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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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 1月6日から、NHK大河ドラマ「八重の桜」が始まった。今年1年間が楽しみとなる好スタートであったと思う。会津藩を舞台としてドラマは始まった。会津藩といえば、数年前に、「白虎隊」というドラマをテレビで見たことを思い出す。二つのドラマは、いずれも江戸時代の会津藩(今の福島県)の藩校、日新館に通う若者の生活の一端が描かれている。「八重の桜」でも、「ならぬことはならぬものです」という台詞が数回出てきた。会津藩では、日新館に入る前の藩士の子ども10人前後で「什」というグループを作り、各什で「什の掟」を定めていた。
例えば、 1つ、年長者のいうことに背いてはなりませぬ
      2つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
      3つ、うそを言うことはなりませぬ
      4つ、卑怯な振る舞いはしてはなりませぬ
      5つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
      6つ、戸外でものを食べてはなりませぬ
      7つ、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ
 これら7カ条は、「ならぬことはならぬものです」と締めくくられている。私が気にいっているフレーズだ。「問答無用、いけないことはいけない」といっているのだ。
今の時代、権利は主張するが、義務を果たさない。自分だけが大切で、他者のことを顧みない、そんな身勝手な人が増えたように思う。「ならぬことはならぬものです」と大きい声で叫びたい場面がある

 ドラマ「白虎隊」を見たときは、什の掟に背いたものがいたときどうするのか疑問を抱いた記憶はないが、ドラマ「八重の桜」の中で、子供4人に罰を与えるとき、「しっぺいの刑」に処すという場面があった。子供が掟に背いたとき、どうしたのか調べてみた。驚いたことに「しっぺの刑」が本当にあった。

「什の掟」に背いたものがいたときは、リーダーはその子供を呼び出し、事実の有無を審議した。そして、事実であれば、年長者の間でどのような処罰をするのかを相談したのである。
一番軽い処罰が「無念」である。「私は会津藩士の子供として、あるまじきことをしてしまい、申し訳ない。誠に残念です」という意味で、皆に向かって「無念でありました」といってお詫びをするのである。
次のレベルが「しっぺい」の刑だ。罰の重さによって、手のひらにしっぺをするか、手の甲にしっぺをするか、何回するかを決めた。
さらに重い処罰が「絶交」だ。いわゆる仲間はずれである。

 興味深いのは、掟も処罰は大人に指示されて作ったものでなく、6歳から9歳までの子供たちが考えて決めたということである。会津藩士としてのあるべき姿を自覚していたのだ。
友達とうまく付き合えない子供が増えた現代、子供に社会性を身につけるために応用できないものかと考えたりする年初めである。
 毎日、田んぼを見ながら、農道をウォーキングしている。今は麦が5cmくらいになり、春を待つ田んぼは薄緑である。暖かくなるにつれて、成長度を増して、4月には一面黄金色となる。私も田んぼも春が待ちどうしい。

 5月には田んぼに水を張り、代掻きをして、種苗会社から苗を購入して田植えをする。田植えに適した時期は短いから1軒の農家が耕作できる面積は限られてくる。
秋には収穫だ。稲の品種を変えることにとって、収穫の時期をずらすことができるから、稲刈りには余裕がある。5月の田植えと、10月の収穫時期以外はそれほど手間がかからない。一時期に作業が集中するのが稲作の特徴だ。

 ウォーキングしながら、水田の1年間を見ているが、気になっていることがある。それは麦もコメも作らないで放置している田んぼがあることと、自分で耕作しないで人に頼んで米や麦を作ってもらっている人が多くいることである。頼まれて耕作している人もやがて年をとり農作業ができなくなるだろう。その時どうなるのであろうか。私は、農地を所有していないが、水田・畑・果樹園に囲まれた農村に住んでいる。この機会に農業の抱える課題について考えてみたい。

 2010年10月現在の資料によると、日本の人口の3%に満たないが約260万人が農業に従事し、日本の食料の40%を自給している。農家1戸当たりの農地面積は、2007年でEUの9分の1、アメリカの99分の1、オーストラリアの1862分の1と耕作面積は極端に狭い。そして、農業従事者の平均年齢は66歳と高齢化が進み、35歳未満は5%と後継者は減少しており、将来に不安を抱えている。
 更に、ある資料によると、コストの面では、稲作の高齢化を可能にしたトラクター・田植え機・コンバインなどの農機に約1000万円、農薬代1万円(1反当たり)、肥料代15000円が1年間に必要である。収入は、1反当たり米は平均9俵収穫でき、1俵13000円だから、1反当たり12万円弱である。個人が稲作のみで生計を立てるのはかなり難しいことを示している。

 多くの問題点・課題を抱える農業だが、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉に参加するかしないか、難問にも直面している。TPPに参加すると、外国(アメリカ、ベトナム、オーストラリア)から安い米がどんどん入ってきて、日本の農家が作った米が売れなくなるから、「外国との競争に打ち勝つ農業を目指すべきだ」、「小規模兼業農家が増加している現在、高い関税により輸入米を抑え、農業者戸別所得補償制度のように手厚く助成する必要がある」と意見が分かれている。

 私の住んでいる地域では、高齢化した兼業農家が多く、米作中心の専業農家は数軒である。今のままでは農業は衰退の一途である。発想を変えて、個人ではなくてグループを作って米作だけでなく野菜や果樹をも取り入れた農業を営むことはできないものかと、ウォーキングしながら思うのである。



退職して、運転する機会が減った。一家に2台はいらないということで、2011年の夏に、愛用していた自家用車を手放した。自由に使える車が無くなり、最初は不便さを感じて少しとまどったが、1年がたってすっかり慣れた。大きいものを手放したが、小さいが気に入った物を、今年手に入れた。毎日目につくように、書斎に飾っている。

一つは色紙である。趙治勲九段によって、「玄暉峻朗」と書かれた色紙である。書かれている詩句について少し調べてみた。

「げん・き・しゅん・ろう」と読み、出典は、梁代の詩文集「文選:もんぜん」の一句である、“玄暉峻朗(げんきしゅんろうにして)、翠雲崇靄(すいうんすうあいたり)”である。

意味は、玄は天、暉は日、併せて玄暉は太陽のこと。峻は高く、朗は明らか。翠雲は、緑色の雲。崇靄は、雲が盛んにたなびく様子を表した詩句である。

趙治勲九段が、好む詩句であり、「自分も太陽のように常に高く、明るくありたい」という志が感じられる。趙治勲九段の内面の一端がうかがえる気がして、気に入っている。

藤沢秀行名誉棋聖によって、「磊磊」と書かれた扇子もお気に入りである。意味は、「途方もなく大きいこと。志を遮るものなし。思いのままに大きく生きること」である。秀行名誉棋聖の生き方と通じるところに共感し、好きな言葉である。

秀行名誉棋聖は、棋聖6連覇するなど大活躍した。碁の神髄を探求し続け、ガンにも負けず、後進の指導にも情熱を注ぎ、多くの一流棋士を育て、ファンの多い、20世紀を代表する棋士である。

若い頃から、揮毫を好み、柳田泰雲に師事し、「根本が駄目」、「下手の高望み」と書いた色紙も人気がある。

建築家の松村賢治氏が、26年前に復活させた旧暦カレンダーも、お気に入りである。子供の時に旧暦も合わせて書いてあるカレンダーを見た記憶が微かにあるが、このブログで「太陰暦と太陽暦」を取り上げたこともあって、旧暦カレンダーには興味があった。新聞で旧暦カレンダーの記事を読んで早速注文し、手に入れたものである。

旧暦とは、月の満ち欠けに太陽と地球との関係を加えた太陰太陽暦である。1カ月は、29日か30日であり、1年は354日である。従って、19年に7回1年を13カ月にして調節しなければならない。2013年の元旦は、旧暦の11月20日であり、2月10日が旧暦の元旦である。

季節の移り変わりを大切にする日本人は、明治以前は、年中行事を旧暦カレンダーで行っていたが、明治以降の新暦(太陽暦)でも同様にしたために季節が合わないことが幾つかある。たとえば、桃の節句である。旧暦の3月3日であったのを、新暦でも3月3日にしたために、桃の花の咲かない季節に桃の節句を行うことになっている。七夕も旧暦の7月7日だったが、そのまま新暦でも7月7日にしたために梅雨で星が見えないことがよくある。

2013年は、友との対局において、扇子「磊磊」を片手に思いのままに打ちたい。加えて、季節感のある自然暦であり、農暦である、旧暦カレンダーの良さを四季折々味わってみたいものだ。