動を覚えた。
中村美里選手、中矢力選手だけでなく出場選手全員健闘したが、柔道本家としての成績は今一つであった。
1964年の東京オリンピックで五輪競技になって以来、男子は初めて金メダル0に終わり、柔道発祥国の権威は失われた形だ。なぜお家芸が落日を迎えたのか考えてみた。
一つ目。今大会、日本勢は外国選手のパワーに「一本を取る美しい柔道」を封じられた印象が強い。優位に組むには、組み手争いに勝たねばならないが、腕力に勝る外国選手は、力で日本の組み手を封じ込めた。組み手争いに勝つための工夫が、日本の選手には不足していたのではないか。
二つ目。北京五輪後に導入されたランキング制である。ランキング上位選手は、研究し尽くされて、順当に勝ち上がった選手は少なかった。
三つ目。外国選手は、技を賭けようとするが、さっと逃げる、腹ばいになる。ポイントをどう取るか、取られないためにはどうすべきか、「ポイント狙いの柔道」が主流になったようだ。この流れに対して、あくまで一本狙いの柔道なのかポイント狙いにするのか検討が必要であろう。
スポーツのすべての種目について言えることだが、いくら実力があっても、本番では普段通りの力を出せないのが普通である。ましてや4年に1度の大舞台(オリンピック)では、何が起こるか分からない。何より忘れてはならないのは、その大舞台に上がるまでの努力と、全力を出し切った結果に対して、敬意を払うことである。選手全員の健闘を称えたい。
北京オリンピックの銅メダルから4年、柔道52kg級の中村美里は、北京の借りをロンドンで返すと、できうる限りの努力を重ねてきたが、初戦で、北京五輪で敗れた宿敵アン・グムエに返り討ちにあった。開始20秒、懐に入られての「谷落とし」に「技あり」を奪われた。その後挽回を期して全力を尽くしたが、「有効」を奪うにとどまり、惜敗した。ロンドンで金メダルを取ることのみを目指した中村美里の4年間の努力を思うと、一瞬のすきを突かれ、初戦で敗れた彼女の悔しさと勝負の厳しさを再認識させられた。
中矢力選手は、2011年のパリ世界選手権を制しての世界王者として「金メダルをもって帰る」という目標を掲げてのオリンピック初出場であった。相手を豪快に投げ飛ばして一瞬で一本を奪う立ち技を目指すのが日本柔道の主流であり、25秒間抑え込んで一本となる寝技は、地味に映るが、この寝技を得意とする世界屈指の寝技師として大会に臨んだ。惜しくも決勝戦で敗れ、銀メダルとなったが、ひたすら自らの柔道スタイルを貫く姿勢は、全国の柔道選手の励みになったと確信するとともに、感動を覚えた。
中村美里選手、中矢力選手だけでなく出場選手全員健闘したが、柔道本家としての成績は今一つであった。
1964年の東京オリンピックで五輪競技になって以来、男子は初めて金メダル0に終わり、柔道発祥国の権威は失われた形だ。なぜお家芸が落日を迎えたのか考えてみた。
一つ目。今大会、日本勢は外国選手のパワーに「一本を取る美しい柔道」を封じられた印象が強い。優位に組むには、組み手争いに勝たねばならないが、腕力に勝る外国選手は、力で日本の組み手を封じ込めた。組み手争いに勝つための工夫が、日本の選手には不足していたのではないか。
二つ目。北京五輪後に導入されたランキング制である。ランキング上位選手は、研究し尽くされて、順当に勝ち上がった選手は少なかった。
三つ目。外国選手は、技を賭けようとするが、さっと逃げる、腹ばいになる。ポイントをどう取るか、取られないためにはどうすべきか、「ポイント狙いの柔道」が主流になったようだ。この流れに対して、あくまで一本狙いの柔道なのかポイント狙いにするのか検討が必要であろう。
スポーツのすべての種目について言えることだが、いくら実力があっても、本番では普段通りの力を出せないのが普通である。ましてや4年に1度の大舞台(オリンピック)では、何が起こるか分からない。何より忘れてはならないのは、その大舞台に上がるまでの努力と、全力を出し切った結果に対して、敬意を払うことである。選手全員の健闘を称えたい。
人生は、「Give and Take」即ち、「与えれば得ることがある」と言われるが、先ず自分の周囲の人のためを考える「貸し方」として生きるか、先ず自分のためを考える「借り方」としての生き方があるとも言われる。
地域の道路や公園の清掃活動に地道に参加する。職場において、部下のミスが原因で、取引先の担当者と交渉がうまくいかなかったとき、部下を叱責したい怒りを抑えて、にこにこしながら、次に期待を込める。表に見える派手な仕事だけでなく、裏方の地道な仕事もきちんとする。友人との付き合いでいえば先ず友の都合を優先する。このように自分のできる範囲内で「普通のこと」、言い換えれば「思いやり」のある行動を積み重ねていくと、人はそのことを覚えていて、良いことが自分に巡ってくるのである。物質的だけでなく精神的にも豊かさを手に入れるのである。これが「貸し方」としての生き方である。
「思いやり」を積み重ねて、「貸し方」として生きるためには、自分にゆとりがないとできないが、仕事に関する知識が豊富である、仕事の能力が高い、人の話の聞き上手である、お金があるなど、何か優れたところがなければ、「貸し方」に回れないのではない。誰でも「貸し方」に回るのは可能である。
例えば、職場での仕事が一段落したので、慰労会をした際に、費用の支払いを割勘にするのか、先輩あるいは上司として一括支払うのか、金一封援助するのかはどの方法でもいいだろう。この例のようにどの方法でもいいという選択の自由があるときは、できるだけ貸し方に回ったほうがいいということだ。
私は「貸し方」として生きるとは、「男らしく生きる」こととも同じだと解釈しているから、ゆとりのある人間に自分を鍛え上げて、思いやりをもって、できるだけ「貸し方」に回る生き方をしたいと思っている。ただ、いつも「貸し方」でいて、借りを絶対に作らない生き方がいいというのではない。借りを作るのが嫌だからと言って、人の好意を受け入れないのは、「男らしい生き方」であるとはいえない。
大切なことは、「貸し方」となって、「見返り」を期待したりすると、人間関係を壊し、人間として信用されない。「貸し方」としての生き方であるとはいい難いということである。
例えば、才能がある芸術家に、お金に余裕のある人が経済的に援助し、その芸術家が大成したとき、優先的に作品をもらったりする例は、欧米に限らず日本にも昔からある。それは、今貸しを作っておけば、将来何倍にもなって返ってくるという下心からの行為ではなくて、無名の才能ある新人を発掘したいとの気持ちからのものである。
人間にはつきものの私利私欲、私情を捨て去ることは誰でも簡単にはできない。私も同様であるから、「貸し方」に回ることができているとはいえない。困っている人の役に立ちたい、人の役に立ちたいという気持ちで、「普通のこと」を積み重ねることによって、還暦を過ぎた明日からの人生を、「貸し方」として生きたいと密かに思うこのごろである。
地域の道路や公園の清掃活動に地道に参加する。職場において、部下のミスが原因で、取引先の担当者と交渉がうまくいかなかったとき、部下を叱責したい怒りを抑えて、にこにこしながら、次に期待を込める。表に見える派手な仕事だけでなく、裏方の地道な仕事もきちんとする。友人との付き合いでいえば先ず友の都合を優先する。このように自分のできる範囲内で「普通のこと」、言い換えれば「思いやり」のある行動を積み重ねていくと、人はそのことを覚えていて、良いことが自分に巡ってくるのである。物質的だけでなく精神的にも豊かさを手に入れるのである。これが「貸し方」としての生き方である。
「思いやり」を積み重ねて、「貸し方」として生きるためには、自分にゆとりがないとできないが、仕事に関する知識が豊富である、仕事の能力が高い、人の話の聞き上手である、お金があるなど、何か優れたところがなければ、「貸し方」に回れないのではない。誰でも「貸し方」に回るのは可能である。
例えば、職場での仕事が一段落したので、慰労会をした際に、費用の支払いを割勘にするのか、先輩あるいは上司として一括支払うのか、金一封援助するのかはどの方法でもいいだろう。この例のようにどの方法でもいいという選択の自由があるときは、できるだけ貸し方に回ったほうがいいということだ。
私は「貸し方」として生きるとは、「男らしく生きる」こととも同じだと解釈しているから、ゆとりのある人間に自分を鍛え上げて、思いやりをもって、できるだけ「貸し方」に回る生き方をしたいと思っている。ただ、いつも「貸し方」でいて、借りを絶対に作らない生き方がいいというのではない。借りを作るのが嫌だからと言って、人の好意を受け入れないのは、「男らしい生き方」であるとはいえない。
大切なことは、「貸し方」となって、「見返り」を期待したりすると、人間関係を壊し、人間として信用されない。「貸し方」としての生き方であるとはいい難いということである。
例えば、才能がある芸術家に、お金に余裕のある人が経済的に援助し、その芸術家が大成したとき、優先的に作品をもらったりする例は、欧米に限らず日本にも昔からある。それは、今貸しを作っておけば、将来何倍にもなって返ってくるという下心からの行為ではなくて、無名の才能ある新人を発掘したいとの気持ちからのものである。
人間にはつきものの私利私欲、私情を捨て去ることは誰でも簡単にはできない。私も同様であるから、「貸し方」に回ることができているとはいえない。困っている人の役に立ちたい、人の役に立ちたいという気持ちで、「普通のこと」を積み重ねることによって、還暦を過ぎた明日からの人生を、「貸し方」として生きたいと密かに思うこのごろである。