誰かが得した=自分が損するわけではない

Win-Winをつくるのに不可欠な人格の一つとして「豊かさマインド」というものがある。
「豊かさマインド」とは、この世には全ての人に行き渡るだけのものがたっぷりとあるという考え方。
例えば植物とかも、一つの種を植えればたくさんの実をつけてくれるような、
本来であれば増える経済なんだから食料不足なんて起こりっこない。
けど食料不足になっているのは、一部の「欠乏マインド」を持っている人とか大企業が独占してしまうから。
その結果起きてるのが食料難に苦しむ人がたくさんいる一方で、大量の食品廃棄物が問題になるという状況。

この「欠乏マインド」は目に見えるもの以外にも持たれることが多くて。
例えば手柄を独り占めして、名誉や評判、権力もしくは利益を、サポートしてくれた人とさえ分かち合おうとしない人っている。
こういう人達は一つのパイを切り分けるときのように、物事は全て限りがあるように感じてしまっている。
だから自分以外の成功を心の底から喜ぶことはできない。
学校の成績でも、成績表にAがつく人はたくさんいても、「一番」になれる人は一人しかいないっていう風に考えちゃって、もし他の誰かが褒められたり、思いがけない利益を得たり、大きな成果を出したりすると、まるで自分が損したような気分になる。

それに対して「豊かさマインド」を持つ人は、この世の全てのものが全員に行き渡ってもなお余りあるほどたっぷりとあるということが分かっている。
だから名誉も評判も、利益も、なにかを決定するプロセスも人と分かち合うことができる。
その結果、他者とそれまで考えてもいなかった新しい、Win-Winな第三の案を生み出すことができる。

そのようなマインドを持つために、まずは第一、二、三の習慣を身につけて、個人としての喜び、満足感、充足感を得ていなければいけない。
それが得られていれば、他者の個性とか望みとか、主体性を認め、その人にとっての喜びや満足感や充足感に目を向ける余裕ができる。

Win-Winの人間関係の本質は「信頼」である

信頼というものがあれば、お互いに相手を信頼し、尊重しているから、相手がどんな人間か探る必要ないし、
心を開いてお互いに手の内をさらけ出せる。
だからお互いに何を求めているか率直に言うことができて、それを満たす、winwinになるような案を考えることに意識を向けることができる。

一方信頼がないような人とできるのは妥協だけであって、それは片方が敗者となるWin-Loseのパラダイムにしかならない。
心を開いてお互いに学ぶことも、気持ちを理解することも、創造力を発揮することもできない。

この信頼が有れば、前に少し書いた、全面的なデリゲーション(他人に任せる)ってこともできるようになる。
お互いにとってWin-Winになるような結果を考えて、そこへ向けたプロセスは基本的にお互いでそれぞれやるみたいなことができる。

信頼がないことでそれができてないなーってのがあからさまに出てるのは、
最近で言うと、「リモートワークを嫌がる上司」だなーって思った。
リモートワークになった途端に、「リモートワークでは社員が本当に仕事をしているか分からない!」みたいな不満を言っている上司はめっちゃいる。
なんかこれって「私は部下と信頼関係を築けていません。」って大っぴらに言っているようなもん。
相手を信頼してないから、細かく監視してチェックして、指図したくなってしまう。

だからまずは他人と何かをするときは、お互いに満足できる解決策を真剣に探そうとしていることが相手に伝わるまで信頼関係を築く努力を続ける必要がある。

協力したくなるシステムづくりの重要性

例えば、1000人の従業員を抱える会社が、一年の終わりに、売上成績がトップ50の人を表彰するみたいな会を毎年やっているとする。
この50人がその一年で勝者であることは明らかである一方で、残る950人が敗者となっていることも明らかな事実としてある。

もちろんこういったものがあると、俺が今度こそは50人に入ってやるー!みたいな競争意識が芽生えて頑張れるかもしれないけど、
「協力」っていうのも競争と同じくらい、あるいはそれ以上に重要で。

例えばこの表彰を、自分(達)で設定した売上目標を達成した、あるいは昨年度より売り上げを上げた人またはチームにするみたいな形にしたらどうだろう。

おそらく皆がそれぞれの望む成果を達成できるように社員同士が協力できるようになることが見込める。
そして一年の終わりにはお互いに達成した喜びを分かち合い、祝うことができるはず。

他の例をあげると、
店長が他の店員に雑用とか面倒ごとを押しつけて、自分の売上を伸ばすようなことをしている結果、店員達の接客がひどいものであるとする。
この場合、店長の給与をその人の売上ではなく、部下の店員の売り上げに連動させれば、
店長のニーズと目標は、自分の給与を上げるために、店員達が売上を上げることになって、
店員のニーズと目標と一致させることができるようになる。

このように、多くの場合Win-Winのパラダイムを作れないのに問題があるのは人ではなくシステムの方であったりする。
だから皆で協力した方が得なシステムを作ることが経営者だけじゃなくて、色んな人にとって必要。(例えば家族でボウリングに行くときは家族全員のスコアの合計が前回を超えることを目標にする、みたいな)





第四の習慣「Win-Winを考える」

信頼口座に預け入れをする

お金を貯める預金口座と同じように、
人と人との関係で生まれる信頼を貯えておくような信頼口座があるとする。
信頼口座の残高が多ければ、私は必要な時にあなたに頼ることができるし、何か失敗したりした時でもそれを引き出して補うことができる。
言葉に足らないことがあっても言いたいことを察してくれるかもしれないし、たった一言で仲違いすることもないからお互い思っていることを言えてさらにお互いの信頼が貯まっていく。

一方その残高を下げてしまう、引き出してしまう行為としては、
人を見下したり、話の途中で口を挟んだり、無視したり、気まぐれな態度をとったり、おどしたりするみたいなことが挙げられる。
こういったことによって信頼口座が空っぽの状態で接するときは、言葉一つに気を遣い、相手の顔色を伺いながら言葉を選ばなきゃいけなかったりして、地雷を踏まないよう緊張し続ける。
これでは信頼は貯まらない。

では信頼口座の残高を増やす、預け入れをするためにはどうしたら良いか。
ここでは6つ紹介されている。

1.相手を理解する
自分としては相手にとって良かれと思ってやっていることでも、相手の本当の関心やニーズと合っていなければ、預け入れどころか引き出しになってしまう。
私達の多くは自分の体験や考え方から、相手はこういうことをのぞんでいるのだと勝手に判断する傾向にある。
それでその努力が受け入れられないとせっかくの善意が拒絶されたと感じて、預け入れをやめてしまう。
でも自分はこう理解してほしいと思うように、相手を一人の人間として深く理解し、その理解に従って相手に接することが大事。

2.小さなことに気遣う
人の内面は意外と脆く傷つきやすいから、自分では大したことじゃないとおもうようなことでも、ちょっとした親切や気配りをすることは大事。

3.約束を守る
これは言わずもがなだが、そのためには「守れない約束はしない」という姿勢も大事。
本当にその約束をして守れるのかどうか、注意深く、慎重にする必要がある。

4.期待を明確にする
自分が相手に何をしてほしいか、そして相手が自分に何をしてほしいかを明確にする。
けっこう自分が期待していることは相手にもよく分かっているはずだ、相手もそれを受け入れてくれているはずだと勝手に思い込んでいることで、すれ違いが起きて、
「あれやっといてくれって言ったじゃないか!」「いや、そんなこと言ってなかったですよ!」
みたいなネガティブなやり取りになることは多い。
だから、もちろん伝える側も明確にする必要があるが、聞いた側も「〜ということで合ってる?」みたいな確認はする必要があるよね。

5.誠実さを示す
最も大切なことは「その場にいない人に対して忠実になること」
その場にいない人に誠実な態度を取れば、その場にいる人たちの信頼を得られる。
もしそこで陰口とか言ってたら、自分も影では言われているのではないかって思う。

6.引き出してしまった時には心から謝る
何か相手に自分の信頼を下げてしまうようなことをしてしまったら誠心誠意謝る。
謝ったりしたら自分が弱腰に見え、弱みにつけ込まれるかもしれないと心配になったり、周りにどう思われるかが気になったりしている人はなかなかすぐに心から謝るってことができない。
逆にすぐ謝ることはするけど口先だけで謝ってる人は結局同じこと繰り返して、反省していないのバレちゃう。
自分をしっかり持ち、内面が安定していないと、自分の非を認めることができない。

「Win-Win or No Deal」で考えろ

人間関係には6つのパラダイムがある。

1.Win-Win
双方が勝つような、どちらにとっても良いことしかない最も平和で素晴らしい考え方。

2.Win-Lose
自分が勝って相手が負ける。
学校の相対評価もそうだし、スポーツの試合もそう。
学校教育は潜在能力で評価されるわけでも、どれだけ頑張ったかみたいな本来持っている能力を存分に発揮したかどうかで評価されるわけでもなく、ただただ他の生徒との比較で決まる。
それが社会に出るまでずっと続く。
良い成績をとった人が良い大学に行けて…みたいな。
だから全力で頑張ったけど下から10番目って人と、大して頑張らずに自分の能力の半分しかだせてないけど上から5番目みたいな人だったら
後者の方が認められる。

そうやって、学校教育では周りとは競わせるくせに、「みんなと協力しなさい」とかなんとか言うけどそんなのなかなか難しいよね。
だからやっぱみんなで幸せになろうみたいな世界じゃなくて、自分が勝ってやろう、成功してやろうみたいな世界になっちゃうのかなー。

スポーツも仲間であると同時にレギュラーとかを勝ちとるかとれないかっていうパラダイムでやるのに、実際協力できた方が強いっていうけっこう矛盾したパラダイム持ってたりする。

でも人生の大半って競争ではなくて。
大体の望むことは周りの人たちと協力できるかだからWin-Loseの考えでいたら人と力を合わせて結果を出すことはできない。

3.Lose-Win
相手に「良い人」と思われたいって思い過ぎて自分の感情とか思いを抑えてしまう人。
「君が良ければいいよ」みたいな。
こういう人はWin-Loseの人の食い扶持にされてしまうんだけど、その時負けた悔しい気持ちみたいなのって消えて無くなるわけではない。
ずっとくすぶり続けて時間が経ってからもっとひどい形で表に出てくる。

4.Lose-Lose
気が強くて頑固で、我を通そうとする人同士がぶつかるとよくこうなる。
お互い負けたと思うから「仕返ししてやる」みたいな復讐心に燃えることになってしまう。

5.Win
自分が勝つことだけを考えること。
自分の欲しいものを手に入れることだけが大切。

どのパラダイムが一番良いかと言ったらけっこうケースバイケース。
スポーツの試合ではWin-Loseにしかならないし、
誰かとの関係に問題が起きて、その問題が些細なことで、お互いの関係の方がずっと大事だったら、今あるWinをとることでさらに大きな価値を損ねてしまう場合は妥協したりしてLose-Winで対処する方が良い時もあるかもしれない。
たとえば自分の子供の命が危険にさらされていたら、他人のことなんて全く考えず、頭の中は我が子を救うことだけにいっぱいになるはず。
まあLose-Loseは誰にとっても良いことないのは明らか。

でも一人では生きていけない、他人との相互依存関係の中で生きる現実の人間社会では、Win-Winが唯一実行可能な選択肢になる。

Win-Loseのパラダイムで、取引において今回自分にとって有利な取引を可能にできても、多分次回以降そことは取引できなくて結局Lose-Loseになるし。

Lose-Winのパラダイムで誰かに対して妥協したとしても、その人や会社にとっての不満は溜まっていく。

つまり先々のことを考えればどちらも勝者にならなければ結局どちらも負けになる。


そうは言ってもそんなWin-Winの関係なんて毎回作れないよって思うかもしれない。
だから第6のパラダイム「Win-Win or No Deal(取引しない)」の考え方を持つ必要がある。

充分話し合っても、双方にメリットのある解決策は見つからない場合は、お互いの意見の違いを認めて、「合意しないことに合意する」こと。
双方が勝手な期待を抱いて、後々幻滅するよりは、最初からお互いの違いをはっきりさせておいて認め合う方がよっぽど良い。

取引をしないという選択肢を持っておけば余裕を持てる。
取引をしないというのは必ずしも悪いことではなくて、引き受けて後々幻滅させることと違って信頼を落とすことはないから、
今回はWin-Winの道が見つけられなかったので取引はやめて、また別の機会もあると思うのでその時にお願いします
と言える。







今日は第三の習慣、「最優先事項を優先する」
から書きます。

優先することをまずスケジュールに入れる

まず時間管理をするにあたって、
横軸に緊急か緊急でないか、縦軸に重要か重要でないかのマトリックスで自分の活動を考える。

多くの人がありがちなのが、この第I領域のことにとらわれすぎて、この領域のことの時間の割合がどんどん大きくなって、それに支配されてしまう。
毎日次から次へと押し寄せる問題に打ちのめされてしまう。
するとストレスがたまったり、燃え尽きたりして、
緊急でも重要でもない第Ⅳ領域になんとか逃げ込むことしかできなくなる。
時間の90%が第I領域に費やされ、残りの10%は第Ⅳ領域に入ってしまって、第Ⅱ領域や第Ⅲ領域はほとんど見向きもしなくなる。

また、緊急だが重要でないはずの第Ⅲ領域の用事を緊急だから重要なのだと、第I領域の用事と思い込んでほとんどの時間を使ってしまう。
でもそれらの用事は本当は自分にとって緊急なのではなく、他者の仕事の優先順位からきているもので、早く対応してほしいと期待されていること。
その結果、八方美人に見られて周りから色んな用事を振られて振り回されたり、短絡的な視野に陥って、自分にとって重要なことをやってないから
目標とか計画を無意味に感じてしまったりする。

そこで本当に重要な領域は何かというと、緊急ではないが重要である第Ⅱ領域。
例えば人間関係を育てるとか、長期的な計画を立てるとか、体を鍛えるとか、自分のミッション・ステートメントを書くとか。
こうした活動はやらなければいけないとは分かっていても緊急ではないから、ついつい後回しにしてしまいがち。
でもここに時間をかけることができる人が充実した人生を送れる。

ではここに時間をかけるためにはどうしたらいいか?
大切なことは元々入っているスケジュールに優先順位をつけるのではなく、
優先すべきことをスケジュールに入れること

第I領域は緊急でもあり、重要でもあることだからほっといてもやらなきゃいけなくなる。
そうするとこのスケジュールを組むのに特に気をつけるのは第Ⅱ領域の緊急ではないが重要なこと。
だからまずはこの第Ⅱ領域のものをスケジュールに入れてしまう。

まずは週に一回(例えば日曜日とか)スケジュールを組む時間をとり、
そして自分の役割を明確にして、短期的な(今週の)目標を設定する。
そしてこの目標の活動を優先事項として、決まった日に先に約束ごととして決めてしまう。

その上で既に入っている約束をチェックして、自分の目標と照らしてそれらが本当に重要な活動かどうか判断し、重要であれば1週間のスケジュールに組み込み、そうでなければ別の日に移すか、キャンセルする。
(手帳買って毎週やりたい!!)

全面的なデリゲーション(他人に任せること)をする

すべてのことを達成しようと思ったら自分だけではまずできない。
他人に任せるということもしなければならない。

他人に頼むと返って時間がかかるし労力も使うからとデリゲーションを嫌がる人は多い。
自分でやった方がうまくできるからと思うかもしれないけど、他人に効果的に任せることができれば自分の能力を何倍にも生かせる。

デリゲーションには2種類ある。
一つ目は使い走りのデリゲーション。
しごとのやり方をいちいち指定して、言われた通りにやるように管理しようとする。
でもこれって結果に対する責任も自分で全部背負うことになるし、相手の成長の機会も奪ってしまうし、何より頼まれた側は面白くない。

二つ目は全面的なデリゲーション。
手段ではなく、結果を重視する。
手段は自由に選ばせ、結果に責任を持たせる。
初めはたしかに時間がかかるかもしれないけど、その時間は決して無駄にならない。

なぜなら、全面的に任せてもらえば信頼されていると人は考える。そして信頼ほど人をやる気を起こさせ、最高の力を発揮させるものはない。
初めはもちろん時間と忍耐が必要だし、信頼に応えられるレベルにまで能力を引き上げる訓練も必要。


それをうまくやるためには、任せる前に五つ明確にし、何が期待されているのかをお互いに理解しておかなきゃいけない。

一つ目は望む成果。
何を達成するかを明確にする。
ただ注意しなくてはいけないのは、それをどうやって達成するかではないこと。
手段ではなく、結果について納得するまで話し合うべき。
あとこの成果がいつまでに成し遂げる必要があるのかの期限も決めておく。

二つ目はガイドライン。
守るべきルールや基準があれば明確にする。
出来るだけこれは少ない方がいいけど、してはいけないこととか、失敗する可能性が高いこととかがあれば話しておく。
ここでも注意しておかなきゃいけないのは、してはいけないことを指摘するのであって、すべきことの指示はしない。

三つ目はリソース。
使える人員、資金、技術、組織、リソースを明確にする。

四つ目はアカウンタビリティ。
成果を評価する基準を定め、仕事の進捗の報告を求める時期、評価を行う時期を具体的に決めておく。

五つ目は評価の結果。
評価の結果として、金銭的、精神的報酬が期待できるのかとか、仕事が拡大するチャンスがあふのか、組織全体に影響する結果なのかどうかといったことを明確にする。

もし任せる相手の能力が未熟なら望む結果のレベルを下げ、ガイドラインを増やし、リソースを多めに用意し、進捗の報告を受ける機会を頻繁に設け、結果がすぐ分かるようにすれば良い。
逆に能力の高い者であればその逆にすればいい。
このように人によってこの5つをどれほど事前に与えるかを変えれば良い。






今日も七つの習慣の第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」から2つほど書きます!

何を中心に据えるかで世界の見え方は全く違う

例:今夜奥さんとコンサートに行く約束をしていたが、突然上司に呼ばれ、明朝からある大事な会議の準備のために残業して手伝ってほしいと言われた。
何を中心に据えて生きているかで、この状況の捉え方はどう違うか?

・配偶者or家族中心の場合
真っ先に考えるのは奥さんのこと。
奥さんを喜ばせるために残業を断ってコンサートに行くかもしれない。
あるいは渋々残業はするが、奥さんの落胆や怒りをどう帰ってからケアするか考えて、気が気でないまま仕事をするかもしれない。

・お金中心の場合
残業代はいくらになるだろうかとか、残業したら昇給しやすくなるかもとか考える。
収入の方が大事なことくらい妻も分かっているだろうと考え、単に電話で残業になったと事務的に伝えるだけになるかもしれない。

・仕事中心の場合
この残業命令をチャンスと捉える。
上司のウケも良くなって昇進ににプラスになるはずだと張り切る。
妻だって突然の残業命令でも嫌な顔せずに引き受ける自分を、仕事熱心だと誇りに思うはずだ、なんてことを考えるかもしれない。

・所有物中心の場合
残業代で何を買おうかと考えるだろう。
あるいは残業したら職場での自分の評価が上がるだろうなとか思うかもしれない。

・娯楽中心の場合
残業した方がいいのではないかと奥さんに言われても、残業なんかせずにコンサートに行くだろう。
夜は自分にとって、娯楽のため、遊ぶためにある。

・敵中心の場合
ライバルに差をつけるチャンスだとみる。
ライバルが会社のことなどまるで考えずに楽しんでいる間に、自分は会社のために楽しみを犠牲にし、会社の中での自分の地位を上げようとする。

・自己中心の場合
どうするのが自分にとって一番得か考える。
残業せずにコンサートに行くのがいいのか、上司の点数を少しでも稼いでおいた方がいいのかといった、この選択がそれぞれ自分にどう影響するかばかりを考える。

このように、たった一つの出来事でも視点を変えれば見え方はこんなにも違ってくる。
この例だけじゃなく、日々の決断とか、行動とか、反応とか、出来事の解釈の仕方まで全てにわたって「中心」が影響している。

筆者はこの中心には「原則」を据えるべきだと言っているが、この原則というものが一体なんなのかということがちょっと分からなかった…。
(原則=終わりを思い描いた時に大事にしたいと思ったもののことなのかな?)

役割と目標を特定する

人は誰でも人生においてさまざまな役割を持っている。
例:自分の場合
学生、インターン生、友人、兄、息子、顧客(消費者)、コミュニティ(大学、学部、サークルといった)の一員など


こういった人生での役割を明確にし、それぞれで達成したい目標を立てれば、バランスがとれ、実行しやすいものとなる。
このそれぞれの役割で、どんな存在でありたいか、どのようにその役割を果たすのか、どんなことを達成したいか、大切にしたいか、といったことを考える。

・自分がそれぞれの役割で何を成し遂げたいか少し考えてみた。
学生→興味を持ったこととか、やってみたいこととかに全部挑戦しきって、自分が何で食っていくか、どう生きていくかの方向性を納得いくものに決める。

友人→卒業後も定期的に飲みに行くような関係をつくる

インターン生→一部の人のオーバーワークによって成り立つ状態から抜け出す。

兄→干渉はあんましないけど、困った時には支えてあげられるような兄でいたい。

息子→親に会った時は「自分は充実した人生を送っています」ってことを胸張って言えるような、親が心配しなくてもいいような息子になりたい。

学部の一員→将来何したいか分からないとか、やりたいことが分からないみたいな将来に不安を抱くんじゃなくて、世の中には面白いことがたくさんあることが分かって、未来に希望を持てるような人が半分以上いる学部にしたい。









今日も引き続き「七つの習慣」から第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」というところから3つほど書きます!

終わりを思い描く

まずは自分の葬儀を想像する。
家族、友人、同僚、どんな人がその葬儀に来てくれるだろうか?
どんな弔辞が読まれるだろうか?
そして来てくれた人達にとって自分はどんな存在だろうか?
彼らの人生に自分はどのような影響を及ぼしたかっただろうか?
こういった自分の人生の終わりを思い描き、考え、それを念頭に置いて今日という1日を始める。
そうすれば自分にとって本当に大切なことに沿って今日の生き方を、明日の生き方を、来週の生き方を、来月の生き方を計画することができる。

でも多くの人は、正しいと思って歩んでいる道がそういう本当に大切なことに沿っていないことが多い。
成功のためにと様々なことを犠牲にしてきたことが、いざ成功してみたらその成功よりもはるかに大事なものだったと突然思い知らされるみたいなことはよくある。
例)仕事のためにと家族や友人のことを犠牲にしてきた結果、たとえ会社の社長や重役になれるような成功を成し遂げたしても、実は家族や友人の方が大切だったってことに気づく。

自分の葬儀でどんな弔辞を読んで欲しいか?

お金をたくさん持っていて羨ましかったとか言われたいのか
社長になれて立派だったとか言われたいのか
名声や業績について言われたいのか

どんなふうに葬儀に来てくれる人に思われたいのか?

→もちろんお金持ちになるとか、名声や業績を上げることが悪いことだとは思わないけど
でも自分は
「多くの人にありがとうと心から言ってもらって死にたい」
って思った!
そしたら他人への接し方とかも変わってくるなーと思う。

リーダーシップとマネジメントの違い

リーダーシップ→目標にフォーカスし、何を達成したいのかを考える。
マネジメント→最終的な結果にフォーカスし、目標を達成するための手段を考える。目標に向かって効率的に、うまく進むための方法を考える。

したがって順番としては
リーダーシップ→マネジメントであり、 
まずはリーダーシップで自分達が目指す場所が正しいのかを判断する必要がある。

もしリーダーシップのない状態でマネジメントにばかりにとらわれてしまうと、
いかに効率的になろうとも望んでいたものと違う結果をもたらしてしまう。
マネジメントがいくら完璧でも、リーダーシップがそもそもうまくいってなければその欠陥を補うことは決してできない。


例:方向性や目的、家族の想いといったリーダーシップより、能率・効率やルールといったマネジメントに囚われている親
→子供の話をちゃんと聞くことよりも、「これはしちゃいけない」というルールに子供が反した場合すぐに叱ってしまって抑圧した方が効率的。
→けど子供からしたら、力で抑圧された恨みは残るし、親は怖い存在になってしまうだけで、家族の関係は健全にはいかない。

また、個人の生活においてもリーダーシップは不足しがち。
自分自身が大事にしたい価値観とかを明確にする前に、目の前のことを効率よくこなすための自己管理とか、
自分のためになるか定かではない目標の達成を考えてしまう。
確かに目の前にやらなきゃいけないタスクがたくさんあると、それをいかに効率よくやるかということばかり考えてしまいがち。
私達にまず必要なのは、はっきりとしたビジョンや、明確な目的地。
それがあることによって、めまぐるしく変化する社会において、自分にとって正しい方向を示してくれるコンパスとなる。(自分の軸みたいなものに近いかも?)
そのコンパスを得るために、終わりを思い描き、自分がどんなことを大事にしたいか明確にし、リーダーシップを発揮していく必要がある。

自分の価値観と一致しない脚本を持ち続ける必要はない

第一の習慣で大事だったのは、自分の人生はたとえどんな環境や人間関係の中にいても、自分の選択次第で如何様にも変えられるから、自分の人生に責任を持つ必要があるという「自覚」だった。

その自覚を育てていくと、多くの人は自分が今生きている人生の脚本の欠点に気づく。
全く無意味な習慣、人生における真の価値とは相容れない習慣が深く根付いていたことを思い知らされる。

例えば学校で良い成績を取れば、良い大学に行けて、良い大学に行ければ良い企業に行けて安心だみたいな脚本が世の中一般にまだ残っている。(特に上の世代には)
このために私たちは「良い成績をとる」ための習慣を身につけることを強いられる。(毎日宿題をするとか)

でもこれが本当に自分の人生にとって必要な脚本か、必要な習慣かといったらそうじゃないことも多い。(もちろんそれが自分の価値観にとって大事な人もいると思うし、それが悪いというわけではないけど)

第二の習慣で終わりを思い描くことによって教えてくれるのは、そういった脚本を持ち続ける必要はないということ。
第二の習慣で重要となってくるのは「想像」と「良心」である。
自覚という土台の上に想像力と良心を働かせれば、自分自身にとって必要な脚本を書くということができるようになる。
自分のこれからの人生を想像し、良心を働かせることで自分の価値観とか大事にしたいものに沿った人生を送れるようなガイドラインを作ることができる。


今日はこの「終わりを思い描く」「リーダーシップとマネジメントの違い」「自分の価値観と一致しない脚本を持つ必要はない」という三つのテーマについて書きました!

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