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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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今月の6日、昼食を外食にしようと出かけたついでに、途中にあるブックオフに行った。漫画・CD・DVDが、棚に並んでいる数の多さに驚いたが、1冊105円という本の値段にも驚いた。そして、定価の合計だと約4100円となる6冊の本を2100円で購入した。得をした気分になった。ただ、書店とは陳列の仕方が異なっているために、求めたい本を探すのに少々疲れた。

また、ノートパソコンが普及し始めた頃、定価約50万円のノートパソコンを、新機種が発売され型落ちとなるまで待って、約25万円で購入し、いい買い方をしたと満足した記憶がある。

1991年のバブル崩壊後、日本の経済は停滞し、不景気が長く続いている。少しでも物を安く買うことを願う消費者は少なくない。そこで、メーカーなど商品を提供する側は、販売競争に勝つために、物価をどんどん下げていくというデフレが続いている。しかし、消費者としては、低価格にもろ手を挙げて賛成し、喜ぶわけにはいかない。安ければいいという訳にはいかないのだ。きちんとした努力に基づいた低価格かどうか、後悔をする羽目にならないためにも、低価格の訳を知っておきたい。そこで、格安商品について考えてみる。

格安商品といえば、格安量販店・100円ショップ・アウトレット・ブックオフ・格安航空会社……等が浮かぶが、今回は格安航空会社が、いかなる工夫をして、格安航空運賃を提供できるようにしたのを調べてみた。

一つ目は、航空機の機種を絞ることである。

部品の種類が少なくなるから、まとめて多くを安く購入でき、ストックしておくことができる。機種ごとに資格が必要な整備士の養成の経費を抑えることができる。定年退職をしたパイロットを、即戦力として退職前よりも安い給料で雇用でき、パイロット養成の経費も抑えられる。

二つ目は、空港の使い方を工夫して、空港使用料を抑えることである。

飛行機を降りると、歩いたりバスに乗ったりすることは、不便ではあるが、空港ターミナルと飛行機とを連結することができる搭乗口を使用しない。国際線の場合は、郊外の空港を使用する。

三つ目は、機内のサービスを工夫することである。

座席の前後の間隔を狭めることによって、搭乗人数を増やす。食事、コーヒー、ジュース、大きい荷物の預かり、映画、毛布の貸し出しなどを、有料にすることによって、これらのサービス料金を含んでいたチケット料金より安くする。

四つ目は、チケットの購入に関する工夫である。

早く申し込むと安くするなど申し込む時期や季節によってチケット料金に差をつける。インターネットでの申し込みに限定して、人件費を抑える。

 以上述べたこと以外にも可能な限りの企業努力を積み重ねて、搭乗

 チケットの価格をきめ細かく設定することによって、トータルでの搭

 乗人数を増やし、売上金額を増やして利益を上げる仕組みを作ってい 

 ることが分かった。格安の訳を理解することができ、格安だから安全 

 性が下がる可能性があるかなという不安を解消することができた。私 

 は大手航空会社が好きだが、機会があれば格安航空にも乗ってみよう 

 かなという気持ちを持つことができた。



毎週土曜日に訪れている総合文化施設のプールが夏休みになって開かれ、にぎわっている。夏休みになり、35度前後の気温は当たり前の日が続き、涼を求めての行動でもあるのであろう。親子連れが多いようである。

夏休みになると、私には思い出すことがある。小学校3年生の時の1学期末の通信簿に、担任の先生は、「この夏休みにどこかのお寺で、座禅をしてみなさい」と書いていたのである。その頃の私は、反抗期だったのか、担任のちょっとした発言にも反発することがあった。授業にちょっとだけ関係あることを連続して質問し、授業の進行を阻止したことも度々であった。そんな私を先生は頭ごなしに怒ることは無かったのである。逆にちょっとしたことを褒めるなど、本当に優しい先生であった。座禅を勧められて以来、座禅という言葉は頭の片隅にあるが、座禅をしたこともなく深く考えたこともなかった。

山本兼一著の「命もいらず名もいらず」の影響で、山岡鉄舟の生涯が私の中に残っている。鉄舟は、幕末から明治の初めにかけて活躍した剣道の達人であるが、生涯一人も殺傷しなかった。明治維新のときには、幕府の使いとして、敵である官軍の真中に乗り込み、西郷隆盛と会って、江戸城の無血開城を相談し、江戸を戦災から救ったのである。また、鉄舟は28歳の頃には「鬼鉄」と呼ばれるほどの剣の腕前であったが、一刀流の達人、浅利又七朗と試合をした際、相手の気合いに飲まれて、手も足も出なかった。浅利の竹刀の先が眼前に浮かんできて離れない状況になった。鉄舟は精神的鍛錬の不十分なことを悟って、禅の修行に励み、得た境地によって浅利の幻影から解放された。その後さらに工夫を重ねて、無刀流を開いたのである。武士道・剣の修行には、禅の精神が生きているのである。

鉄舟の禅修行が胸に残っているこの夏休みに、座禅について考えてみることにした。

禅は、インドで生まれ、中国で育ち、日本で開花した。禅では、背筋を真っ直ぐに伸ばし、手は膝の上で軽く組み、目は自然に開き1mくらい前を見る姿勢で座禅をする。緊張を無くし・静かに・ゆっくり・深く呼吸をする。その呼吸を数え、静けさに耳を澄ます。すると、心も静かになり、気が落ち着き、心が澄んでくる。心が落ち着いて澄んでくれば、頭の働きはよくなり、仕事の能率はあがり、いいアイデアも浮かぶのである。

ある学校では、毎朝のHRの時間に、黙想をする。全校一斉に行い、いかなる人も黙想するのだそうである。黙想の後行われる授業は、心身ともに落ち着いた状態で始まるから効果は大であるという話を聞いたことがある。

座禅や静座をすると、心が落ち着いて澄んでくる。この澄んだ心が禅の心だと、江戸時代の鉄眼禅師はいっている。心が澄んでくると気分がいいだけでなく、心の働きも良くなるのだ。3~5日間の座禅をしただけでも、心が落ち着き・気が散らなくなった・集中できるようになったという研究成果がいくつも出ている。

毎日が日曜日である私だが、心が澄んだ状態であるとはいえない。

本当の自分に立ち返る時間を得るためにも、猛暑の8月だが時間を決め て10分間姿勢を正して静かに座ることを続けてみようと……。



北康利著の「西郷隆盛 命もいらず名もいらず」を読んでいる。幕末から明治にかけて、傑出した人物が多数出現した背景の一つとして教育について考えている。江戸時代の学びは、藩校・郷校・私塾・寺子屋においてが主であるが、どのような学びが行われていたのであろうか。

藩校は、各藩が有能な人材を育成する、藩士の教養のレベルを上げることを目的として設立した教育機関である。代表的な藩校としては、会津藩の日新館・水戸藩の弘道館・長州藩の明倫館・薩摩藩の造士館などがある。

郷校は、幕府や藩の経営によるものや、公的補助を受けた民間の有志による経営のものがあり、藩校に準ずる扱いを受けた。武士や一般庶民が学んだ。

私塾は、有名な知識人を先生として、教えを受けたいものが集まって発生した教育施設であり、先生が専門とする内容を教えた。代表的な私塾としては、適塾(緒方洪庵、大阪)・鳴滝塾(シーボルト、長崎)・松下村塾(吉田松陰、山口)などがあり、江戸時代後期には活動が活発となり、多くの有能な人材を世に送り出した。

10年以上も前になるが山口県萩市にある松下村塾を訪れたことがあることもあって、吉田松陰が主宰した松下村塾の史跡の記憶が蘇り、狭い部屋で熱く学んだ若者を思った。松陰は「学とは人たる所以を学ぶなり」(学ぶということは人間となる道を学ぶものである)として、事件や出来事を教材とした。高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞・前原一誠等、明治維新をリードした人物を多数輩出した。

寺子屋は、庶民の子弟に、読み書き・算盤などを教えた私設教育施設である。起源は、鎌倉時代、お坊さんが近所の子を集めて、お寺で読み書きを教えたのが始まりである。江戸時代の中期になると、商工業が発展し、社会の中で文書を必要とすることが増えて、実務教育の必要性が高くなった。庶民の間にも教育が必要であるという風潮になり、寺子屋が普及した。幕末には、寺子屋が全国に15000を超えるくらいあった。

教材には生活や商売に必要な文書や手紙などが用いられた。加えて、人間としての生き方を身につける必要から、しつけ教育も行われた。

今でいう授業料を支払うという制度は無く、先生への感謝の気持ちを、各家庭の経済力に応じてお金や、収穫した野菜を渡したりした。お金が無くても、寺子屋で学ぶことができたのである。

渡辺崋山筆の寺子屋での学習風景を描いた「一掃百態」(愛知県田原市教育委員会蔵)には、机は整然とは並んでなく向きはバラバラで、全員が先生に注目しているのでもなく、まるで現代の小学校の休み時間かと思えるようである。このような絵が何枚も残っていることから考えて、寺子屋はおおらかで和気あいあいの学びの場であったと想像できる。

明治5年に学制が敷かれたが、校舎の建設や教員養成が間に合わず、初期には寺子屋が校舎となり寺子屋の師匠が小学校の教員として採用された。(後に講習を受けて正規の教員となった)

寺子屋が、庶民の学びに果たした役割は世界に誇れるものであった。 加えて、明治維新による新しい教育体制にも貢献したのである。