今年の7月に、この夏初めての短パンをはいたとき、右足のくるぶしと膝の間が、女性の脚のようにふっくらしていることに気が付いた。指で押すと、くぼみがしばらく元に戻らない。足がむくんでいるのだ。整形外科で診察を受けたが、原因ははっきりしなくて、様子を見て、1カ月後に再診することになった。
最近、テニスやスクワットをするとき、時々膝に痛みを感じていたのを気に留めず放置していたのが良くなかったようだ。しばらくの間、私は好きなテニスを休み、毎日続けていたスクワットも止めることにした。
8月に入って、今までほとんど気に留めなかったテレビや新聞でのサプリメントのコマーシャルが、いかに多いかに気付き、どの食品を選ぶかを決定するのは非常に難しいことに気が付いた。そこで、サプリメントについて少し調べてみることにした。
現在、様々なサプリメントが販売されていることにまずびっくりした。日ごろの生活の中で、不足している栄養を補い、健康づくりに活用できる一方で、医薬品まがいの効用をうたったり、違法な健康食品を売る悪質業者もいる。信頼できるサプリメントを購入・利用するためには、知っておかねばならないことがあるようだ。
先ず医薬品とサプリメントの違いである。我々の口に入るものは、医薬品、医薬部外品、食品に分類され、食品の一部が健康食品なのである。
医薬品・医薬部外品とは、病気の治療や予防に使われる体に影響を与えることを目的とするものである。医薬部外品は、医薬品よりも体に対する作用が緩やかなものであり、いずれも国の承認が必要であり、許可が無いと製造・輸入・販売することができない。そして、病気の治療・予防についての表示が可能である。
また、サプリメントは、健康の保持増進に役立つものとして、販売・利用されている食品であり、健康食品、健康補助食品などと呼ばれている。一般的には、「健康に良いもの」とされているが、あくまでも食品であり、法律による定義はなく、体に対する影響(効能効果)の表示はできないのである。従って、留意しなければならないのは、動物実験で効果が証明されても、人間での実験において有効性だけでなく安全性も確認されなければならないが、サプリメントの表示や広告表現は、健康に関する科学的情報と、商品を販売するための広告との区別が付きにくいものが多い。そして、よくある体験談は、科学的根拠となる情報ではないのだ。食品を決定する根拠を何にすればいいのか今一つ明確ではないのである。
私は、膝に痛みがあることから、コンドロイチンに着目した。正式にはコンドロイチン硫酸と呼ばれるもので、サメの軟骨に含まれており、関節・靱帯・腱の弾力性・円滑性を保持する作用があり、骨と骨との摩擦を防ぐクッション的な役割を担うものである。適切な経口摂取すれば、安全とされているが、まれに腹痛や吐き気などの副作用があり、喘息の人は症状を悪化させる可能性があるとの情報も得た。使用に際して注意を要することは当然である。事前に医師に相談することは大切なことであると再認識した。
20世紀にはいってから急速に二酸化炭素・メタン・人口物質であるハロカーボン類などの温室効果ガスが増加しつつある。温室効果ガスは、大気圏にあって太陽からの熱が地表から輻射される際に、地球の外に放出されるのを防ぐのである。言い換えれば、この温室効果ガスによって再輻射され、地球が暖められて地球温暖化のきっかけとなるのである。
温室効果ガスの中でも、二酸化炭素が、大気中の濃度が他に比べて高く、地球温暖化への大きい原因となっている。世界各国が、今のペースで石油や石炭、天然ガスなどを使い続け、熱帯雨林を伐採し続けると、地表の平均気温は、2℃~3.5℃上がると予想されている。
地表の気温が上昇すると何が問題かというと、最も影響が大きいのは異常気象である。日本では台風が大型化して猛威をふるっている。台風は、海水が蒸発するときの水蒸気をエネルギーとして発達する。北上するにつれて、海水の温度が低くなるために衰えて、やがて消滅するのだが、近年は、日本周辺の海水温が高いために、台風がなかなか弱くならないのである。
他にも、北極や南極の氷が解けて、北極グマなどが絶滅が危惧されるなど生態系への影響が増加し、水不足の地域が増えて砂漠化が更に進み、熱帯性感染症(マラリヤ、コレラなど)の発生が増加し、穀物生産量が減少し食糧不足となるなど問題・影響が出ている。
そこで、国際社会は、地球温暖化の原因と考えられる温室効果ガスを削減しなければならないとして、1997年京都議定書において、温室効果ガスの削減目標を決めた。
日本は、2008年~2012年までの5年間の平均で、1990年の水準から6%減らすと公約した。議定書には、目標設定と同時に各国が協力して目標を達成するための経済的な仕組みも導入された。ここで注目されるのは、「排出権取引」である。排出権取引とは、「京都議定書で決まった削減目標に届かなかったら、お金で解決する」というしくみである。逆に、目標より多く排出量を減らせたらその分を市場を通して売ることができるのである。そして、目標達成できなかった国・企業は、市場を通して買うことができるのである。二酸化炭素が「金融商品」となる時代なのである。
このような時代に、国として、個人としてやるべきことがある。
一つ目は、二大温室効果ガス排出国であるアメリカと中国を含めた実効性のある対策の枠組みを作ることを急ぐことである。
二つ目は、東日本大震災後、脱原発を望むが強くなり、日本では化石燃料への依存が強まっていることである。温室効果ガスの削減を目指すことと、脱原発を目指すこととは、方向が同じではない。日本だけでなく世界各国どのようにバランスを取るのか考えねばならない。
三つ目は、地球温暖化防止のための身近な取り組みとして、冷房は1℃高く、暖房は1℃低く設定する、エアコンの使用をできるだけ控える、ふろの残り湯を洗濯に使う、車の無駄なアイドリング・空ぶかし・急発進・急加速・急ブレーキを止めるなどちょっとだけライフスタイルを変えることである。
未来の地球を守るのは、今の自分たちである。
インターネットの「発言小町@新聞」の掲示板が人気であると、ある新聞に記事が載っているのを見つけて、幼少のころを懐かしく思いながら読んだ。そこには、ダイヤル式の黒電話を姪に見せたら、ダイヤルの穴を一生懸命押していたとか、ペットボトルのお茶や水をお金を出して買うようになるとは想像できなかったとか、パソコン、テレビ、在校生名簿などについても、若者に通じないちょっと前の常識の話があるからだという。記事の内容に納得しながら、そうなったのは技術革新の速さだけではないと思いながら、新聞記事を読んだ。
夕食後激しい睡魔に襲われた。
楽しそうな笑い声で気が付いた。周りを見渡すと、田んぼと小川の間の農道であった。水を一面に張った田んぼで田植えが行われていた。家族総出と思われる老人から子供までの数人が等間隔に一列に並んで、張った紐についた印に従って、何か談笑しながら、手で苗を植えているではないか。更に驚いたことには、牛が農具を引っ張って水を張った田んぼの土を均しているのが目に入った。農道は、今まで見なれた舗装された農道ではなくて、でこぼこのある土がむき出しで、車が通るには狭すぎる道である。川の両岸もコンクリートでなくて、石垣である。ほんのさっきまで私が暮らしていた所は、土を均すのも、田植えも機械で行い、農道は完全舗装されており、道幅も軽四トラックが離合できる広さがあったはずだ。一体ここはどこなのか、なぜ自分はここにいるのか、何も分からない。茫然と立ちすくんでいると牛を引いて通りかかった老人が、「見かけない人だが、ここで何をしているのか」と話しかけてきた。答えようがなくて黙っていると、老人は不思議そうな顔をしながら通り過ぎて行った。太陽が西の空に沈みかけている時刻になっていることに気付いた私は、とにかく大通りにでてみようと思い、デコボコ道を歩いた。かなりの距離を歩いて大道りにでて、食堂の看板を見つけたが、その間自動車には一台も出会わなかった。
空腹を覚えて食堂に入ると、4人の先客がいた。画面は小さく、カラーではない白黒のテレビが目に入り、驚いた。新聞を取り、日付けを見てさらに仰天した。1955年であった。どうしてか分からないが、過去の時代にタイムスリップしたようである。小説や映画の世界のようである。頭の中が真っ白になった。胸がドキドキしてきた。不安が顔にでている私を、不思議そうに見ながら、店員さんが注文を取りに来た。その時、食堂の片隅にある黒電話のベルが、けたたましく鳴った。応対にでた店員さんは、「田中さんを呼んできますのでしばらくお待ちください」といった。そして駆けだした。この時代は、携帯電話はもちろんのこと、電話は各家庭には無いのだ。
煮魚をおかずに食事をしていると、小学生と思われる子どもたちが三々五々食堂に入ってきた。食堂のおばさんに「テレビを見せてください」というと、行儀よく席についた。まもなく「ジェスチャー」という人気番組が始まった。
食事を終えて外にでると、入口のすぐそばで大きいたらいに水を一杯入れて、おばさんが手洗いで洗濯をしていた。洗濯機はまだないようである。
かなり探したが、旅館を見つけることは出来なかった。仕方なく神社の社で寝ることにした。横になると、すぐに寝入った。
目が覚めると、見なれた自分の部屋であった。ほっとすると同時に、もっといろいろと見たかったなと残念な気もした。
夕食後激しい睡魔に襲われた。
楽しそうな笑い声で気が付いた。周りを見渡すと、田んぼと小川の間の農道であった。水を一面に張った田んぼで田植えが行われていた。家族総出と思われる老人から子供までの数人が等間隔に一列に並んで、張った紐についた印に従って、何か談笑しながら、手で苗を植えているではないか。更に驚いたことには、牛が農具を引っ張って水を張った田んぼの土を均しているのが目に入った。農道は、今まで見なれた舗装された農道ではなくて、でこぼこのある土がむき出しで、車が通るには狭すぎる道である。川の両岸もコンクリートでなくて、石垣である。ほんのさっきまで私が暮らしていた所は、土を均すのも、田植えも機械で行い、農道は完全舗装されており、道幅も軽四トラックが離合できる広さがあったはずだ。一体ここはどこなのか、なぜ自分はここにいるのか、何も分からない。茫然と立ちすくんでいると牛を引いて通りかかった老人が、「見かけない人だが、ここで何をしているのか」と話しかけてきた。答えようがなくて黙っていると、老人は不思議そうな顔をしながら通り過ぎて行った。太陽が西の空に沈みかけている時刻になっていることに気付いた私は、とにかく大通りにでてみようと思い、デコボコ道を歩いた。かなりの距離を歩いて大道りにでて、食堂の看板を見つけたが、その間自動車には一台も出会わなかった。
空腹を覚えて食堂に入ると、4人の先客がいた。画面は小さく、カラーではない白黒のテレビが目に入り、驚いた。新聞を取り、日付けを見てさらに仰天した。1955年であった。どうしてか分からないが、過去の時代にタイムスリップしたようである。小説や映画の世界のようである。頭の中が真っ白になった。胸がドキドキしてきた。不安が顔にでている私を、不思議そうに見ながら、店員さんが注文を取りに来た。その時、食堂の片隅にある黒電話のベルが、けたたましく鳴った。応対にでた店員さんは、「田中さんを呼んできますのでしばらくお待ちください」といった。そして駆けだした。この時代は、携帯電話はもちろんのこと、電話は各家庭には無いのだ。
煮魚をおかずに食事をしていると、小学生と思われる子どもたちが三々五々食堂に入ってきた。食堂のおばさんに「テレビを見せてください」というと、行儀よく席についた。まもなく「ジェスチャー」という人気番組が始まった。
食事を終えて外にでると、入口のすぐそばで大きいたらいに水を一杯入れて、おばさんが手洗いで洗濯をしていた。洗濯機はまだないようである。
かなり探したが、旅館を見つけることは出来なかった。仕方なく神社の社で寝ることにした。横になると、すぐに寝入った。
目が覚めると、見なれた自分の部屋であった。ほっとすると同時に、もっといろいろと見たかったなと残念な気もした。