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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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強い勢力を持ち、各地に被害をもたらした台風8号が過ぎ去った11日の夜、空気が澄みくっきりと見える星を見上げながら、宇宙の不思議を思った

 我々の住む地球は、酸素を含む大気に包まれ、生命の活動に欠かせない豊かな水に恵まれた惑星である。太陽からの距離・公転の速度・自転の速度・傾いた自転の軸…などが少しでも異なっていたならば、現在の地球は存在しなかったであろうと宇宙の成り立ちの不思議を思うのである。

 地球は太陽を1つの焦点とする楕円を描きながら回っていることは、誰もが知っていることであるが、この楕円の短い方の半径が1000mとすると、長い方の半径は1000,18mと、差はわずかなのである。つまり、極めて円に近い楕円なのである。数値的には楕円であるが、人間の感覚からすれば円といってよいであろう。それにしてもこのことを最初に発見したケプラー(15711630)の凄さに感嘆するばかりである。

 ちなみに、ケプラーが惑星の運動について発見した3法則(ケプラーの法則)とは、

① 惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描く

 ② 太陽と惑星を結ぶ直線は、等時間に等面積を描く(面積速度保存の法則)

 ③ 惑星の公転周期の2乗は、太陽からの平均距離の3乗に比例する である。

 地球を包む大気の厚さは、わずか20kmにすぎないのであるが、海の深さ10kmを加えても地球の生命圏の厚さはせいぜい30kmなのである。地球を直径20cmの球体に例えると、生命圏はその表面を覆う0,5mm足らずの薄い膜にすぎないことになるのである。

 程よい温室効果で地球を過冷却・過熱から守り、生命に有害な紫外線を防ぐ大気のことを教えてくれたのは、宇宙飛行士が宇宙空間から撮った1枚の写真である。日没直後の地球の大気層が写ったその写真には、黒く巨大な地球の表面にすがりつくようにして輝く赤紅色の細い線がある。その線こそが我々がどこまでもあるのではないかと錯覚している大気の層なのである。細い一筋の線の外側には、生命が存在しない暗黒の宇宙空間が広がっているのである。無限どころか消えてしまいそうな薄い層の領域に我々は生きているのである。

 さて、宇宙はどのようにして生まれたのか、宇宙はどうなっているのか、……、不思議はいっぱいあるが、地球に最も近い月の成り立ちでさえはっきりしてはいないのである。地球ができたとき、その周辺にあった微小天体が集まってできたとするもの、地球から離れたところで生まれた天体が、たまたま地球の引力に捉えられたとするもの、地球が誕生した直後は現在のように冷え固まっていなくて、しかも高速で回転していたために、その一部が分裂して飛び散ってできたとするもの、

地球より小さい惑星が地球に衝突した際に、双方の一部が凝集してできたとするものなど、いろいろな説があるのである。

 1969年、アポロ11号のアームストロング船長らが月面に降り立ち、持ち帰った岩石を研究することによっていろいろなことが分かってきたが、まだまだ不明なことだらけである。そして、アポロ11号によって月面に設置されたレーザー反射板を用いた測定によって、月は地球から1年間に3,8cmずつ離れていっていることが分かっているのである。宇宙観測の進歩は、新たな謎を生んでいるのだ……。


 FIFAワールドカップブラジル大会が終盤になったが、ザックジャパンの予選敗退が決まるまではザックジャパンのユニフォームを着て応援する人がテレビ画面に溢れていた。サッカーに限らず野球においても好きな選手の背番号が付いたユニフォームを着ての応援を楽しむ人は多い。

「数」は元々ものを数えるためにできたものであるが、言葉であり文字であるためか数以外にも意味を持っており、たいていの人は縁起がいい数・好きな数、縁起が良くない数・嫌いな数を持っている。 

「あなたの好きな数は何ですか?」と問われれば、私は「8」と答える。理由を問われれば、「8を横にすると∞となり、無現大を表す記号となり、無限大には夢を感じるから」と答える。

私に限らず日本人は縁起の良くない数として「4」、「9」を挙げる人が多い。理由は、「4」は「死」、「9」は「苦」と発音が同じであるからであろう。4階や9階には住みたくない、4や9が入っている車のナンバープレートは嫌だ、結婚式など重要な行事は4や9のつく日は避ける…などいろいろとある。

欧米人は「アンラッキーな数はなんですか」と問われれば、「13」と答えるであろう。考えられる理由としては、最後の晩餐にキリストを裏切った弟子のユダが13番目の席に座っていたとされていること、ノルウェーの伝説に出てくるキロという神は、12人の神のパーティに呼ばれてもいないのに押しかけたこと、アガサ・クリスティ著の「火曜クラブ」において不吉な数として13を印象付けたことなどいろいろあるようである。

 

 さて、「1」は、いち・ひとつである。1番といえば初め・最高・ただ一つだけと世間では取りざたされているから、「1」はよいもの・偉いもの・欲しいものを連想する。「2」は、上下・左右・前後・夫婦・親子・子弟……と、社会においてのよりどころのひとつとなっている。「3」は、江戸時代には縁起の良くない数であった。なぜなら、三片・三切れといって身切れ(身が切られる)を連想するからであった。しかし、昭和の時代に生まれた者にとっては、プロ野球の人気を支えた長嶋選手の背番号としてlucky number の一つとなっているようである。

加えて、皇位の印として歴代の天皇が受け継いできたという三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)である。ひところ流行った女性が求める理想の結婚相手の条件は、高い身長・高収入・高学歴であり、1950年代後半には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電を三種の神器といい、1960年代半ばの高度経済成長時代には、カラーテレビ・クーラー・カーの3種類の耐久消費財が新三種の神器と呼ばれ、野球の選手を評価するにも「3」がキーである。打者は打率・打点・ホームラン、投手は勝利数・勝率・防御率の3分野であり、3分野すべてトップであれば3冠王という。「3」で考えるとすっきりするものは多いのである。

 「8」は、八と書き、末広がりの形であるから縁起の良い数である。日本人には最も人気のある数である。

 前述したように日本人には、「4」は縁起が良くない数であるが、欧米人にとっては四つ葉のクローバーの「4」として、ラッキーセブンの「7」とともにlucky number なのである。

縁起を担ぐ・担がないは人様々なのである。


17世紀、デカルトはXy座標を考えて解析幾何学を創始したことを前回取り上げた。数学つながりで、今回は古代の数学はどんなものであったのか、調べてみることにした。

 

現存する古代の数学の本はわずかである。その中の一冊である「九章算術」は、中国の数学の本で、いつごろ作られたのかは不明であるが、最も古いものであり、9章からできている。各章には、似たような問題が集められていて、読む人はその問題を次々に解いていくと、なんとなく一般的な解き方が分かるように書いてある。一般的な法則(定理)を述べて、それを証明するという形にはなっていないのである。

 この本の第8章は、「方程」となっている。現代数学の中では、中学生から当然のように使われる「方程式」という言葉の語源である。「方」は比べる、「程」は大きさ・量を意味するから、「方程」は大きさ・量を比べるという意味になる。例えば、2X+4と12とが等しくなるXの値を求めることは、方程式2X+4=12 を解くことなのだ。

九章算術の8章では連立一次方程式 2X+3y=13、4X-y=5 も扱っている。 

 古代の数学の本は、政府の役人が勉強すべきものとして作られたようである。一般の大衆が読むものではなかったようである。つまり、本に書かれているようなこと、例えば、四角形・三角形・円形など田畑の面積の求め方など、知らないと政府の役人としての仕事ができなかったということであろう。

 さて、古代の数学とは、エジプト・インド・中国・メソポタミアに農業を中心とした古代文明が生み出した数学といえる。規模の大きい国ができると、行政をしなければならない。そのためには、税金を徴収する、大きい道路を作る、治水工事を行う、……をしなければならない。そのためには程度の高い数学が必要であったのだ。古代の農業を主とした国では、天候や季節を知ることが必要であったことから、数学と共に天文学が発達したのである。

 現在では、1年は約365ということは誰もが知っているが、古代から知られていた訳ではないのだ。長い年月にわたっての星の観測によって知られてきたことなのだ。いつ種をまいて、いつ収穫したらよいのか、季節を知ることは農業にとって大切なことなのである。だから、農業を主とした国では、天文学が発展するにつれて、いろいろな計算の必要が出てくるから、数学も発展したのである。

 時代が進んで、紀元前6世紀~5世紀には、貿易つまり地中海を舟で商売するギリシャ人が活躍するようになって、必要とされる数学が変わり、古代の数学から新しい数学に変わったのである。賢い人で商売も上手であったといわれる、ギリシャの7賢人の一人であるターレス(紀元前640546)は、これまで実験や経験から正しいと決められていたことに,証明という方法を取り入れ、誰もが納得する簡単なことを組み合わせて複雑なことを論理的に証明するギリシャ数学の開祖となったのである。

 古代の数学のレベルは、現代の小学校の算数位であったようである。現代は、高校生が3次方程式や4次方程式を解くのである。学問の発展の素晴らしさを改めて思う次第である。