dada-experiment-societyの呼び掛けで2006/8/28現在で19人の参加が決まりました。(常に募集中、ページ最後の詳細あり)

                   hp完成が待てないのでここにとりあえず載せておきます。

             実際、何をするのかわからない人も参加してもらっています。(自分でもわからないんです)

                           予想通りグチャグチャしてきました。

                     誰もイカレ狂った事を書いてこなかったのが残念です笑。



                                   

 name/akarma

 age/

 sex/32/58/10

 rrr




                                name/kuze the elusive

                                     age/4649 

                                     sex/♂

                                f




                                              name/sachi

                                             age/19

                                            sex/female

                                             gf



name/dera
age/25
sex/men
drg




name/湯島なべじろう
age/49
sex/両性具有



(画像準備中。ナベ様画像が大きすぎます笑)




name/及川勇太
age/25
sex/男
fd



name/tra
age/43
sex/未分化
dffee



name/axion
age/24
sex/男
de



name/kiti
age/29
sex/女
ff



name/asa
age/26
sex/女の子
jmgh



name/eiji
age/24
sex/男
de



name/iz
age/00000
sex/machine
k



name/eman
age/ega
sex/xes
fe



name/リーズ
age/24
sex/中国女
fffa


name/ARUBA
age/24
sex/女
  
                KO

name/楓

age/log2[1048576]

sex/maybe...F?

vdf




あと4人の参加してくれているようです。
19人ですね。
画像揃って気分が向いたら、またupします。




dada-experiment-society
とはいったいどういったものか。

とりあえず名前をひも解いて見ましょう。

dada
dadaismの略称というのが一般的でしょう。

1900年代前半の芸術活動の一部ですね。
芸術活動というものがどうゆうものかというと、個人、文化それぞれで定義は違ってくると思います。もちろん定義付けなどしていないにこしたことはないのですが。
dadaがおこなってきた活動に対するリスペクトなどという意味で名前を拝借したわけではありません。
個人的影響の面でいえば、アサンブラージュ(寄せ集め、組み合わせ)のほうがよっぽどの衝撃があるわけです。
反合理主義、反道徳という根っこにあるスタイルへのオマージュといった具合です。

「理由があろうがなかろうが差別は反道徳」

experiment
実験、実際の試み。

実際の試みというのが重要でしょう。
思考は常にされているものです。しかしアイディアなんてものには多少の価値しかないでしょう。
似たような人間同士が主義主張を共有しあった末に何年たっても何も残っていない。馴れ合いだけのあのオレンジのトップページの共同体のようにするつもりはさらさらないのです。(あれなら黒の文字だけで罵声と飛ばしあう掲示板のほうが健全であったようにおもう)
先人でもあるメンバーの一人がある言葉を教えてくれました。
「新しきパラダイムを作らんとするものたちよ。固まるな、散らばれ」

私が活動を考えたとき、これを初心というのでしょうか。「既存物や既存概念の分解、分裂、分散」の文字が浮かびました。
創造でも破壊でも集合でもないのです。

なんどもいうように万物はすでにもうなにもかもやられてしまっているんです。

そこには大量の万物があります。コラージュやカットアップもある。

まとめて分解、分裂、分散させてやるのは、自分達の役目ではないかとおもったのです。(これは40年前からやられるべきことです)

society
社会

これにはとても矛盾を感じています。
自分にとって思考の枠組みの転換を個人で行うことは危険でしかないことです。
無視することが利得とされている現代ですから、ある程度の形が必要なわけです。
それは思想家と宗教団体の力関係にとてもあらわれていますね。

ただ足りないものを補いあうわけではなく、勝手にやってくれていればいいんです。勝手に考えてくれれば・・・。
形として完成されたもの、継続されているものは現在作成中のサイトにupしていこうとおもっています。

それは展示会ではありません。
素材としてです。
これも分解されることが目的です。
サンプリングでもコピーでも一片でも。

現在あるウイルスコードを利用してばら撒く事も可能なようです。
スプレッダーということになるのでしょうか。これは大きな課題ですが自分には知識がありません。
ウイルスも最近ではスパムメールに組み合わせた広告的、営利的なものがほとんどです。
オリジナルウイルスの製作者は、そのプログラムの癖や特徴から、世界中に30グループ。100~500人ほどといいます。
現在このように氾濫しているのは、スプレッダーの存在が大きいのでしょう。
すでにあるコードを書き換えて、営利目的に広告をばら蒔く。
サボタージュが目的だったオリジナル作者の意向などまったくないのが現状です。

話がそれましたね。

最後に簡単に正直に素直に言うと、せめて身の回りが綺麗で華やかで意表をつく生活環境になればという自己満足的な面も活動であるということを付け加えておきます。

賛同してくださっている方、助けてください。


dada-experiment-society@m4.dion.ne.jp akarma
参加者は上記までメールください。
自分のイメージとなってしまう画像。(形式はなんでもいいです。サイズが大きすぎなければ笑)
name/
age/
sex/
すべていい加減でかまいません。
8 ef

dada-experiment-society

とはいったいどういったものか。


とりあえず名前をひも解いて見ましょう。


dada

dadaismの略称というのが一般的でしょう。


1900年代前半の芸術活動の一部ですね。

芸術活動というものがどうゆうものかというと、個人、文化それぞれで定義は違ってくると思います。もちろん定義付けなどしていないにこしたことはないのですが。

dadaがおこなってきた活動に対するリスペクトなどという意味で名前を拝借したわけではありません。

個人的影響の面でいえば、アサンブラージュ(寄せ集め、組み合わせ)のほうがよっぽどの衝撃があるわけです。

反合理主義、反道徳という根っこにあるスタイルへのオマージュといった具合です。


「理由があろうがなかろうが差別は反道徳」


experiment

実験、実際の試み。


実際の試みというのが重要でしょう。

思考は常にされているものです。しかしアイディアなんてものには多少の価値しかないでしょう。

似たような人間同士が主義主張を共有しあった末に何年たっても何も残っていない。馴れ合いだけのあのオレンジのトップページの共同体のようにするつもりはさらさらないのです。(あれなら黒の文字だけで罵声と飛ばしあう掲示板のほうが健全であったようにおもう)

先人でもあるメンバーの一人がある言葉を教えてくれました。

「新しきパラダイムを作らんとするものたちよ。固まるな、散らばれ」


私が活動を考えたとき、これを初心というのでしょうか。「既存物や既存概念の分解、分裂、分散」の文字が浮かびました。

創造でも破壊でも集合でもないのです。


なんどもいうように万物はすでにもうなにもかもやられてしまっているんです。


そこには大量の万物があります。コラージュやカットアップもある。


まとめて分解、分裂、分散させてやるのは、自分達の役目ではないかとおもったのです。(これは40年前からやられるべきことです)


society

社会


これにはとても矛盾を感じています。

自分にとって思考の枠組みの転換を個人で行うことは危険でしかないことです。

無視することが利得とされている現代ですから、ある程度の形が必要なわけです。

それは思想家と宗教団体の力関係にとてもあらわれていますね。


ただ足りないものを補いあうわけではなく、勝手にやってくれていればいいんです。勝手に考えてくれれば・・・。

形として完成されたもの、継続されているものは現在作成中のサイトにupしていこうとおもっています。


それは展示会ではありません。

素材としてです。

これも分解されることが目的です。

サンプリングでもコピーでも一片でも。


現在あるウイルスコードを利用してばら撒く事も可能なようです。

スプレッダーということになるのでしょうか。これは大きな課題ですが自分には知識がありません。

ウイルスも最近ではスパムメールに組み合わせた広告的、営利的なものがほとんどです。

オリジナルウイルスの製作者は、そのプログラムの癖や特徴から、世界中に30グループ。100~500人ほどといいます。

現在このように氾濫しているのは、スプレッダーの存在が大きいのでしょう。

すでにあるコードを書き換えて、営利目的に広告をばら蒔く。

サボタージュが目的だったオリジナル作者の意向などまったくないのが現状です。


話がそれましたね。


最後に簡単に正直に素直に言うと、せめて身の回りが綺麗で華やかで意表をつく生活環境になればという自己満足的な面も活動であるということを付け加えておきます。


dada-experiment-society akarma














dada-experiment-society


790


タコ。


これは2つ目のステッカー。


今後の動き。

d-e-sウイルス開発。ご協力お待ちしてます。

d-e-s  hp開設。

d-e-s18000hz信号。

d-e-sラジオ(ジャックか・・・)



vd

ちょっと用事があって仕事帰り中野へ。

中央線は1ヶ月ぶりくらいでしょうか。(はやく三鷹に引っ越し直したいような別に今のとこでいいような)

中野行ったついでに、高円寺に向かう途中にある古本屋に行ってきました。

あの辺にしては珍しくサブなんちゃら周辺の本がない本屋。やけに古美術関連のおおい店です。

そういえばなんて名前なんだろう。(自分は店の名前とか覚えようとしないんです。近くに何件かあるコンビニやファミレス、コーヒー屋ともなると何がなんだか・・・・大体おなじようなもんじゃんっておもう。)


家のテーブルに重なっている読んでない本の山(小山)がすこし崩れてきたので、また積み上げてやるのです。


ふらふら店内を見回しても対した興味のわくもんがない。

amazonで買うか買うまいか迷っていた本にかなうものがなかなか見当たらず、家でnetか・・・。なんて思って均一500円コーナー目をやると・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!・・・・・?・・・・・!!!!!!!!!!!!!。


という具合。


なんとolafur eliasson の美術本とthomas damand のまであるのです。

hy

どちらもまぎれもなく500円。

「いいのか店の親父、俺は買うぞ」などと思いながらレジへ。(こうゆう個人的な掘り出しものをレジもって行くときはレコード屋でも古本屋でも少し冷静でいようと考えてしまう。)


無事レジをやり過ごし。無意味に早歩きで駅に向かう。


家に帰り本を開き「the weater project」(下の写真)を見ながら記事を書いています。

fefe

2003年にロンドンのtate modernで行われたインスタレーション。

彼が作ったのは太陽、この建物の天井にガラス張って(貼ってあるものかも)そこに小さな自分が映り込んだりもする。

建物のなかは濃い霧が散布されていたようです。

水の使い方も彼らしいです(というか代表作がこれか・・・)


こんなもんの存在を知ったのは去年の11月。原美術館に来たときですね。そのときも写真だけだったんですが、衝撃が大きくて写真売ってといってものの「駄目ですよ~」の一点張りで。

そういえばあの時、原美にはナム・ジュン・パイクの作品なんかもあった。(美術館というところは恐ろしいところだ。あらためてご冥福を)


自分はどんな場所でみる朝日よりもこの作品をみたいと思っています。






ps 今はロンドンのnetラジオを聴いています。

policeにフェードインしてバンダイクパークスなんかが流れるから国民性もなにもない放送局どとおもいますがおもしろいところです。






scanner printer。


ボタンが外れてますよ×2


無知


ナショナルジオグラフィックチャンネル


pciバス


切手を100円分ください。


philip morris。


デオドラントヒストリー


ctrl


スウェーデンのnet radioで室内楽という項目がありました。


メディア・パブ


esc


tortoiseは常に聴かないといけません。


アレンジメント、セッション


ドライヤーと炊飯器を買い換えたい。


bass


london booted


david pajo


絵ハガキは相違しているものを2枚かいます。


蜜蜂


iot



ddd


シリカゲルが気になります。

wdw


少し前から気になり始めて、なんとなく食品などに入っていると取ってあります。


透明なイメージがありますが、青やピンクもあります。

色がつくのはシリカゲルに含まれる塩化コバルトによるものだそうです。

水分を吸収するとピンクに。蒸発させると青に。

dwd

とって置いたシリカゲルが以前より赤っぽく感じたのはそのせいでした。


シリカゲルの袋に「たべられません」を表記してあるものがほとんどです。(家にはプレゼントでもらった「シリカグル たべちれません」というものもある。)


きっと何人か食べた人はいるでしょうが、すぐにモドす結果になるのは間違いないでしょう。

ピリピリと刺激が走るんですね。痛いんですね(熱い)。


やめたほうがいいでしょう。


シリカゲルをたべるとどうなるか。

一度口にした人は皆、不安で調べたくなりますね。(自分も・・・)


調べると。


4年ほど前に京東大医学部研究チームが研究していたようです。


で


この段階での結果がすごいんです。


坑ガン作用があるんですね。それも、体内に入ると徹底的に攻撃、破壊するらしいです。

もちろん予防も。

胃ガンの原因菌とされるピロリ菌を分解する作用もあるとあります。

幼少期に誤って食べて、現在胃ガンにならずにすんでいる人もいるかもしれませんね。


2002年の段階でマウス実験なので、今はどこまですすんでるんでしょう。

そのうち新薬として誰かがシリカゲルを飲むことになるんでしょうね。


要は食って悪いことはないんです。(最低でも4年前のマウス君は)

ただ刺激がとんでもない。

「たべないほうがいい」と表記するといいかもしれないですね。


dw


シリカゲルでオブジェ(オブジェとはには、なんでもないという意味があります。)をつくれば、透明から青、青からピンク。レンジで蒸発させて繰り返し。みたいなことができます。

少しおもしろそうですね。







hdがイカレタnotepcが修理から戻っていたので、最近買ったdesktop同様なんやかんやインストールしていました。

もう2時間経過していますね。


もうすでに愛着のないnoteには、可愛そうですが、プリインストールpcとして稼動してもらうことに。

自分はP2P形態のネットワークは使用していないんですが、フリーのpluginとかダウンロードすることが多くて、結構pcが痛めつけられるんです。

mp3などの不可逆圧縮のものは単に音質として嫌っているんですが、最近、可逆圧縮のFLACでダウンロードできるところがあって、これならばと笑。(音質に関しては再生する音楽にもよるところです。悪い音楽、つまらない音楽はmp3でもなんでもいいんです。音じゃなく情報として音楽を聴く分にはいいんではないでしょうか。ただ、ダウンロードしてきた音楽に対して、「これが好きなんだ」とかいうのは見てられないです。好きな音楽を作る人には投資しないと。ミュージシャンは儲かんないんだから(売名さんはしらないけど)。あっ、この辺の話は以前の記事と重複してしまうので止めにします。)


それとyoutubeと類似したものを使っていまして。(youtubeがどうかわかりませんが、サーバに対してポートを開放しなくていいので、なんとなく漏洩やウイルスの心配も他よりはすくないです。。)

どうかなーなんて思って半年前くらいからたまに使うんですが、実験映画や映像作品にも強くて割と重宝しています。(ただ、使っていると言いたくない笑)


さすがにブライアンイーノの77millionみたいなもんはないですね。

ただコピーはされてしまっているんでしょうが。

イーノのように動画としてではなく映像作品がソフトウエアとして販売されるようになれば、少し面白いのでは思います。

きっと認証とかうるさくなるとはおもいますが。そうするべきですし。


何を書いてるんでしょう。












何も考えずに書きたいことを書くから後で後悔するハメのはわかっているんですが書こうかと思います。


1980年シュミレーショニズムが流行りそんな年のあたりに生まれたからだろうか、サンプリング、カットアップ、コラージュ、ダダ、(もしかしてシュールレアもかな?)芸術や音楽、文学だけの話ではなく日常までもすべてやられてしまった現在に対して、そこに自分があることに戸惑いを感じるんです。


趣味?で音(音楽ではない)をつくっています。3人くらいに最近つくったやつを聴いてもらって。


今回のはサンプリング、フィールドレコーディングを軸にかなり時間をかけてつくりました。

音も方法も手段もそこにあったもの。

シーケンスの偶然性だけが、救いというか、なんていうか興奮できる瞬間なんです。

まったく意図してないからでしょうね。


聴かないとわからないと思いますが、つくったものをあまり聴かせる事はしたことがありません。(それでお互いが嫉妬しあえればうれしいってだけですから、そこらの友人、知人が聴いてくれれば、なんとなくいいんです。もちろん刺激はいつも受けますし。)


あきらかに音でつながった人が多々います。

でも自分は音に対して「やってやろう!」みたいなもんはないんですね。「やられてしまっている・・・・」と思うんです。


自分含む、多分今40くらいの人達までは、今までおこなわれてきた芸術、日常(ビジネスもふくんでいいんじゃないかな)を分析する世代であることはいうまでもありません。(あきらめているとかそうゆうことではなくて、分析はとても重要な役割を果たしています)


自分ら(本来もっと上の世代)が分析を続けなくては10代がまた同じことを繰り返すでしょう。

情報や資料はいくらでもあるし、全体がぼんやり均一化(統一化)されているからフラットに見据えることができます。


最近なんども書いているように、「完結」のないモノ、出来事、が現代(自分)にはとても馴染んでいるんです。




言葉は流れを止めます。広告が身近にあるので、さらにそれを感じます。

総コピーライティング時代。

一見意味のありげな遠まわしな言葉に驚くのはやめにしよう。


最近少し、谷川俊太郎がわかるようになったのは、そうゆうことだろうと思いました。






jj

昨日は、たまに会っては難しい要求をしてくる友人が家に来ていたので、なんやかんや話していました。


テーブルの上に置いてあった、「藤幡正樹:不完全さの克服 」のパンフを見ながらの話。


その友人の同級生が「メディアアートは、やってやった感が残らない」なんて発言をしていたというのを聞いて少し考えたり。


メディアアートは傍観者とのインタラクティブで成り立つものが多く、「メディアアート的」なんて言われ方をするのも、その方法や手段、目的に統一性すらあるからだと思いました。

メディアアートと聞いて、なんらかのインスタレーションを思い浮かべる自分がいるくらいですから、もはや分類されていて、音でいうジャンルの話となんら変わらないことになっているんだと思ったし、そうなってしまうと、メディアアートなんて大学の助教授みたいな連中しかやらなくなってしまうんです。


なんか書きながらイラついているんだけど、大体なににイラついているかはわかるんです。2つあって。ひとつは秘密。

もうひとつ、メディアアートで不完全さの克服が可能ならばもうアートなんて呼ばないで現実的に使っていく方向性をとればいいんです。

無理にアート的にしてしまう学生なんかは、もはや残念ですよ。

確かに岩井俊雄なんかが大手メーカー使ってやばい事持ち込んでいたりはするんですが、どうも売名行為みたく言われがちで。


メディアアート。自分は大好きです。

創る側のやってやった感。そんなのはいらないんです。(自分にとっては)

いつぞや書いた、作品を完結させてしまう事の意味(理由)の話になってしまいますね。

完成、完結した時点で、その人個人のモノになってしまうんです。


批判しているようで、自分の胸がどんどん痛くなるのは、音楽で同じことをしているからなんでしょう。


そもそもブログで書く批判的な自分の意見はすべて自分に言っているんです。


話がそれた。


完結の話。


完結させたらメディアアートと電化製品の差(これもメディアディバイドっていうのかな?)すらなくなっていくんでしょうね。

むしろそうなってしまえばいいんですが(メディアアートと呼ばれるものに対してのみ)。




こうゆう会社が存在できるのもすばらしいですね。

KAWASIMA-LAB .