op

噂どうりメチャクチャにかっこいい!

ハードサンプラーって買っても自分は使わないし、今まで買ったASRとかES1とか新品同様である。

サンプリング自体に興味がないのだとおもう。

PCに直接取り込んでそっから考えるから、ハードサンプラーで組み立てるとかまずやらない。


これの魅力的なとこはやっぱり8パラOUTできることだ。できる機材はよくあるけど、標準装備はめずらしい。まーいまさらハードに力をいれるAKAIがめずらしい。MPCしか作ってないだろ最近。

MFC(ものすごいフィルター)の後継機くらい考えてもらいたい。


これ多分買うことになるんだけど今のとこ安くて17万。相場が20万である。

来年まで待つか。

昨日小学生の頃から30回以上は見てるであろうSTAND BY MEのVHSを見ながら寝ていたわけだが、その時思った事を一つ。

VHS見ながら何度も見たストーリーに興味が湧くわけもなく寝てしまったわけだが、最後の回想シーンあたりで再び起きる。

寝てしまっている時VHSから音は流れているが音を認識しなくなる。

映画を見たまま眠り、その映画に関連した夢を見るといった事例も多少聞かれるが、実際経験(体験)した憶えがないので信用しがたい。

夢の中ではVHSの音とはまったく別の音、会話、出来事が繰り広げられる。聞こえてくる(夢で回想している)音はまったく無関係だ。

音が空気の振動そのものではなく、脳と耳のシステムによって成立っていることがわかる。

音は物理ではない証拠だ。心理で音はいくらでも変えれる。

一度目に聴いた音とそれ以降に聴く音がドンドン変わっていくのは、心理が働いているから。

記憶や想像、偶然、予想。音を聴くにあたって、本来何一つ必要ない。

それらの思考が働いてしまう事から音楽は固定概念を狂わせずらいジャンルになってしまっている。つまらなくしているのは、やっぱり毎度人間の思考でしかない。


ただ可能性も十分あって、無意識時に感じている音として捕らえている何かを再現することが意識状態で可能ならば、これは面白い。ただ再現するにあたって科学で再現してしまっていいものなのかという事柄もでてくる。

無意識共有が絡んでくるとまたまた厄介な話になってくる。

夢の音を現在に再現するのは、過去、未来、現在の情報が絡んできてしまう。

不可能って事か。

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北は北海道札幌 モエレ沼公園が今年の7月に完成していた事を昨日しった。。

イサム・ノグチの展示会があるっていうんで調べていたら、公園の完成を記念しての展示会とのこと。

ていってもこの公園すでに市民も入れます。なんせ自分を高校生の時兄弟で遊びに行っている。

今そのとき買ったモエレ沼公園ガイドなるものを読みながら書いている。(よくとってあったものだ。)

高校の頃、服が好きだったことや美術関連に興味が少しあったことからイサム・ノグチの名は知っていたのだけど、意識しだしたのは明らかに公園いってからだ。

高校の時は今とモノを見る目や感覚がまったく違ったように思うのだけど、不思議とイカレタ公園であることは感じていた。イカレタものを発見できる感覚があの時はなかったのだけれど・・・。

テトラマウンドという(今ガイドブックをみて名前を知る。)三角錐のステンレス製の物体が一番イカレテいた。

13mあるかなりデカイものなのだが、あの中心にずっといたらどっか連れてかれるだろうな。ソレくらいヤバイ代物。

子供の頃アニメをみて、「こんなのあったらいいなー」って感覚あったと思うのだけれど、アレがある感じ。

この公園自体がまーそんな感じなのだけれども。

サクラの森と命名された7つの遊具エリアがあるゾーン。子供達に混ざって遊ぶのは高校生であった自分は照れくさくてできなかったのだけれど、今でこそ子供に負け時と遊んでやりたい。なにするかわからないもの(遊具はそうであるべきかもしれないが)だらけである。子供達は楽しそうにしていたが。滑り台とか。

子供じゃないと意味ない、こうゆうものって。なんせ子供たちがこの彫刻である滑り台にじかに触れ、上がったり、滑ったりすることによって彫刻を理解するとともに、人間を、大地を、宇宙を大いに讃歌することを願って制作されたものだからだ。


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高度な質感を持つ膨大な情報量のデータを生成しそこで発生するバグ、もしくはバグ的効果を繊細且つ暴力的な美学のもとに展開するportable[k]ommunityとしての活動を行う。EYE(Boredoms/V∞redoms)、城一裕(S.W.Q.)とのユニットaeoにおいては、身体の動きを多様な音響へと変換する。ライブパフォーマンス/作品制作のみならず、芸術系大学においてのレクチャー、サウンド&レコーディングマガジン誌(リットー出版)においての連載やユリイカ誌(青土社)への寄稿などの執筆活動、また音と光による空間デザイン、 ACO (SONY MUSIC)のアルバム「irony」のプロデュースなどといったことも行っている。

上記はあるページからの抜粋。コピーってすごい。

澤井妙治と堀切潤の2人組。頭いいんですよね。この2人堀切潤氏のほうは、インタビュー見に行った感じ性格的に問題がありそうな人。理由は早口で落ち着きなかったので・・・。

最近は結構いるんだけど、ソフトウエアの製作から自らで行うタイプの人等です。

ovalやニコライ、nao tukoiなんかもソフトから作ってますよね。maxとかの原理と近いものをみんなつくるんだけど、portable[k]ommunityはちょっと違う。

体育会系である。

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この写真が作品の一つ。《S3GA mark III》とい作品です。

去年iccに展示してあった頃、友人と実際体験してきましたが、あまりの不規則性と瞬発力の悪さが少し気になりました。

あっ、この作品、3Dマウスを利用して映像と音を発生させるうちに,身体パフォーマンスへと目的がすり替わっていく作品。

右手に持っている3Dマウスを動かしたり揺らしたりすると映像と音が変化するんです。要は区間ないでマウスもって動きまくろうというもの。子供も喜びますね。一家に一台。


今音楽つくる事よりも作品つくることに興味がいっている。

プログラムがウンたらとか難しいものではなくて、もっと工業高校出身!みたいな作品だ。動かなくてもいいし、動いてもいい。音がなっても鳴らなくても。やわらかくても硬くても。目的が一切ないものを造ろうとおもう。



Transfigureさんのページを見て負けじとブログペットを飼う。

どんどん言葉をおぼえてイカレタペットになってイタダキタイ。



http://www.annsally.org/

上記はアン・サリーのhp。

ニューオーリンズの状況に関する彼女の想いはdiaryから読み取る事だできる。

火事場泥棒に対する射殺指令だけは、あきれるおもいだ。

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音楽に関してすごく飽きっぽい所が自分にはあって、それの音楽スランプと呼んでいるのだけれど、最近スランプ現るです。

音楽の生活に対する位置付け%が人より高いのは確かで、いい音楽とテンションが常に比例してる。常に。

音楽以外の事って精神くらいしか調べる気になれないし、アドリブで十分。

音楽だけは、ないと不安だし、なかったら音探すし目が見えないと同じ事だ。暗くてもみようとすれば見える。見方次第で景色が流れに変わったり、そこにガラスでもあったなら、光と反射位置次第でとんでもない光景が見える。

音楽もそこに音楽がなかったら耳で周囲の音を組み立てればおもしろかったりもする。自分は視覚と比べて聴覚の好き嫌いが激しいので、組み立てる際いらない音が氾濫しすぎている事も感じる。

言葉は音を組み立てる際、邪魔なものでソレは意味として情報をとらえてしまうからなんでしょう。

人間の声が嫌いなわけではないだけど・・・。

逆に声で人を好きになったりする。人間すべて違うし、好き嫌いは明らかにあるでしょうね。

自分の声が強弱がなく、一定のテンポで低い周波数帯のみ発せられてる事くらいしっている。聞き返されるのも慣れたもんだ。聞き返されても面倒なので2度言わない事のが多いけれども。表情にだせば十分。

自分の録音された声を聞き「うわー私こんな声なんだー!」などという発言を仕事がらよく聞くが、あれも生活に対する音の重点の置き方の違いを感じる。

鏡みて「うわー私こんな顔なんだー」とおもう人はもうあまりいないはずである。

自分の声のテンションくらい把握しておいてほしい。声質で迷惑がかかってる人もいるのだ。


そういえば、音楽ブランクの話。


なに聴いてもテンション上がらないのよ。古いもんも新しいもんも。

ジャズもプログレもエレクトロニカもクラシックも実験も・・・。実験・・・・。

ライブ体験でびっくりした事を思い出しました。

taeji sawaiのライブです。portable[k]ommunityでおなじみですね。

今はパリに移住してますが、先日チョロっと日本に来てました。半分追っかけですね。

この人なかなか音源」ださないんです。

理由は簡単でメディアがついていけないんです。

ライブ体験した人はわかるでしょうが、この人オシレーター使って、多分サイン波で出力してると思うんだけど危険を感じる事をする。極端な高周波を使用するのだ。(人間は20khzまで聞き取れるとされているがそれを超えたところに音をたしてみると体、内臓になんらかの影響がある事がわかっている。音楽の可能性その一)

極端な高周波はなんらかの形で加工され波形となるのだけど、これがすごい。

鼓膜が高周波によって揺らされるのである。耳の位置でピコピコ。これは感覚の話。

これはcdじゃできないんですね。

フォーマットが44.1khzなんで。dvd方式なら196khz 24bitまでいける。

sacdならその上も見込めますね。sacdで音源出してしまえばいいのに。

まだsacdは世に出たてですが、フォーマットの限界みたいな音源は誰もやってないんです。

まー十分だからですけど・・・。

可聴範囲を超えた音楽がこれからのテーマになりかねないですよ。


澤井妙冶さnについては気が向いたらまた書きます。いかれた人なんで。

ko これうまい。




ここ最近、ここ数日、ここ1年、ここ昔から、誰かや、誰かが生み出したものや、誰かの発言や、誰か経由や、誰かの意識に影響を受け続けている。みんなそうだ。

響かされっぱなし。

響かされほったらかし。

内面に響く。外面に出せずに、そんな愚痴を友人に吐いては忘れて、また影響がふえる。

響きが内面に閉じこもって、混ざり混沌になり、吐き出したくなる。外面ではなく、結局自分に帰ってくるむなしさみたいなもんに。

影響も生き物だってことは確かで、時間の経過(思考の経過)がたつにつれて、響きの成分(エフェクト)しか残らない。センドリターン(鮮度re短)。

影響のマスターが残らないのは、影響のマスターは結局、影ではなく実在する物質だからだ。

自分の造る音楽、自分の造るmix、自分の考えてること、自分の思うこと、自分の行動、自分の発言、自分の進み方。エフェクトがたっぷりかかった薄いマスターだ。


現状を変えたければ行動を。

何年も前から知っている方法だし、成功方になることも実証済み。

ただそれは環境を変えるって事じゃないのも、分かっている。環境が大切という意見で世の中(少なくともここ日本では)氾濫しているけれども、違うってことくらいわかる。

環境=場所、人、物、湿度、温度、感触。

環境が変わって変えれるのは環境内の話。

地方から東京になにかを変えたくて来た奴。かわったのは環境内の話だけ。

響いてくる影響の数、質は場所や物事によって変わってくるのは確かだけれど、エフェクトきった時に残るマスターは変わってない。

マスターを覆い隠したり、色をつけたり、分割したり。そのむなしい行為を実行しているのは、そのマスター自身だ。正確にはエフェクトだらけで形のわかりずらくなってしまったマスター。

最近の周りの友人との会話、行動はエフェクトにかかった味気のないものだ。まれにいる素直な人間に出会うと痛いほどマスターに響く。

最近マスターを響かされた。

んでもって、少しマスターの形が見えた。

マスターを太く。芯を太く。



今日ソムリエ田崎シンヤの公演を聞いて来たので少し。

実は田崎氏の大ファンである。

ワインがとかソムリエがとかではないのだけれど。

食への概念がはっきりしていて明確でいつも納得させられる。小難しい人でもないが深く納得できる。

とりあえず食事への否定から。

食事イコール食べる事。これは駄目。

食時イコール食べる時。これok。

うまいもんを食うだけが食ではなくて、店探すことだったり、誰と食うかだったり。

自分は同居している友人とうまいもん食いに車でいろいろ歩き回るのが好きだ。

店構えだったり、食い放題だったり、安かったり。

飛行機と一体化している友人は、大盛りなだけでわくわくすると食を語ったのが忘れられない。

最近イメチェンをしたサイコ氏も料理の概念がおもいしろいなと感じさせる料理をつくる。

泊まりに行くと食に自らの名前をつけて、S哉汁なるものを振舞うものもいる。

一度に2回飯を食う奴もいる。

山芋を自らする後ろ姿が私のトラウマになってしまっている友人もいる。

毎日弁当2個とコーラを欠かさなかった友人も、コンビニをはしごするこだわりだ。(また手料理作って食わしてね。)


まわりには食の好きな連中が多い。自分は甘いもんが好きだ。

いい環境だとおもう。

飯を楽しむ。食時。半分おもしろがってる。


で


田崎氏。

ソムリエだけにワインはもちろん各国の料理。地方の料理、酒にくわしい。土地にも歴史にも、食を知るだけで歴史のほとんどがわかるらしい。なるほどね。


我が地元岩手の地酒が辛いという事が話しにでていたが、単に辛いだけではなく魚がうまい土地だからだということ。


知人が来たので終了。続く