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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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井山裕太本因坊(23歳)は、3月14日の棋聖戦第6局に、張棋聖に中押し勝ちをして、シリーズ4勝2敗となり、初の棋聖を獲得した。井山新棋聖は、本因坊・天元・王座・碁聖・十段と、7大タイトルのうち名人を除いて史上初の6冠となった。

井山新棋聖は、大阪府東大阪市出身で、6歳のときテレビの囲碁番組に出演して、大人相手に5人抜きをした。その番組の解説をしていた石井9段にその才能を認められ、弟子入りし、中学1年でプロ棋士となり、数々の最年少記録を塗り替えてきた。新棋聖には、更に名人のタイトルを獲得して7冠となって、ここ数年不利となっている中国・韓国の棋士を破って世界戦のタイトルを獲得してほしいと願うのは、私に限らず、日本の囲碁ファンの願望であろう。

さて、以前このブログで取り上げたことがあるが、私は、ヘボの囲碁愛好者である。対局において、後で振り返ると、なぜこんなイージーミスをしたのであろうかと、悔しく思うことがよくある。原因を考えてみると、相手の地が大きく見えてやきもちを焼いて無理な手を打ったり、自分に都合のよいように相手の手を予想して打ったのがミスに繋がるケースが多いことに気づく。囲碁はミスするゲームとも言われるように、誰もがミスをするが、その回数を減らそうと努力するゲームでもある。

囲碁に限らず、どんな競技にも共通することだと思うのは、プロであろうがアマチュアであろうが、肩に力が入りすぎるとミスが増える。スポーツならば、リキムと瞬発力が無くなるのは、誰もが経験することである。囲碁においてリキムとどんな影響が出るかといえば、碁盤全体が見えなくなるのである。例えば、部分的な戦いで勝って相手の石を取っても、よく見ると石を取らされたのであって、碁盤全体では負けていたなんてことは、よくあるのである。リキミ過ぎて視野が狭くなったことが原因なのだ。

碁盤全体が見える状態を作るためには、気持ちが落ち着いた状態、即ち、自然体になることだ。その状態が、頭の働きが最も良いのだ。囲碁には「岡目八目」という言葉がある。他人の対局を横で見ていると、いつもより良い手が浮かぶということである。他人の碁だと邪心が入らず、自然体で碁盤を見ているから、良い手が浮かぶのである。

ここまで、このブログを書いて中断した翌日、私の所属している囲碁クラブの大会があった。背筋を伸ばして、肩の力を抜いて、碁盤に近づき過ぎないようにして、碁盤全体を眺めて、

黒の弱い石はあるか

白の弱い石はあるか

黒の強力な厚みはあるか

攻めたい白の石はあるか

をチェックしながら、「岡目八目」の良い状態を意識した。

驚いたことに、A級(3段以上)で優勝してしまった。幸運とブログの成果だったのかも!



3月3日から、3泊4日で東京へ行った。4日は、都庁・スカイツリー・柴又・アメ横の観光をした。夕食時に、万歩計を見ると、12000歩を表示していた。妻は、お土産を買うなど私より行動的であったので、20000歩を超えていた。表示されたこの歩数は、4日に限らず、今まで東京に行った時と変わらない。

ちなみに、4日の行動を振り返ってみると、朝食後、ホテルの正面玄関から道路一つ隔てた都庁の展望室に上った。眼下には高層ビルが立ち並ぶ新宿、くっきりと浮かんだ真っ白い富士山などパノラマを満喫した。

都庁から歩いて新宿駅に行き、スカイツリーを真近で観るために押上へ向かう電車に乗った。ソラマチ商店街を歩いて、スカイツリーの真下へ行った。スカイツリーがあまりに高いために、見上げれば首が痛く、写真を撮ろうとすればスカイツリーの一部しか入らないという構図を解消するために、押上の街をスカイツリーから離れるために歩いた。しかし、かなり歩いても問題は解消できなかった。そんな時、小さな公園に直径2mくらいのカーブミラーのような鏡が設置されており、スカイツリーの全景をバックに自分の写真を撮れるようになっていた。先客に続いて、私たち夫婦も望んでいた構図の写真を撮ることができた。

昼前に柴又に着いた。映画「男はつらいよ」のセットを思わせる柴又帝釈天参道を歩いた。帝釈堂の周囲にある見事な彫刻を見た後、葛飾柴又寅さん記念館を目指して、東京都内とは思えないのんびりした下町を歩いた。間違った標識に従ったために、矢切りの渡しの方に向かってしまった。途中で気が付いて引き返したが、疲れがどっと来た。それでも「寅さんの世界」を再現したセットを見て、映画の場面がよみがえり、改めて素晴らしい映画であったことを懐かしんだ。

続いて、乗り換えのために上野駅で電車を降りた。アメ横を歩く人の多さを見て、予定を変更して、アメ横を歩くことにした。アメ横といえば、威勢のいい掛け声と共に、袋にチョコレートを詰め込み、1000円で売る叩き売りが有名らしいが、ピーナッツなど豆類の袋を6個併せて売る叩き売りも威勢が良かった。その店員さんの目が私たち夫婦をとらえ、掛け声につられて買ってしまった。荷物になるから困ると後悔したが、もう遅い。しかし、楽しかった。

田んぼに囲まれた田舎に住む私は、出かけるときは、近くても車である。歩いて出かけるときはほとんどない。毎日のウォーキングを除くと、私の万歩計は、2000歩に満たないのは珍しくない。健康のためと、歩くことを意識しなければならないのである。

東京は、交通網が発達しているから、都心の駅は山手線・中央線・日比谷線・丸ノ内線…と各線の乗り場が集まっていてとにかく広い。ホームを降りて改札口を出るまでだけでも結構歩く。歩かざるを得ないとも言えるが、東京に住んでいる人も観光客も、ともかく良く歩き、しかも速足なのである。運動不足にならない東京の人は、足腰の老化防止になり、幸せなのかもしれない。

 この世には、不思議なことが数多くある。植物・生物・宇宙に見られる渦巻き・らせんの存在もその一つである。そこには、世の中の美を代表する黄金比(1,6180339…、約8:5)が潜んでいる。
 長方形を考えたとき、縦と横の比率が約5:8のとき、人々に心地よさを与えると、古くから知られており、古代ギリシャ以来何世紀にもわたって、バランスの美しさで美的感覚を魅了してきた。
 例えば、黄金比は、美の象徴的な存在であるミロのビーナスの、足元からおへそまでと足元から頭の上までの長さの比、おへそから首の付け根までとおへそから頭の上までの長さの比、パルテノン神殿の高さと幅の長さの比として知られている。

 数の列 1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、……は、6項目の8と7項目の13との和が8項目の21のように、前の二つの数の和が、次の数になるという規則で並んでおり、この数の列をフィボナッチ数列という。フィボナッチ数列は、隣同士の数の比が、
   1/1=1、   2/1=2、   3/2=1.5、   5/3=1.66…、   8/5=1.6、    13/8=1.625、   
   21/13=1.61538…、     
   34/21=1.619048…、 
   55/35=1.617647…、      
   89/55=1.6181818…
のように、数列の後になればなるほど黄金比に近付くという隠れた関係がある。

 身近に、フィボナッチ数列が潜んでいるらせんがある。
 植物の枝に付く葉は、日光や雨にさらされる面積ができるだけ大きくなるような配置を取っている。枝が垂直に伸びると、ほぼ等間隔に葉が付くが、葉は前の葉の真上には付かない。真上に付くと、下の葉に必要な日光や水が届かなくなってしまうからだ。葉の生える位置を、順につないでいくとらせん状になる。ちなみに、リンゴ・カシ・杏子は5分の2周毎(5枚の葉で2周する)に、洋ナシ・しだれ柳は8分の3周毎に葉が付いている。ここに出てきた(2・5),(3・8)は、フィボナッチ数列の一つとばしに並ぶ数であることに、天文学者のヨハネス・ケプラーが最初に気付いたである。

 美しい幾何学模様をなすひまわりの種も、らせん状に配列している。隣り合う種を次々に結んでいくと、右巻き(中心に向かって時計回り)の交わらないらせんが引ける。また、見方を変えると、左巻きのらせんも引ける。らせんの本数は、ひまわりの大きさに左右されるが、最も多いのは一方の向きに34本、逆向きに55本である。そして、この34と55は、フィボナッチ数列の隣り合う2項なのである。
 似たような周期的な配置は、松ぼっくりの隣片、パイナップルの6角形の隣片、オウム貝の殻、人間のDNAの形、台風の渦など、数多くある。一見数学とは無縁と思われるところに、美の根源といえるフィボナッチ数列が潜んでいるのだ。感動を超えて、驚異というしかない。まさに神秘である。