4T

 前回書いたシスコでのセールで購入したものは、すべて2から3年前のインストものである事にきがついたのだけれども、その頃は殆んどインストしかきけなかった。

歌やライムやポエトリー、シャウトみたいなもんがあんまり好きではなかったんでしょうね。ナンパなもんが多いし。それ以外にもミックスしてると制限されやすいのが歌ものだったってのもあるでしょうね。ミックスに関しては気がみじかいのか次々いきたいほうだし。スクラッチするとボーカルかぶってウザイのです。

偏った音楽の聴き方してたのも原因なんだけども・・・。

歌を聴き始めたのは中学1年以来とかじゃないかと最近おもったのだけれども、パンクとかハードコアみたいなもんばっかり聴いて高校過ごしたから、もう歌の意味なんてどうでもいいわけ。

資料的なもんはその頃から好きだったから、バンドがなに言いたいのかとかわかって聴いてるんだけど、リアルじゃないわけです。

高校の頃のほうが偏ってたんだと今思うのだけれど、情報源がないわけです。当時は。ネットもないし、ろくなcd屋もない。

仙台まで電車で行って何件か回るしかない。

ハードコアとヒップホップが隣あってる店があって、もうそこのpopしか情報源がないくらい。

クラブもないし、音楽聴く先輩なんかもいなかったわけです。


なんだか思い出話。


で

fivedeez.。

みんな大好きfatjon、paserock,sonic,kyleの4人組ですね。

もともとは今はなきrawkusレーベル集めてる時にhi-tecとかjロウルズなんかとやっててその中に混じってたから買ったくらいの感じなんだけども、持ち歩き用のレコードケースから出せない存在になっているのです。

そういえば、ファットジョンとソロモンのrebel cliqueが最近やけにいいのです。


それにしてもfatjonは日本人であるとおもう。音が日本人的過ぎてそれが少し嫌なんだけど、そうゆうものをどっから感じるかわからないから否定的になれない。

日本すきだろうな、この人。

日本にきたミュージシャンは日本をおもしろがっていくことが多いですね、そういえば。(都市にかぎる)

日本に移住する人は少ないけど。

fatjonもドイツに移住したという、エレクトリックなアルバムができたのは単純にそのせいだろうか。

それにしてもドイツのイメージを音楽だけで触れるとひどいもんだ(自分のイメージね)。

ビール、ジャガイモ、ソーセージ、旧エレクトリック。

もっと土着的な音楽は存在してるんだけど、この前日本でやったドイツフェスなんかもほんとあんなんでいいのかというイベント。誤解してしまうよ。

headz佐々木敦は褒めてたけどw

日本のイベントですって、タイでコスプレフェスをやるくらいのもんと思っといたほうがいいんだろうな。

そんなにテクノくさい国ではないんだとおもっておきたい。


今日の一曲。

FIVEDEEZ/SEXUAL FOR ELIZABETH - TORTOISE REMIX



新宿シスコが7月31日をもって閉店する。

自分が東京に来てから5年くらいたつけど、やっぱりレコード屋はなくなっていく。

hotwax、ラフトレード、アサノ等。

新宿シスコは専門学校の頃、よく足を運んでいたのだけれど、商品、店舗の質が落ちているのは感じていた。専門のとき3年前くらいは、確実にいいバイヤーとライターがあそこにいた。

シスコのpopが一番信頼できた。新しい音楽を知る上で丁寧なレーベルわけと一枚逃さず書いてある商品説明が当時はあった。

でもあるときをきっかけに変化しないレコード屋になってしまったわけです。

以前はレコ屋にホント毎日行っていたから、入荷があったかないか即わかるわけです。

入荷があっても、どこでも扱う商品ばかりでおもしろくなくなってしまい、あまりいかなくなってました。

それでも新宿に行くとふらっと寄ることがあって、毎回幻滅するわけです。

新商品はただ並べられ、曖昧なライナーのみ。視聴するもヘッドホンが片ch壊れていてほったらかし。

店員の音楽知識はクソ以下。

雑然とする店内。3年前の誰かも知らないミックステープ。

売れるものは置いて置くではいけない。

以前

新宿シスコは込み合っていて、視聴なんてあきらめていたくらいだ。

今など平日の昼間いくと3人しかいない。

hotwaxもラフトレードもそうだったが・・・。

都内各レコード屋に人が減っているのは肌で感じる。レコードみるのゆっくりになったし。

第一売り切れなくなった。店になくても、ネットですぐみつかる。


レコードに限らず音楽業界があぶないっていうけど、知ったこっちゃない。いい音楽は業界のもんじゃない。

いっそ業界破滅くらいしても自費で出してくるやつらの数は変わらないとおもう。

音楽の希少価値をあげるには、今の壊滅にむかっている状況もありかもしれないですね。

we

夢の話といっても、これはつまらないほうの夢の話。要は昨日寝ながらみた夢です。

あんなに面白くないのにあんなに懸命に人に伝えようとする心境になる出来事もそうはない。

夢にも何種類もあって、無意識、意識、過去、未来、創造、その他な感じだとおもうのだけど、自分はほとんど夢をみない。よくつまらない夢の話をする人がうらやましいのです。

自分はどんなにつまらない昨日みた夢を話す人の話でもよく聞くようにしています。

しかし話を聞いた後にそれに対して質問しても帰ってこない時がおおいですね。

「昨日神社で小学の頃の俺がオムレツを踏む夢をみてさー、そのオムレツが飛び散ったんだよ、飛びちったオムレツに乗って100メートル走に参加するわけだよ」

「オムレツははやかった?」

「しらない」

「何位だった?」

「シラナイ」


こんな感じのがほとんどなわけ。

自分のまわりに一人だけ、夢を明確に話せる人がいて、それはウソを含むものかもしれないのだけれど、その人はおもしろいと感じた夢を漫画にするわけです。

その漫画では心境をしっかりとらえたリアルなものが見れるのです。

半分に折れた女がスライドして向かってくる夢の話を聞いた時、その人の目は不安でいっぱいだったわけです。

夢を安易にとらえてない証拠ですね。無意識下とはいえ自分の脳内の話でもあるわけです。

とらえ方を変えていけば、いいのです。

前記した、意識、無意識、過去、未来、その他というとらえ方がつまらないのです。


なんだか、実は話がそれています。

いいたかったのは昨日夢をみたよということなのですが。

それはもう夢というか記憶でした。

このタイプのはなかなかお目にかかれないですね。

小学の家族の話です。

名前はしらないのですが蔵王の山の中の旅館にいく途中の喫茶店の話です。

事実起きてるときもしっかり思い出せるくらい綺麗で雰囲気のある焼いた杉でできた喫茶店だったのですが、そこに実際いった時おそらく自分はトリップしていたのでしょう。

本や物語の中のようだったとは正にあのことです。

薪をわった火でいれるコーヒーには小学の自分は手を出さず、ジンジャーエールを飲んだのです。

店内は炭だらけになるので、鼻の穴が黒くなったのです。旅館で鼻かんだ時の衝撃はあまり受けませんでした。(過去に炭板工作をしたときがあったので)


夢の話


店のおっさんに「何歳?」と聞かれ、答えなかった時の現場が昨日の夢であらわれたのです。

そのとき自分は異様に猫の置物が多い店内にびびっているわけです。

そんなときに何歳と聞かれても答えれるほどの度量がなかったわけです。

猫の置物を集めたのはおっさんか奥にいる妻のような無愛想な女性しかいないわけですからね。

奥の女性が無愛想なのは自分が当時ガンバ大阪のユニフォームを着ていて、あまりにも場所にそぐはないからではないかと責任を感じていたくらいです。


店を出る際、帰りもいらしてくださいと言われたのだが、我が父幸雄はなにもいわず、翌昼に通り過ぎるわけです。何歳か答えようとしていたのに。


昨日の夢は、10年以上前のことだから店があるかもわからないけれど、単純にいってみたいものです。

カルマのような気がしてならないのです。



N


全文添付 



「音楽家たちは何に影響を受けてきたか?」というテーマのもと、Thrill Jockeyが制作した5時間半にも及ぶドキュメンタリー。

答えるのはトータス、シー・アンド・ケイクなどレーベル所属のアーティストはもちろん、マイク・ワット、ジョン・スペンサー、スティーヴ・アルビーニ、ビョーク、サーストン・ムーア、ヨラテンゴ、キャレキシコも登場!総勢112人が、レコード、ライブ、ミュージシャンなど、音の記憶をたどり、その思いを熱く語っています。
このDVDの収益金は環境保護団体グリーンピースに寄付されるとのことです。


これはやばいけど字幕がない。

w

audio-technica AT-HA20というヘッドホンアンプを購入。

ヘッドホンで音楽はあまり聴かないのだが、定位がさだまってなかったり、パン振りまくってたりするものはヘッドホンで聴いてみるとおもしろみがましたりもする。

で

これは要はヘッドホンをパワフルに、というか音を安定させてくれるようなものだ。1万くらいなので安いのだけれど、このものに対しての1万は高いと一緒にいた友人が口にしていた。

価値観の違いを感じるとうれしくなる。


音のほうははじめ驚いた。すごく明瞭になるのだ。この価格帯だったので期待は少ししかしていなかったのだけれど、低音のにごりがなくフラットになる感じ。味はない。

もの自体のノイズもほとんどなくてよくできているとおもった。


22 BCS Tokyo 2005( ビジネス・コミュニケーション・サミット)
~テレビ会議、Web会議、音声会議の最新システムを展示&デモ~


仕事で少し関わって興味をもった展示会。

要は最新鋭ではないが会議のためのシステムの紹介だ。

最新鋭でないというのは、これ以上のものをすでに知っているからで、現在、実現できる会議システムは今回紹介されるもので最新ということになるのだとおもう。

展示といってもソフトなのでそこにあるのはブースとpcとオネーチャンのみ。

会議ソフトがあらわれだしたのはコスト、時間の削減を目的とした。最近のビジネス世代の連中の考えからであるという。

自分は大手の会議の録音やマイクシステムも組んだりするのだが、確かに無駄というか決まりごとがおおいように思える。

会長の挨拶からはじまり、決算報告、時期予算案、現在の取り組みをパワーポイントでそのとき見せられただけでは、まともな質疑応答がでるわけもない。役員が会場前方に並んでいては意見のある社員も発言しずらかったりする。

このことに気ずいてるのは月刊?プレジデントの編集長だった。

この人ははじめ社員とはメールでしか会話しない。いいたい事言わせるためだ。その後挑発を続けると向こうからこちらに向かってくるという。

ちなみにダイエーの社長が同じことを各店舗の店長ずたいに「現状のダイエーについて」の意見を社員に求めたところ一件しかメールの返信はなかったという。

内容はずば抜けて鋭い視点でダイエーの危機をかいていたらしい。

この一件の返信をした店長代理に社長はその地区の支店長になるよう手配しようとしたが向こうから断ってきたという。

理由は自分より下につくことになる年功序列の人間に潰されるのが見えているからだという。

ダイエーの社長はこの発言を聞いていままでのの自分を恥じたという。

各地でダイエーが潰れたのはこの出来事があってからだ。

目先の利益より復興に着手した結果だ。


社長らしい社長だ。

fw ジャックケルアックの路上を仕事がえりの電車の中読み終えた。


ここ一ヶ月、少し無理をしていた。睡眠3、4時間というものを続けてみたのだ。

幸いなことに仕事が忙しく個人の時間を持とうとすると自然にそうゆう結果になった。

普段の生活がすでにこのようになっている人は5万といるだろうが、自分個人は6時間は睡眠をとりたい人間なのだ。2~3時間意識状態を多くとった一ヶ月は、体に害を、精神に疲労を及ぼしているのがわかる。

単純なところでタバコが極端に減り、食いたいものがヨーグルトのみ。性欲など一切ない。

脳がさえるとは、また別だが記憶が減衰しないのもわかる。

単に昨日の続きが今日というだけだからだろうが。

寝ることで休ませるという感覚は、忘れ去るという感覚だ。

忘れ去りたいような出来事がなかったのも一つあると思う。

うまくいっているというかおもしろい出来事が多かった。なんなら睡眠とらずに継続もできた。


体が疲れるのはほったらかしで構わないが、精神のほうが心配になった。

寝ることでリセットされてうまくいかなくなるのではという感覚は結局のところウツだ。

気がつきずらいが、きずいた時に遅いのはこのタイプのウツだ。


自分は基本的に低脳の部類なので、普段本を読むということにおそらくものすごい神経を使っている。

視覚と脳以外が作動しているのがわかると、すぐに集中が切れる。


だからだろうが本を読み終えるたびに、すっきりしてなにかがなくなる感覚に陥る。思考回路に線のようなものが存在するならそれが一本きれるのだ。

この線はそのとき同時進行していた他の回路線とも、つながりは持っていて、やはりなにか影響してくる。

それが今回は精神疲労だった。

気がついたときはかなり危険な状態で、音楽の中にはいっていけないのがソレを感じる一番の出来事だ。

朝はやく起きて少しは綺麗なはずの空気にもきずけなかったのを、悟らせてくれたのは最近知り合った人間だ。海と音楽が好きなその人は、色々と会話のなかの自然な言葉で物事のあり方をおしえてくれるような人なのだ。






「むかしむかしわたしがいた。すっぱだかでめをきょろきょろさせていた。いまのたいようとおなじたいようが、あおぞらのまんなかでぎらついていて、いまのかぜとおなじかぜがくさのうえをさあっとふいてきた....」

上記は谷川俊太郎によるもの。そうゆうことか。

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写真は及川禅のhpから。

「<みんなで作曲家になろう!>
(1)"作品"を創造するというあなたの意思を宣言する。
(2)ある時に、曲をスタートさせる。
(3)一定の時間、何かが起こるようにさせる(あなたの「時間の穴」の中で、
何が起ころうと構わない-それに良いところがあったか否かをわれわれに
言ってくれるために評論家がいるのだから、その部分に関しては心配しな
くてよい)。
(4)ある時に、その曲を終わらせる(あるいは、それは"ワーク・イン・プログ
レス"であると聴衆に告げて、続ける)。
(5)そういう類の事を続けられるように、アルバイトの口を見つける。 」

上記はケージの自伝のなかにあったものです。


評論家をコケにしてるんだろうか?

ケージ自らの発言に思えない安易でつまらない発言だなーとおもった。


この場合作品は物や形、記憶ではなく発言によって成立っていて、それは個人ではなりたたないものだ。

判断を評論家にまかせているところで第3者がでてくるわけだが、この人ようはものすごく対人間的だ。

対自己の場合の作品はケージにあったのだろうか。

そういえば現代音楽には「ナニナニのための作品」というものが多い。それは人ではなく動物や気温や雰囲気のためだったりする。

音楽は作曲した側に人間の創造とはまったく別の創造によって聴かれる場合がほとんどでそれを伝えたいがために安易な詩が生まれて、共有している気になっているし共有音楽はそうゆうものでもいい。共有音楽は音楽ではなく共有物に過ぎない。

音楽の表面的一体はみられていても中身はカオスだ。誰一人まじあってない。

表面的でしかないゆえ、音楽の話は中身のないものが多い。

作曲者は共有をもとめて音楽をつくるべきではない、それは安易でしかないからだ。深いとこにいてもリスナーはカオスだ。

曲がうまれたら捨てる。子を殺す親の気持ちとはよくいったものだ。

共有するうれしさという感覚はなくしたほうがいい。

音楽に関しては。

物事を考える時間(環境時間)が減少(衰退)している事にドエライ不安感を感じる最近の自分です。