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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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星空がきれいだった。梅雨一休みの6月30日の23時頃、帰宅しながら見上げた夜空である。7月7日の七夕祭りが近いことに気付いた。明治以前は、年中行事を旧暦カレンダーで行っていたが、明治5年に改暦が行われて、新暦になっても七夕や桃の節句などは、旧暦の月日で行ったために、季節が合わなくなっているのである。ちなみに今年は、旧暦での7月7日は現行カレンダーでは8月13日である。江戸時代ならば、七夕祭りは一月以上後のことである。

私が子供だった昭和の中期の頃は、現行カレンダーでの8月7日に七夕の行事を行っていた。庭に面した部屋に供物をし、庭には短冊を飾り付けた笹を立てるのである。短冊には俳句や願い事を書いて、叶うことを願ったのである。どの家庭でも七夕を行っていたのだが、気が付けばいつの頃からなのか実施しなくなっていた。毎年、幼稚園児の作った七夕飾りがテレビで報道されてはいるが……。

天帝の娘である織女は機織りが上手だったが、牽牛と結婚すると、機織りをしなくなった。怒った天帝は、二人を天の川の東西に分かれさせた。だが、かわいそうなので、年に1回7月7日の夜にのみ逢うことを許した。もし、この日に雨が降ると天の川が溢れて逢えなくなるので、人々はこの日の快晴を願うというかわいそうな物語である七夕祭りについての中国の伝説を、若い世代の人は知らないのではなかろうか。七夕祭りは、趣のある奈良時代からの行事である。見直してみたいものだ。

ところで、織女と牽牛(織姫と彦星)は、近づくことができるのであろうか。織女星は北天の星座『こと座』の星の一つであり、夏の夕方に天頂に来る明るく輝く星であり、地球から26.5光年の距離にある。牽牛星は、『わし座』の星であり、白光色で輝き、地球から16.5光年の距離にある。そして、お互いの距離は16光年である。最速の光のスピードでも16年かかるのだ。簡単には近付くことができないのである。

畑中武夫著の「宇宙と星」を読んで、興味深いことを知った。この織女星は、13000年前には天球の北極の近くで輝く星であって、一日の周期で持って繰り返す天体の運動において、ほとんど位置を変えない北極星であったのだ。そして、今から12000年後には再び北極星になることが予想されているのである。

今の北極星は、地球が自転している軸の方向にたまたま見えるにすぎないのだ。地球は地軸を軸として自転しているが、この軸は、空間をゆっくり廻って、約26000年で一廻りする。だから、我々のいう北極の方向は、天球上で大きな円を描いて廻っているのだ。今から12000年後には、軸の方向が織女星の近くになるという訳である。

今の北極星は、本当の天の北極、即ち、地球の自転軸を延ばした方向から約1度離れている。紀元2100年頃には、その半分以内まで近づくが、それからは遠ざかるのだ。

いつの時代も明るく輝く星が、天球の北極の近くにあるとは限らないのだ。明るい星が北極の近くにある今の時代はラッキーと言わざるを得ないのだ。



長谷川町子美術館のある東京都世田谷区桜新町には、サザエさん一家の銅像がある。先日、この銅像が固定資産税の課税対象になっていることが分かり、所有する地元商店街は困惑していることを報道で知った。そういえば、最近アニメのキャラクターの銅像を設置するのが流行っているようだ。そこで、漫画とアニメをテーマにして考えてみる。

東京都葛飾区には、こちら葛飾区亀有公園前派出所の両津勘吉巡査長の像とキャプテン翼の大空翼の像。富山県の高岡市には、ドラえもんの像、氷見市には忍者ハットリくんの像。福井県敦賀市には、銀河鉄道999のメーテルと鉄郎などの像と、宇宙戦艦ヤマトの古代進などの像。鳥取県境港市には、水木しげるロードがあり、ゲゲゲの鬼太郎像など153体の妖怪の銅像、北栄町に名探偵コナンの像。島根県松江市には、はじめ人間ギャートルズのイノシシに乗ったゴンやゴンとマンモスの像。福岡県北九州市には、銀河鉄道999……などと、多数あることが分かり、観光客の増加など地域活性化に貢献していることを知り、アニメの威力に驚いた。

私はアニメより漫画の方が好きである。漫画の面白さを知ったのは、小学生低学年の頃である。ラジオは有ったが、テレビは無い時代である。子供にとって楽しみは外で遊ぶことであったが、

少年画報という月刊の漫画本を読むことも楽しい遊びの一つであった。戦後約10年の頃だから各自が少年画報を買うお金は無かった。買った友達の家に子供たちが集まりまわし読みをするのである。胸躍らせて夢中で読んだ記憶がある。

記憶に残っているお気に入りをいくつかあげると、一番目は、竹内つなよし作の「赤胴鈴之助」である。お玉が池の千葉周作の道場に入門した鈴之助は、修行に励み、手刀での「真空切り」を会得して悪を倒すストーリーであったと記憶している。ラジオで聞いた歌「剣をとっては日本一に 夢は大きな少年剣士 親はいないが元気な笑顔……」は今も覚えている。

二つ目は、白土三平作の「カムイ伝」である。被差別部落の出身のカムイは、自由を求めて剣の腕を磨き忍者となるが、抜け忍となり逃亡の日々を送る中で、支配階級である武士との戦いを通して、下級階級の人々の生きざまが描かれていた。社会の制度や権力について考えさせられた。小説とは異なる魅力を認識した漫画である。

 三つ目は、原作:ほったゆみ、漫画:小畑健、監修:梅沢由香里の「ヒカルの碁」である。1998年から週刊少年ジャンプで連載された。祖父の家の蔵で血のついた碁盤に触れたことから、平安時代の囲碁の達人藤原佐為の霊と出会う。佐為と関わり合いながら成長していくストーリーである。アニメ化もされて、囲碁を楽しむ子供を増加させ、囲碁ブームを巻き起こした漫画である。囲碁が趣味である私は、毎週少年ジャンプの発刊を楽しみにしていた。

さて、私が子供だった昭和の中期の頃は、漫画を読んでいると、親から「漫画ばかり読んでないで勉強しなさい」と言われたものだ。現代では、マンガ微積分入門(岡部恒治)、マンガ数学事典(岡部恒治)、マンガ物理に強くなる(原作:関口知彦、漫画:鈴木みそ)、日本の歴史(監修:児玉幸多)、……など、理解を手助けし、知識を得ることができる漫画がたくさんある。たかが漫画とはいえないのだ。漫画には魅力がある。



サスペンスが好きだが、歴史小説も好きだ。幕末から明治にかけてのものは、特に好きだ。魅力ある人物が交錯した時代だからなのか、時代が魅了ある人物達の交錯を手助けしたのか、ともかく小説になりうる魅力ある人物が何人も入り混じっているから面白いのである。

水戸黄門様の強烈な生き様を描いた「光圀伝」(冲方丁著)を読んだ。幼少期から藩主になるまでの生き様に深く感じるものがあった。

続いて、石油をテーマに、激動の時代を、信念を持ち貫き通した男の生きざまを描いた「海賊とよばれた男」(百田尚樹著)を読んだ。出光興産の創始者の人物の凄さに感銘すると同時に、昭和初期から太平洋戦争の戦中・戦後にかけての混乱の様子も理解できた。忘れかけていた戦後の記憶も呼び起こされ、日本の復興・発展の素晴らしさを改めて思った。

更に続いて、「命もいらず名もいらず」(山本兼一著)に出会い、読み終えた。次に読む本は、「西郷隆盛 命もいらず名もいらず」、または、「居眠り磐音江戸双紙43 徒然ノ冬」(佐伯泰英)である。2冊とも机の上に置き、いつからでも読み始められるように準備ができている。次に読みたい本があるときは、ある種の充実感がある。

「命もいらず名もいらず」は、幕末の三舟と言われた山岡鉄舟の生涯を描いた歴史小説である。剣の道・禅の道の修業に励み、自分を鍛え、人としての生き方を求め続けた鉄舟の生涯を描いており、お気に入りの本の一つになった。

鬼鉄と呼ばれた頃のこと、槍術に秀で江戸城明渡し後は徳川慶喜の護衛を務めた高橋泥舟とのこと、明治天皇の侍従を務めたこと……と、多くのエピソードに溢れており、山岡鉄舟の人となりを想像することができた。

特に、命がけで、駿府の西郷隆盛を訪ね、「江戸を火の海にしないでほしい、民を救ってほしい、人を殺すことを専一にするようでは天子の軍ではない」と西郷を見つめた。…そして、江戸城無血開城への和議をまとめた。二人で酒を飲みながら、「山岡さんの眼中には敵も味方もないようだ。命も金も名もいらない人は始末に困る。しかし、そんな人でないと天下の大事を共に語ることはできませんな」と西郷が語る展開。また、剣の道の奥義を求めて修行を続け、ついに「自分が打とうとすると、必ず形に現れる。それを察知して、先手を打つ」を会得し、「剣術の極意は風の柳かな」の心境を得て、遂に無刀流を創始するまでの展開が印象に残っている。

何かをしようとして壁に当たった時、できない理由をまず考えてしまう私には、鉄舟の信条「ただ、その時その場で全力を尽くす」は、身につけたいが容易ではないことである。鉄舟は、「国のために全力を尽くす」ということは、「人のために全力を尽くすこと」ことであり、「できることからすべてやる。それが必ず国のためになる」と信じているのである。

自分のなすことに、迷うことなく全力を尽くす鉄舟の生き方は、今の時代の人々に、いかに生きるか・生きることの意味を問いかけている。読書を通して、一つの人生をまた知った。