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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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4月6日から12日まで春の新聞週間である。この機会に新聞の役割や魅力について考えてみる。

我が家では、全国紙と地方紙を取っている。ある日の全国紙の紙面は、総合、政治、経済、国際、商況、投書、解説、家計、くらし、広告、教育、スポーツ、文化、番組、地域、社会の分野に分かれており、34ページであった。地方紙は28ページであった。新聞の情報量はとてつもなく多いことに改めて驚いた。

情報がぎっしり詰まった新聞を、隅から隅まで時間をかけて、じっくり目を通すという人がいるが、私はまねできない。私の読み方は、見出しを見て興味・関心がある記事のみじっくり読むタイプである。

政治・経済・国際に関する記事は、若い時には見出しを拾い読みする程度であったが、50才になった頃から、できるだけ記事に目を通すように努めている。だが、興味・関心が低いために理解を深める読み方ができているとは言い難い。

60歳を過ぎて、ブログを始めてから、さらに新聞の読み方が少し変わった。朝、新聞を開けると、先ずブログのテーマのヒントになるものはないかと、見出しに目を通す。ヒントになる記事があると、コピーをして後でじっくりと読むようになったのである。そのようにして公開したブログは、「1秒の決め方」、「インフレ目標政策」、「賢い有権者にならねば!」、「地方分権」、「地球温暖化」などがある。

日常の出来事をはじめいろいろな情報を素早く伝えるものの代表は、新聞、テレビ、インターネットである。最近の若者の情報を得る手段は、新聞やテレビからよりもインターネットによるという。多くの若者に、新聞の魅力を知って欲しいものである。

テレビは、情報の速報性はあるが、番組編成・放送時間という制限があるために、十分に掘り下げることは難しい。また、一過性であるために、情報を得ることはできても、理解を深めることは難しいという欠点がある。

インターネットは、いつでもどこからでも、欲しい情報を得ることができる。しかし、情報が多すぎて、どの情報が良いのか選択するのが困難である。長所は、情報を受け取るだけでなくて、自ら情報を発信できることである。これが若者に受けている要因であろう。

新聞は、紙面という制限はあるが、情報を発信するまで時間の余裕があるために、出来事について分析し、掘り下げることができるのである。多面的な視点で、きめ細かく、分かりやすくまとめられた記事を、読者は自分のペースで読むことができる。何度も読み返すことによって理解を深めることができるのである。これが新聞の最大の魅力であると言える。

新聞の魅力を生かすためには欠かせないことがある。一つは、地道な取材をして、特定の個人・団体のための報道ではなくて、公正・正確な姿勢で、分かりやすくまとめた記事を書く記者の姿勢である。二つ目は、新聞に書かれていることは正しいという先入観があるが、いろいろな考え方があるのであるから、100%正しくはないと、少し距離を設けた読者の姿勢である。



『東北新幹線の「はやぶさ」は、3月16日から最高時速320kmで運転している。これはフランスの「KGV」と並んで、世界一のスピードである。』と、新聞記事で知った。この高速化によって、東京駅と新青森駅は最速2時間59分で結ばれたことになる。日本の技術力の素晴らしさを誇らしく思うと共に、便利になることで、観光に出かけるなど人の動きが活発になり、大きい経済効果を期待したい。加えて、東日本大震災で大きな被害を受け、未だ復興半ばである東北地方へ、人々が行きやすくなったことは、復興に役立つはずである。

新幹線の歴史を少しだけ振り返ってみると、戦後の復興により、物資の輸送の需要が増大し、特に東海道本線においては、路線の増設が必要になった。新しい幹線を作り、高速列車を走らせるための不可能とも思える難題に立ち向かった男たちによって、東海道新幹線が建設されたのである。

東海道新幹線に続いて、次々に新幹線が建設されたのであるが、全ての路線の名前・起点と終点の駅名・列車名など正確に知らないことに気が付いたので、詳しく調べてみた。 

東海道新幹線:開業1964年、東京駅から新大阪駅、列車名は「のぞみ・ひかり・こだま」

山陽新幹線 :開業1972年(岡山まで)、全線は1975年、新大阪駅から博多駅、列車名は東海道・九州新幹線に同じ

東北新幹線 :開業1982年(一部)、全線は2010年、東京駅から新青森駅、列車名は「はやぶさ・はやて・やまびこ・なすの」

上越新幹線 :開業1982年、大宮駅から新潟駅、列車名は「とき」

長野新幹線 :開業1997年、東京駅から長野駅、列車名は「あさま」

秋田新幹線 :開業1997年、盛岡駅から秋田駅、列車名は「こまち」

山形新幹線 :開業1992年(山形まで)、全線は1999年、福島駅から新庄駅、列車名は 

「つばさ」

九州新幹線 :開業2004年(新八代から鹿児島中央)、全線は2011年、博多駅から鹿児島中央駅、列車名は「さくら・つばめ・みずほ」

夢の超特急(新幹線)の設立を思うとき、未曾有のプロジェクトに挑んだ男たちを描いた碇義朗著の『「夢の超特急」、走る! 新幹線を作った男たち』を読んで感動したことを思い出す。

列車といえば、私には強烈な思い出がある。それは小学生の時のことである。社会科の宿題で、職業について調べることになり、自宅の近くにあった国鉄(現在のJR)の駅に行った。駅長さんから、国鉄職員の仕事について丁寧に説明を受けた後、駅の引き込み線に待機していた蒸気機関車に乗せてもらい、石炭をくべる作業を体験させてもらった。石炭を炉にくべるときの暑さ、鳴らした警笛、力強い蒸気の音など鮮明に記憶に残っている。

小学生の時には、蒸気機関車が電車に代わり、時速320kmの高速で走る時代が来るとは、夢にも思わなかった。しかも新幹線は、開業以来、衝突・脱線の死亡事故はゼロという安全性に加えて、1日に300本以上の列車が時刻表通りに運行されるという素晴らしい技術に裏付けされているのだ。夢の超特急「新幹線」は、日本が世界に誇れるものの一つである。



先日の東京への旅行において、宿泊したホテルには、旅行者(中国、韓国、台湾いずれの国からなのか分からない)が、日本人より多数ではないかと思えるくらい宿泊していた。都庁の展望室でも同様であった。しかも土産物売り場の一部のコーナーでは、の商品名に日本語での表示は無くて、中国語のみであった。明治神宮でも参道を歩く人の半数近くが東アジアからの旅行者であった。地方の田舎に住んでいると実感できない国際化した日本の姿を体験した。

最近のテレビで、2013年の2月の外国人旅行者数は、73万人であると報道されていたこともあって、外国人旅行者の実態が知りたくて、調べてみた。

2012年に日本を訪れた国別人数は、日本政府観光局の資料によると、韓国204万人(157万人)、台湾147万人(133万人)、中国143万人(83万人)、USA72万人(44万人)、イギリス17万人(10万人)、フランス13万人(8万人)……(ただしかっこ内の数は、観光客数である)である。アメリカ、ヨーロッパから訪れる外国人よりも、東アジアから訪れる人の方が多いことを知り、私が目にした光景と一致することを確認できた。

定年退職をした友人の中には、夫婦で、スイス、イタリア、フランス、アメリカへと海外旅行を楽しんだ先輩や同僚が少なからずいる。私はといえば、新婚旅行でグァムへ行ったのが唯一の海外旅行である。昭和50年代は、1ドルが270円くらいだったと記憶しているが、海外へ旅行することは珍しい時代であった。現在は1ドル約90円であり、金銭面からも海外へ行きやすくなっている。海外へ行く人・海外から来る人いずれも多い時代である。

グァムでの思い出の一つに、ホテルのフロントマンとの会話で、苦心した経験がある。それは、部屋の中にキーを置いたまま、うっかり部屋から出てしまい、自動ロックがかかって部屋に入れなくなってしまったので、そのことを説明するために、フロントへ行った。そこで、「ここは外国なのだ」と気付いたのである。日本語が通じる人がいないのである。ジェスチャーを交えながら、片言で説明することはなんとかできたような気がしたが、フロントマンのいう言葉が、まったくと言っていいほど聞き取れなかったのである。英会話の勉強をしておけばよかったと思った事を記憶している。

英会話教室に通っている妻が、東京での4日間の行動の中で、欧米人と英会話をする機会があればいいがと密かに期待していたが、エレベータで一緒になったり、土産物売り場で隣同士になったりした外国人は多数いたが、欧米人はほとんどいなくて、耳に入ったのは中国語ばかりであった。

日本では、外国語教育といえば、英語である。しかし、今回の東京での4日間に限って言えば、中国語を使用する機会はあったが、英語を使う機会は無かった。都庁の土産物売り場の一角は、商品名は中国語のみであったり、ホテルのフロントには中国人の宿泊客を案内する人がいたりと、中国語の需要の高さを実感した。だからといって中学校や高校で中国語教育を実施してはというのではない。大学や外国語専門学校において、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語などの選択が、今よりも容易になることが、国際化への対応の一つであると望むしだいである。