我が家の洗面台はYAMAHA | アルトサックスのコソ練日記

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洗面台がYAMAHA?







 








そう、我が家の洗面台は



YAMAHAです。


個人的にヤマハといえば、楽器やバイクのイメージが強いけど、まさか洗面台まで手掛けていたとは!?






蛍光灯カバーには、このような製品シールが貼ってあります。


「日本楽器製造株式会社」

これはヤマハ株式会社の前身。
通称「ニチガク」と呼ばれていました。

という事は、この洗面台は相当古い。
かなりレアな洗面台では?






という事で、ヤマハとニチガクの歴史を少し調べてみました。







元々の「日本楽器製造株式会社」を検索すると、設立は明治30年。1897年のようです。

明治…

昔すぎてうまくイメージできませんが、単純に引き算してみると

2019−1897=122年

今から122年前に、創業者である山葉さんによって作られた会社という事です。

更に10年遡ること、明治20年。

この年に山葉さんは、壊れたオルガンの修理を試みたところ、なんと自分で直す事に成功。
翌年の明治21年、自分でオルガンを作ってみたら、まさかの大成功。
明治30年に会社を作り、楽器製造業を始めるに至ったらしいです。


要約すると、

・壊れたオルガン直しちゃった
・自分でも作ってみたら完成しちゃった
・よぉーし、楽器を作る会社作るぞ〜!


山葉さん、すごい。笑




そんな山葉さんの没後も、会社は受け継がれ、1921年。年表には、ニチガク創業から24年後に、“軍用プロペラと家具の製造を開始”とあります。











プロペラ家具!?










軍用とあるので、当時、おそらく物づくりをしている企業は、ジャンル問わず、その技術を国、軍、要は戦争の為に使うよう要請されたのでしょう。



本来は音を奏で人を幸せにする楽器の製造技術が、まさか戦争に利用されるとは…



悲しい事です。
山葉さんも、後にそんな事になるとは、思ってもいなかったでしょう…。











ここまでの歴史を知ると、だいたい理解出来てきますね。

戦争という時代背景によって、オルガン製作という物づくりの技術が、全く関係の無い軍用部品の製造に活用されてしまった。

しかしその結果、会社の製造技術の分野が大きく広がり、楽器のみならず、発動機、半導体、その他様々な電子機器や自動車部品等の製品まで、事業が拡大する事になったのでしょう。 

と言う事は、YAMAHAが洗面台を作っていてもおかしくない。

これで納得です。















悲しい時代背景あっての、YAMAHAの洗面台。
その時代を乗り越えての、YAMAHAの洗面台。

そう思うと、YAMAHAのロゴ入り洗面台が、なんだか誇りに思えてきます。









そして、相当な苦難の時代を乗り越え、事業がどれだけ多方面に拡大しようとも、創業の始まりである「楽器製造業」。ここにブレが無く、今でも音楽事業がヤマハブランドのメインであること。

すごいなぁ。



















ここまで大まかに、ヤマハ株式会社、ニチガクの歴史に触れてみましたが、最後は
























山葉さんの企業のきっかけとなった、オルガンについて。「リードオルガン」と呼ばれていたようで、いわゆる「足踏みオルガン」です。

この画像が、明治20年(1887年)、山葉さんが「修理してみたら直せちゃった」という、当時のオルガンのようです。

 









「足踏みオルガン」で検索すると、



様々な機種が出てきます。








それらの中で、私が子供の頃、実際に使っていた足踏みオルガンの機種が、こちら。

1980年代です。
4歳当時、ヤマハ音楽教室に通い始めたとき弾いていたオルガンが、まさにこのモデル。

この画像は拾いもので、このモデルについて詳しく調べてもいませんが、数ある中で、幼少期に使っていたのはコレだと確信できるほど、鮮明に覚えています。

この足踏みオルガンがまだ、教室で普通に使われていた時代に生きていたなんて、わたくし、いつの間にこんな古い時代の人間になってしまったのでしょう。

もはやすっかり年寄りの気分で、今、幼少期を振り返っています。











ちなみに、本体からぶら下がっているように見える、輪っか状の金具。

これはちょうど右ひざの側面に当たるよう、設置されているのですが、これが何だったのかを思い出せません。

でも確かに、ココが右膝の側面に当たっていて、右膝の側面でコレを左か右に押して、何かをコントロールできた記憶があります。

あとで調べてみよう。



















以上、ヤマハ音楽教室で育ち、現在もヤマハ製のピアノにお世話になっている私にとって、自宅の洗面台までヤマハブランドという、さりげない喜びと密かな自慢話、でした。