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アラ還 ~ 毎日が日曜日

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独身であった頃の日曜日には、男だけの同僚7~8人で夕食を作ることが何度もあった。カレーライスを作った回数が最も多かった。料理は全員が分担した。炊いたごはんの量は忘れてしまったが、炊飯器は最大級の大きさであったと思う。カレーには、数種類のルーを混ぜて、リンゴ・ニンニク・すり大根をたっぷり入れた。私は、大根をすり下ろすことを担当した。カレーの味もさることながら、あれこれ談笑しながらの食事は、本当においしくて、皆お代わりを重ねて、食後は腹いっぱいで動けない状態になることが常であった。

結婚してからは、食事は妻に頼りきりで、料理をしたことが無い。妻が料理を作れない時がたまにあったが、全て外食で済ませた。毎日が日曜日となって、時間に余裕ができたこともあって、ここ数年は料理を覚えたいと思うようになった。新年を迎え、今年こそと思い、妻には内緒で準備を始めた。思えば、ご飯を炊いたことが無いのである。2人前のご飯に必要なコメの量はどのくらいなのか、コメを水で洗って炊飯器に入れればよいのであろうが、コメの量に対して水の量はどのくらいなのか、炊きあがるまでの時間はどのくらいなのかなど、いざ行動しようとすると分からないことばかりなのである。そこで、料理の基本がわかる本を購入した。

二人分の白米1合(180ml、ご飯茶わん2杯分)をボーロに入れて水をそそぎいれて軽く混ぜて水を捨てることを2~3回繰り返した後、ボーロに水を入れて、白米を押すようにして研ぎ、水を捨てる。次に、また水を注いでかき混ぜて水を捨てることを2~3回繰り返すと白く濁っていた水が澄んでくる。炊飯器に白米を入れて、白米の分量の目盛まで水を入れ、白米が水分を吸収するように30分くらい置いておき、スイッチを入れる。スイッチが切れてから10分くらいおいて蓋を開けて、しゃもじで大きく混ぜて余分な蒸気を逃がしておく。

炊き込みご飯を作る場合は、白米を研ぎ、研いだ後白米を30分間水にひたしておく。その間に、具の下ごしらえをする。油揚げ1枚を油抜きし、にんじんは皮をむき短冊切りにし、しいたけ2枚は石づきを取り除いて薄切りにし、鶏肉半枚は1cm角に切る。水の量は大さじ2杯分の水を取り、代わりに大さじ2杯のしょうゆ入れる。炊飯器に具を入れて普通に炊き、炊きあがったら具とご飯を混ぜ合わせる。作り方が分かったので、9日に実行した。妻と共に美味しく食べることができた。

次回は、おかずも作ろうと欲が出た。食べごろのほうれん草が畑にあることを思い、購入したばかりの料理の本をめくっていると、「ほうれん草の胡麻あげ」のレシピがあった。たっぷりの熱湯に塩をくわえて茹でた後、冷水で冷まし、まきすで絞って水気をよく切り、食べやすい長さに切る。白胡麻を鍋に入れて弱火でゴマが膨らんで香りが出るまでいる。熱いうちにすり鉢に入れ、粒が少し残る程度までする。食べる直前に胡麻の入ったすり鉢にほうれん草を入れて混ぜ合わせればよいのだ。簡単そうだ。

自分で料理をしなくても、スーパーやコンビニへ行けば弁当・惣菜をはじめ何でも売っている。しかし、いざとなったら自分でご飯を炊き、おかずを作れることは人として生きる条件ではなかろうかと思うようになったのは、年を取ったせいかも……。



学生時代、ジョークを適度にはさみながらの授業は、笑うことによってリラックスするためか集中力が高まり、授業の効果は大であった記憶がある。笑うといいことがあることは、誰しも体験で知っているのである。

特に、大阪の人は「笑い」を大切にすることは、周知のとおりである。子供の頃から何事も笑いに変える環境に育ち、訓練ができているのであろうが、大阪の人に限らず、誰しもダジャレ・落ちのついた小話・センスのあるユーモア…によって、大笑い・にんまり・微笑み…を日々楽しんでいるのである。

何かの本で読んだのか、誰かから聞いたのかはっきりしないが、機転の利いたユーモアセンスのある二つの話が思いうかぶ。

『あるパーティーで、主賓の女性が、ごまかしようのない大きなおならをしてしまった。周囲の人は笑う訳にはいかず、そうかといってなかったことにするわけにもいかず、困った。その時、ある男性が少し顔を赤らめて、「失敗しました」と軽く頭を下げた。その場は和やかな空気に包まれた。』

『東京の朝8時ころのバスでのことである。バス停ごとに多数の人が乗ってきて、車内は大混雑である。乗客は自分が降りるときのことを思って入口近くにとどまり、乗客の乗り・降りがスムーズにいかないのである。運転手は毎朝、乗り・降りがスムーズにいくように声をからしている。そんなある朝、いつものように、「皆様、お互いのためです。中の方は空いています、一歩ずつ中の方にお入りください。お願いします」と声を張り上げても乗客には一向に効き目が無い。困った運転手は、いつもと調子を変えていった。「皆様、どうぞ奥の方へお詰めください。奥までずっと100円になっております」。車内がどっと湧き、乗客はすっと奥へ詰めた。次の停留所で、若い女性が降りようとしたときには、いつもは「すみません、降ります、降ります」と、声を張り上げ人を押し分けねばならないのだが、その日の運転者は「若いお嬢さんが頼んでいます。降ろしてください。まだ結婚前の美人の娘さんです」。またもや車内はどっと湧き、出口までの通路ができた。』

お笑い芸人が活躍する年末年始のテレビ番組での笑いもいいが、この二つの話を、私は気に入っているのである。

さて、笑いの効果の医学的な面からの研究が進み、笑うとアルファ波が出て人をリラックスさせることが確認されている。そして、ストレスや疲労の積み重なりは、血管が狭くなり、新陳代謝が悪くなるが、笑うと脳から脳内モルヒネともいわれるものが出て、血管が広がり血流が良くなり、新陳代謝が活発になり、老化を防ぎ、免疫力も高まることが確認されている。

笑いには、心の底からの笑いの他に、作り笑いや愛想笑いもある。苦しい時、無理にでも笑っていると、不思議と前向きな気持ちになることができたという経験があるように、後者のような笑いにも、効果はあるという研究結果が出ていることを知った。

 今年は、家族や友人との会話で大いに笑いたいものである。



田んぼや果樹園は持っていない。農業とは縁が無い私だが、このところ、人・農地プラン、農地の集約、減反廃止、農業法人、田舎起業、……という言葉や、テレビ番組「葉っぱをお金に変えた魔法」で観た生き生きとした表情で葉っぱを取るお年寄りの表情が頭の片隅にある。

農業・林業・漁業で起業する田舎起業家が、近年増えているという。今まで田舎での起業が無かったのは、出来なかったのではなくて、やろうとする人がいなかったからではないだろうか。ところが、情報化社会となり、情報の活用が容易になった今日、市場(消費者)が、どのようなものを・いつ・どのくらい要求しているのかを、リアルタイムで知ることができるようになったのである。情報の活用と田舎の特性に目を付けて、成功した起業の一つが、徳島市勝浦郡上勝町の第3セクター(国や地方公共団体と民間企業との共同出資で設立し、事業を官民共同で行う)である「株式会社いろどり」である。

「株式会社いろどり」は、徳島市から1時間の山間地にあり、人口1840人(H25.10月現在)、約50%が高齢者の過疎地にある。起業家横石知二さんは、徳島県農業大学校を卒業して、農業指導員として上勝町に入った。起業は、もみじ・南天・柿の葉・桜と梅の枝など200種類の葉っぱを日本料理の料亭へ「つまもの」として販売することである。山にはいくらでも生えている木の葉や枝が、年間販売額3億円弱にもなるというのは、葉っぱ・花・枝は軽量だから女性や高齢者でも取り扱える商品であり、都会の消費者は質の高い日本料理文化を求める、宅急便で空輸できることなどが合わさってのビジネスである。

 

起業した横石知二さんは、様々な障害が待ち構えていたが、創意工夫と熱意で持って、一つ一つクリヤーして成功にこぎつけたのである。一つは、高齢者でも使いやすいパソコンを開発したのである。そして、パソコンを開くと、商品を出荷した市場ごとの数量・売れ行きの状況と単価・翌日の目標数量など販売データや市場の動向が分かるようにしたのである。これによって、自分が出荷した商品の売れ行き状況を知り、更に翌日どのような商品を出荷すればよいか、即ち、単価が高いものを皆が出荷すると、値崩れしてしまい利益が少なくなることを、出荷する人それぞれが考えるようにしたのである。一人ひとりの利益の金額や順位も見ることができるようにするなど、競争心を刺激したことも合わさって高齢者の意欲を引き出したのである。

地産地消という言葉があるが、地域での消費量は少ないし、地元の直売所などに商品を置くと同じような商品が並ぶために過当競争となるために利益は少なくなってしまうのではないかと、道の駅など地産品を販売する施設に入るたびに思うのである。利益を上げるためには、都会のマーケットを狙うのが方法の一つであろう。その際、都会で仕事をしていたために、都会に人脈があり、都会のことをよく知っているUターンやIターンで手に入れた人材を活用することは、田舎での起業が成功する要因の一つであろう。

高齢化・過疎・豊かな自然資源・親密な横のつながりなど田舎の特性と、情報の活用に目を付けて、創意工夫した「株式会社いろどり」は、田舎を元気にするための在り方を示唆している。それにしても高齢者にパソコンを与えたことは素晴らしい!