先日は東京造形大学の文化祭に遊びに行きました。

友人の影山氏が在学していて、それを観に行ったわけです。


11時から影山氏の映像作品が上映されるということで、前日あまり寝ていないながらも休日の朝はやくに相原へ向かったわけです。(東京の端っこ)


電車で睡眠する予定が、抵当に家で朝カバンに入れた本(服部正のアウトサイダーアートについて書いたもの)が不適当に思え、悶々をしながら電車にゆられること約2時間、気がついたら空気に密度を感じるわけです。


そこから造形のスクールバスに乗り、山へ山へ。

途中、馬なんかがいり、不本意に伐採されたまま、10年は放置されているであろう土地が道沿いにあったり、まるで温泉にでも行くのではないかいう風景。(スクールバス内は文化祭ということもあり、しれーっとお洒落を決め込んだ学生のみで構成されているため、不釣合いではありましたが)

学校は山間に突然現れ、開かれた門にバスが入っていく様は、さも隔離病棟にでも入れられる閉鎖感。(開放的でもある)


イカレタつくりの建物はきっと山の上空からみると、要塞のように観えるのだろうと想像しながら、バスを降り、影山氏に電話するも繋がらず、一人ブラブラしていると「上映会」とかかれた看板を立てかけるところを発見したので、どうせここにいれば来るだろうと思いながら映画をみているとホントに来る。


影山氏の映像は彼らしい、面倒くさいアナロジーなもの。

とても密度がある、形容しがたいものです。

データに起こしてもらったらdada-experiment-society のサイトで紹介する予定です。


その後も影山氏の案内で校内を回り、今度は彼の写真作品展示のところへ。

r 「タガメ」という作品。きっと名前はなんでもいいのではないだろうか。


x 展示作品について曖昧な説明をする影山氏。


自分の写真ではうまく伝わらないので画像を載せるのもどうかと思ったわけですが、これはこれで乗せます。

後日こちらもサイトでしっかりと。


影ちゃんが考えた手法で創られた写真作品なので、早いとこ表に出さないと俺みたいな奴にパクラレてしまうわけです。


作品を作っている人全般に言えることで、自ら宣伝をしない様子が伺えます。

宣伝されていても方法が曖昧すぎて理解できないのですね。


レコードをジャケットで買うかと言われたら、そうではなく、視聴してかいたいですよね。

この場合、「絵」がレコードでいう「音」になりますから、ジャケットを作ってあげないといけないですね。

音だけ流れていて気にいったのに買えない。地方の垂れ流しラジオなんかにそんな傾向がありますね。


そうゆう作業をする人がいないことはもったいないことですね。

皆結構なものをつくっているのに。


そんなこんな思いながら、午後になると、毅の地元も友達なんかも現れる。

DiLDoSという浜松のサイコビリーバンドのGt,Vo。

cdをもらい聴いてみると、とんでもなくかっこいいわけです。

今年のbig runbleにも出場したようですが、そんなことはどうでもいいといった感じが相変わらずです。

xx 作品をみるDiLDoSのGt,Vo。


久しぶりの友人に会い話しができてとてもよい日でした。


またもコンプレックス作品ができそうな予感がしています。

今日はぼんやりpc前に居座ることにします。


ge

フィリップ・グラスのグラスワークス を聴きながらかいています。

多岐に渡る彼の作品の数枚しか聴いたことがないので、なにを書くでもにのですが、タイミングというかなんというかグラスの名前を頻繁に見る今日この頃なので、ついつい。


9/30にピーター・グリナウェイというイギリスの映画監督(「数に溺れて 」の人、ちなみにこのおっさんの映画音楽はほとんどマイケル・ナイマンらしい)が作成したdvdが発売される。

イギリスのテレビ局で放送されていたドキュメンタリーなのだけれど、これがすごい。

nyの前衛音楽家に焦点を当てたもの、「現代音楽ファン垂艇」という触れ込み。


現代音楽ファンのおっさんに限って「垂艇」などしないのではないかと、垂艇している自分がいる。

同時に2枚発売され1本のdvdに2人ずつ収録。


フィリップ・グラスとメレデス・モンク

ジョン・ケージとロバート・アシュリー

の2本。


ロバート・アシュリーの映像にはおそらくローリー・アンダーソンもでてくるだはないだろうか。

かっこいいおばさんである。


今日はフィリップ・グラスのお話。

ミニマルミュージックの先駆者として、テリーライリーやスティーヴ・ライヒと並んで称されることが多いようですが、とんでもないゴシップだということには何枚か聴いた人は気がつくのではないでしょうか。


グラス自身1970年代中盤でミニマリズムは終えていると語っています。


レコード屋にはミニマルと書いてある棚もあります。

微妙な4つ打ちばかりでなんでもない、暇つぶしシーケンス上でコピペしたような音楽?(塩ビのゴミ)ばかりが入っています。


クラブにいってもその「塩ビのゴミ」ばかりかけるdjは真顔でシレーとして淡々と。

なぜか大体男前。


そんな話ではないですね。

グラスの音楽の初期作品のミニマルと言われる作品でもおおきなダイナミズムを感じ取れます。

淡々と微細に高揚感を煽るタイプの音ではないですね。

ライヒもそうですが。


オルガンビートに飛ばされ、ブログを書いてる場合じゃないので終了。


ではまた。


ps

雨さん。

めぐり合う時間たち のサントラもグラスがやってます。







先日、「パビリオン山椒魚 」を観ました。

音楽が菊池成孔というだけの理由で。


富永昌敬という監督、成ちゃんとは初仕事ではないんですね。

成ちゃんのセカンドアルバム「南米のエリザベス・テイラー 」の初回特典dvdの為に「京マチ子の夜」という短編映画を製作していたりで。

成ちゃんのほうから監督に以来したようで。

以前の作品「亀虫」のdvdでは中原昌也とのオーディオコメンタリーが特典されていたり、中原からも成孔からも愛される監督。


まったくわからない。


映画自体の話、撮り方よりは流れを重視している映画。

意識が流れていく感じのものですね。


映画の登場人物の視点の移り変わりが早いのと、彼らの視点の数が増えていくこと。それに観客それぞれの視点があって、それも変化していくのは当然で。


とても楽しめる映画でした。


結果的に感想を述べるときに観た人でだいぶ変わってくると思います。

言葉が見当たらずに「難しい映画だねー」と一言。後ろの席の女が言ったのが聞こえて来ました。

もっとも懸命な感想だと思いつつも、なにか自分なりの感想を探しつつ、成ちゃんが久しぶりに作ったのではなかろうか、エレクトロニカくさい音楽が酷いということが頭をよぎりつつ。

成チャンの音楽はエレクトロニクスを取り入れるとどこかダサい。それに成功しているのは坪口 さんのほうですね。



当日は渋谷中でお祭りをしていて、その中を掻き分けて映画館にいくというかんじでした。

映画館はオダギリジョー氏のファンなのか女性だらけ。


上映時間すこし前にいったので、前方の席。横並びを観ると女性が大半を占める会場のわりに、追いやられたおっさんばかり。

その一列だけみたら、これから仁義シリーズがはじまってもおかしくない様子である。


映画が始まり、香椎由宇が出てくると「大停電の夜に 」をおもいだしたりなんかして。

あれも成ちゃんがサントラを手がけてますね。


どちらも必要とされてる人達で、そのこと自体この映画の意味がありますね。


香椎ちゃんがトレンチコートを綺麗にきていたのを見て今日トレンチコートを買ってきたり。

また黒。


それと今日は本を売りに行きました。

本屋で査定待ちしているときに、マイケル・ナイマン の 「the piano」 が350円で売っていて、購入。ありえない値段である。


あとは今週中にcdを売りに行くのです。


ものを減らそう手放そう。





こんばんわ


明日から当分仕事から何やら忙しくなります。


ライブだらけです。


9/15

masayasu tzoboguchi trio 渋谷o-nest


9/22

The shape of jazz come-new jazz 2006 新木場ageha


9/23 24 25

菊池成孔 3days 新宿pit inn


10/7 8 9

sonarsound tokyo2006 恵比寿ガーデンプレイス


10/9

dcprg 渋谷o-nest


10/29

alva noto +ryuichi sakamoto -insen- 渋谷公会堂


11/4

ジョアン・ジルベルト  東京国際フォーラム



明日の坪口trioにはじまり、11月のジョアン・ジルベルトまで、なんていい週末の連続だろうか・・・・・。

すべてはいけないのだけれど、できる限りいこう。

すべて行ったら5回 成ちゃんを拝見することになってしまう。

成ちゃんは人気者だから嫉妬してしまうのだ。


sonerは出演者がすべて決まりタイムテーブルが出ていますね。

会場を2つに分けるやりかたは変わらないようで、今回も身体が幾つあっても足りず、会場内をジタバタすることになりそうです。

2days passでもいいのですが、1日目の気分次第になりそうです。


ソナーが終わるとdcprg。

どうなんだこの連休は・・・。


少し間がありて、notoと教授。

これは誰か誘って反応があるようなら行こうかなと。いきそうなのは・・・・兄くらいか・・・。


11月のジョアン・ジルベルトは必ずや行きます。

これも同じ会場に家の3兄弟がいるような気もしますが・・・・。



ちなみに仕事もなんだか忙しいです。まだキャパはあります。


dadaーexperiment-societyのステッカーが届いていました。

入稿の際、頼んでもない白枠みたいなものがついていたので、苦情のメールを送ったところです。

さてどうなる。(これはこれでいいんだけど)


hpは週末大幅に進める予定でいます。

もちろん気持ちだけです。


ではまた



5年前の9.11。 19歳。

当時の家、三鷹で徹夜してぼーっとしている朝方にテレビをみていると速報が入ったことを覚えています。

映像を見た瞬間にノートを手に取り、報道アナウンサーの発言やその瞬間の気持ちをつずった紙切れをさっき発見しました。


2004年の9.11に発売されたウィリアム・バシンスキー のdvd[disintegration loop 1.1]にはさんでいたものです。

彼がブルックリンの自宅からそれを取撮った映像に彼の音楽をくわえたもの。


出てきた紙切れはとても丁寧な作りでした。

ひとつひとつまとめようとしている様がうかがえます。


なんども同じことを書いていて。

1日中テレビの前で書いていたんです。


同じようなことを事をなんども。


同じようなことばかり流れてくるから。もちろんその事実に対しての事ですからそれでしかないのですけど。


次の日にもなると新聞やメディアも背景のあるものを伝えてきます。

評論家が過去を掘り下げたり。

情報は肥大しましたが書くことはすぐになく自分は日常にもどったんでしょう。


何冊か本も買いましたが、自分がノートに書いていたようなことは書いていませんでした。


3年後2004年。ウイリアム・バシンスキーの作品を見たとき、そのときの視覚の記憶が鮮明に蘇りました。

この人はもしかしたら自分と同じ目線であの風景を、それも自らのレンズ越しに見ていたのかもしれないとおもいました。


見ている・・・・・観ている。


彼を巻き込むつもりはさらさらありませんが、自分のノートの目線はとても言えたものではないです。


心から冥福を祈る相手はいませんでした。


その前の年2000年に死んだ友人に冥福を。





kaki king を聴きながら暇ができたので書いています。

プロデュースはジョン・マッケンタイヤ。


自分のアイドルは菊池成孔かジョン・マッケンタイヤか。みたいなところがあります。(川瀬智子もか?!)


ジョンといえば、tortosise の未発表音源やらなんやらのcd,dvd box的なものが先月発売されましたね。

A Lazarus Taxon

ontonson で購入しようとしたところ完売。タワレコもユニオンもhmvも完売。そのときはamazonでさえ完売。


輸入されないなら直接買ってみようとおもい、Thrill Jockey から購入・・・・・。していたことを忘れて今日に至ります。

tortoiseだけ買ったつもりが、frequency という(ジャズとジャンクのかわいいみたいな音)のcdが2枚。

Archer Prewitt のcdが一枚。(家に持っているものとおなじものだ・・・・)

まさか間違えてショッピングカートに入れたのかな?と思いつつ心配になり自分のカード会社hpで請求額をみると、どうみてもcd1枚分である。

なにかの間違いかサービスか、うれしいやらなにやら。

日記でした。

また直接たのでみようかなと思わせる出来事でした。







fe

「夢の引用:武満徹 映画音楽作品集」が9/6に発売されていたものを、ようやく今日買ってきて聞いています。

その辺の雑誌よりも愛読しているタワレコのフリーペーパー「intoxicate」がやってるレーベルからでていて、武満さんといわれれば買わずにいられないわけです。


武満さんといっても、再発モノではないんです。

鈴木大介 (ヤバイギタリスト)、ブラントン・ロス(Gt,Vo。アルステッド・デベロップメントなんかともやっていたらしい。懐かしい・・・)、ツトムタケイシ(インプロ人気ベーシスト)3人のパフォーマンス。


もう一つ。

boycott rhythm machine Ⅱ  versus

やっと買いました。

裏表紙がダサいので買わない気でいましたが、よく見ると菊池成孔(成ちゃん)以外のも南博吉見征樹 なんかもいる。

これではDCPRG VS 最近のヤバイ若者である。


まだ見てないので楽しみです。









個人的news

菊池成孔×茂木健一郎 (9/5 銀座apple store


成ちゃんも茂木ちゃんも見るのは3回目。おしゃべりな二人はどうなつことやら。




本題


驚くべき仮設によれば、あなた、あなたの喜びや悲しみ、あなたの記憶、
あなたの野心、個人のアイデンティティ、自由意志などは、
実際には神経細胞とそれに関連する分子の集合体にほかならない。
(Francis Harry Compton Crick)

彼女が見つけて気にいってた言葉。


少し調べたらフランシス・クリックという人は生物学者のおじいさん。

意識がナゼ、脳から伝達されているかなんかを調べている(た?)人です。


喜び、悲しみ、記憶、野心、アイデンティティ、自由意志。


通常人が持ち合わせるもので、それによって悩まされるものですね。


哲学やその他学問が、長年取り組んできたものでもあります。。

それぞれがおそらく何らかの形で結論づいてはいるんでしょうね。


「私とは何か?」


そんなことも結論づいているんです。


知りたいでしょう。


「私とはなにか?」


考えることもしない人もいるかも知れませんね。


しかし上記の一行を読んで、「私は考えている」という人がほとんどではないでしょうか。


ただそれは単的な考えですね。


常にそれが意識にある人は少なくて、何かを行っている時、何かに向かっているとき、何もしていないことに気がついたとき。


そんなところでしょうか。自分はそんなところです。


ところで「私とは何か?」


答えは「前頭連合野のメモリの働きがあなたです。」


すっきり。


脳の前方にある前頭連合野。(安易な名前である。)ここを操作することで「私」が変化するそうです。


なんだか理系的な考え方だと、批判をする文科系が多々いるでしょうね。(自分は工業系・・・・都市系にしよう。)

「私」や「意識」は脳だけの占有物ではないとか。

宇宙とか、神とか、自然とか・・・・・大事ですね笑


ただ、私はアール・ブリュットに触れるうちに、すべて脳内だけの話かもしれないなんて思い始めたんです。

アール・ブリュットと呼ばれる芸術を作る?人達は、もともと我々のように日常を過ごしていた人もいますね。

なにかの原因で精神障害になったり、傷を負ったりして、今に至るわけです。

彼らはまったく変化してしまったわけです。

見えるもの、聞こえるもの、触れたもの。すべての感覚は前頭連合野のワーキングメモリーの働きです。


なにかに信仰心がある人。なにがあってもそれと共にある人。信じている人。

あなたの脳にメスを入れれば、その世界は変化、もしくはなかったことになるでしょうね。

外のものを認識していたんではなく、あなたの頭の中だけにあったものです。


傷一つついただけで、信仰も「私」もかわってしまうんです。

傷という言い方はよくない。信号にしよう。


信号一つで変化する。


「私が私でなくなるような気がする」

変化も「私」の中の話。「私」の変化に気がつくのは「私」ではないんです。それは周囲の変化とでもいうんですかね。

こんがらがってきた。


どっかの学者が「感情は科学物質」といった。

感情を感じるプロセスがわかれば、コントロールができるとも言っている。


あっこんな時間だ。