将棋に比べて囲碁は、とっつきにくいといわれることがあるが、布石・定石・捨て石・一目置く・ダメを詰める・岡目八目・結局・中押し・手抜きなどは、囲碁用語であり、囲碁を知らない一般の人にも広く使われている。多くの人に囲碁の面白さを知って欲しいと願う今日この頃である。
囲碁における定石とは、碁盤の一部分において、部分的に互角となる、先人が研究した形であるが、定石は不変ではない。プロ棋士・アマ棋士によって常に研究されており、改変、創造、棄却が行われる。
代表的な定石には名前が付いており、名前からどんな形なのか、頭に思い描きやすくなっている。
星のツケノビ定石やツケヒキ定石は、初級者でも使いこなすことができるが、村正の妖刀・大斜定石・ナダレ定石などは、手順が長く、変化も多くて難解な定石であり、使いこなすにはかなりの棋力が必要である。
囲碁を始めて間もないころ、覚えたての星のツケノビ定石を打ったところ、白の出切りに対しての対応を誤り、ひどい目にあった経験がある。そのとき、完成された型の手順を丸覚えするのではなくて、一手一手の意味を考えながら、枝葉の変化も合わせて学習することが大切だと気付いたが、碁を覚えて間もない私には、それは簡単ではなかった。
対局して失敗(負け)を重ねて、遅ればせながら、定石を学ぶにあたっての大切ないくつかのことに気がついた。
一つ目 定石には、実利と厚みの二通りの見方があり、黒の実利に対して白には厚みがあり、将来働きが見込めるから互角であるとすることが多いが、ある手度の棋力が無いと、厚みの価値が分からず、どうしても実利を取ったほうが有利に思えてしまう。言い換えれば、定石は部分的には互角である形だが、碁盤は広いので、配石によっては互角にならない場合がある。配石を見てどの定石を選択するかが大切である。
相手がカカってきたとき、受ける・ハサム・ツケるの三通りあるが、どれにするかは他の隅や辺等の配石を見ながら決定しなければならない。しかもハサむにしても一路違いで好手になったり、悪手になったりと異なった結果となる。その定石はどのような場合に使うと威力を発揮するのかを知っておくことが大切である。
二つ目 古今の一流の棋士を中心に、部分での最善手の応酬で出来上がったものが定石であるが、その応酬の中に手筋がたくさん詰まっている。定石を学ぶことが、手筋とヨミの力をつけることにつながる。
三つ目 私が時々指導碁をお願いしているIgoさんは、「隅々まで覚えようとすると苦しい上に、そのうち忘れてしまう。こんな形だったぐらいでよい」と語っている。一度覚えて、忘れた後に残った知識・考え方が、血となり肉となり、棋力向上の源となるとも言っている。
定石を学んだ後に、一端、定石の知識を棚上げしておいて、先入観を持たずに自分の感覚や構想で持って着手することは悪手を打つ可能性はあるが、碁の魅力である「自由に打ってよい、どこに打ってもよい」を味わうことができ、楽しさを増すことができるだけでなく、「強くなる」と確信している。失敗から学べばいいのだ。
日本の和算を世界の数学の水準に高めた関孝和の生涯を描き、2006年日本数学会出版賞受賞した鳴海風著の「算聖伝」。碁打ちにして数学者であった渋川春海の生涯にわたる奮闘・挫折・喜びを描き、2010年本屋大賞受賞した冲方丁著の「天地明察」。和算の世界を著した6編の作品を集めており、長編の和算史としても読める本であり、第一編は、円周率πの2乗の無限級数展開式を、ヨーロッパで発見された1737年より15年も早く発見した関孝和の弟子である建部賢弘の壮絶な研究の一生を著しており、和算研究の世界に引き込まれた鳴海風著の「円周率を計算した男」。この3冊は、私のお気に入りである。「天地明察」の映画化が決定するなど、和算がブームである今、和算のシンボルともいえる算額について考えてみたい。
日本には古くから祈願のために神社仏閣に絵馬を奉掲する風習があった。数学の問題を人々が木製の「額」にして奉納したものが算額であり、現在でも日本の各地の神社仏閣に約1000面残っている。
算額の起源は明らかではないが、1681年に書かれた村瀬義益の「算学淵底記」という本によると、17世紀の中頃には江戸各地に存在したようである。17世紀後半には算額に書かれた問題を集めた本が出版され、算額が日本各地に広まったようである。
江戸時代の初期、吉田光由が仮名交じりの文と挿絵を多く入れた「塵劫記」を出版した。内容の一つに立方根の出し方がある。何故江戸時代に立方根の出し方が必要であったかというと、土手を築いたり修復したりするとき、土砂の量を計算し、それによって必要な人夫の数を知り、普請に必要な予算を計上するのに欠くことができなかったからである。実用的な内容が主であるが、興味を引く面白い問題も入っていた。
例えば、豊臣秀吉が、褒美に何が欲しいかを曽呂利新左衛門聞くと、1日目は1文、2日目は2文、3日目は4文、4日目は8文と倍々にして30日間欲しいという。秀吉が笑って許したら、それが莫大な額になることを知って誤ったという話である。
この「塵劫記」が大人気となり、庶民の数学に対する興味関心を高めた。そこで、寛永8年(1631年)に吉田光由は、「新塵劫記」を出し、その巻末に「自分の実力を試してみよ」と答えの無い12題を載せた。後にこれを「遺題」というが、同じころに算額も起こった。
算額は、初めは「難問が解けること」を祈願して、また解けたことを感謝して問題のみを奉掲したが、それを見て解けた者が、その解答と新たな問題を同じ所に掲げるようになった。元禄から文政の時代(1690~1830)には特に隆盛となり、人々が多く集まる神社仏閣への奉掲は、和算家にとって実力発表の場となった。
専門家しか見ない学術書ではなく、誰もが目にする公の場に数学の問題が掲示されている風景は、現在の日本では考えられない。昔の日本人は、独自の数学好きな文化を持っていたようである。
日本には古くから祈願のために神社仏閣に絵馬を奉掲する風習があった。数学の問題を人々が木製の「額」にして奉納したものが算額であり、現在でも日本の各地の神社仏閣に約1000面残っている。
算額の起源は明らかではないが、1681年に書かれた村瀬義益の「算学淵底記」という本によると、17世紀の中頃には江戸各地に存在したようである。17世紀後半には算額に書かれた問題を集めた本が出版され、算額が日本各地に広まったようである。
江戸時代の初期、吉田光由が仮名交じりの文と挿絵を多く入れた「塵劫記」を出版した。内容の一つに立方根の出し方がある。何故江戸時代に立方根の出し方が必要であったかというと、土手を築いたり修復したりするとき、土砂の量を計算し、それによって必要な人夫の数を知り、普請に必要な予算を計上するのに欠くことができなかったからである。実用的な内容が主であるが、興味を引く面白い問題も入っていた。
例えば、豊臣秀吉が、褒美に何が欲しいかを曽呂利新左衛門聞くと、1日目は1文、2日目は2文、3日目は4文、4日目は8文と倍々にして30日間欲しいという。秀吉が笑って許したら、それが莫大な額になることを知って誤ったという話である。
この「塵劫記」が大人気となり、庶民の数学に対する興味関心を高めた。そこで、寛永8年(1631年)に吉田光由は、「新塵劫記」を出し、その巻末に「自分の実力を試してみよ」と答えの無い12題を載せた。後にこれを「遺題」というが、同じころに算額も起こった。
算額は、初めは「難問が解けること」を祈願して、また解けたことを感謝して問題のみを奉掲したが、それを見て解けた者が、その解答と新たな問題を同じ所に掲げるようになった。元禄から文政の時代(1690~1830)には特に隆盛となり、人々が多く集まる神社仏閣への奉掲は、和算家にとって実力発表の場となった。
専門家しか見ない学術書ではなく、誰もが目にする公の場に数学の問題が掲示されている風景は、現在の日本では考えられない。昔の日本人は、独自の数学好きな文化を持っていたようである。
1 黄金比
縦と横の比率が最も均斉の取れた長方形を想像してみよう。それは人によって様々かもしれないが、プラトン時代のエウドクソスが考え、後にイタリアのレオナルド・ダ・ビンチが名付けたといわれている「黄金比1.6180339…」と呼ばれる比が最も美しいといわれている。即ち、比 8:5 または 5:8 は、最も美しく安定し、人々に心地よさを与えるバランスとして、古くから経験的に知られている。
黄金比 5:8 は、そのバランスの美しさで、古代ギリシャ以来何世紀にもわたり人々の美的感覚 を魅了してきた。例えばギリシャ・アテネのパルテノン神殿は、BC 438年の建造物だが、正面からみて、縦と横が 5:8になっている。そのほかにもミロのビーナスのおへその上と下、名刺の縦と横などがある。そして、自然界にも、オウム貝、ひまわりの種、松ぼっくり、つくしなど多くみられる
歴史上、黄金比を数学の話題として初めて意識したのは、ユークリッドとされている。彼は次のような幾何学の問題として捉えていた。提起された問題は、
「線分をa:bに分かち、小さい方の線分と全体とでできる長方形の面積と、大きい方の線分でできる正方形の面積とが等しくなるように分けよ。」である。a,bの値が黄金比である。
2 フィボナッチ数列と黄金比の関係
「1つの子どもの細胞は、1時間経つと親の細胞になり分裂可能となる。そしてその親細胞は、親細胞と子細胞に分裂する。このように分裂を繰り返すと、細胞の数はどのように増えるか」という問題を考えてみる。
このときの細胞の数は、1、1、2、3、5、8、…… となる。これは前の2つの数の和が次の数になるという規則で並んでいる。(このような数列をフィボナッチ数列という。)
このフィボナッチ数列の隣同士の数の比を取ってみると、黄金比に近づいて行くことが分かる。つまり、フィボナッチ数列の隣同士の数の比は、黄金比の近似的な値が並んでいるという隠れた関係がある。
3 自然界と黄金比・フィボナッチ数列
ひまわりの種の配列に美しい幾何学模様を見ることができるが、この配列に黄金比とフィボナッチ数列が深く関わっている。
ひまわりの種の配列をみてみると、右巻き(中心に向かって時計回り)の交わらない螺旋が引ける。また、見方を変えると、左巻きの螺線が引ける。ここで現れた螺旋の本数は、フィボナッチ数列の相隣る2項となっている。
また、ひまわりの葉が茎についている様子を見ると、どの葉も太陽の光を平等に受けられるよう に葉が互い違いに、上から見るとどの葉も重ならないようについている。葉は茎の表面に巻き付いた1本のつる巻き線上に生えていき、その隣り合う2つの葉のなす角度は一定で、面白いことに、円周を黄金比に分割する角となっているのである。
縦と横の比率が最も均斉の取れた長方形を想像してみよう。それは人によって様々かもしれないが、プラトン時代のエウドクソスが考え、後にイタリアのレオナルド・ダ・ビンチが名付けたといわれている「黄金比1.6180339…」と呼ばれる比が最も美しいといわれている。即ち、比 8:5 または 5:8 は、最も美しく安定し、人々に心地よさを与えるバランスとして、古くから経験的に知られている。
黄金比 5:8 は、そのバランスの美しさで、古代ギリシャ以来何世紀にもわたり人々の美的感覚 を魅了してきた。例えばギリシャ・アテネのパルテノン神殿は、BC 438年の建造物だが、正面からみて、縦と横が 5:8になっている。そのほかにもミロのビーナスのおへその上と下、名刺の縦と横などがある。そして、自然界にも、オウム貝、ひまわりの種、松ぼっくり、つくしなど多くみられる
歴史上、黄金比を数学の話題として初めて意識したのは、ユークリッドとされている。彼は次のような幾何学の問題として捉えていた。提起された問題は、
「線分をa:bに分かち、小さい方の線分と全体とでできる長方形の面積と、大きい方の線分でできる正方形の面積とが等しくなるように分けよ。」である。a,bの値が黄金比である。
2 フィボナッチ数列と黄金比の関係
「1つの子どもの細胞は、1時間経つと親の細胞になり分裂可能となる。そしてその親細胞は、親細胞と子細胞に分裂する。このように分裂を繰り返すと、細胞の数はどのように増えるか」という問題を考えてみる。
このときの細胞の数は、1、1、2、3、5、8、…… となる。これは前の2つの数の和が次の数になるという規則で並んでいる。(このような数列をフィボナッチ数列という。)
このフィボナッチ数列の隣同士の数の比を取ってみると、黄金比に近づいて行くことが分かる。つまり、フィボナッチ数列の隣同士の数の比は、黄金比の近似的な値が並んでいるという隠れた関係がある。
3 自然界と黄金比・フィボナッチ数列
ひまわりの種の配列に美しい幾何学模様を見ることができるが、この配列に黄金比とフィボナッチ数列が深く関わっている。
ひまわりの種の配列をみてみると、右巻き(中心に向かって時計回り)の交わらない螺旋が引ける。また、見方を変えると、左巻きの螺線が引ける。ここで現れた螺旋の本数は、フィボナッチ数列の相隣る2項となっている。
また、ひまわりの葉が茎についている様子を見ると、どの葉も太陽の光を平等に受けられるよう に葉が互い違いに、上から見るとどの葉も重ならないようについている。葉は茎の表面に巻き付いた1本のつる巻き線上に生えていき、その隣り合う2つの葉のなす角度は一定で、面白いことに、円周を黄金比に分割する角となっているのである。