なんとなくこうしたことも書きたくなるので。
説明面倒だし言葉だけだと誤解されやすいから、
あんまりこういうこと言わないんだけどさ。
私は、みんな仲良くしちゃえばいいのに。
って、ずっとそればっかり思ってました。
あまりに単純でどうしようもない想いだけど、
自分の中にある以上否定するのも違和感なのね。
ただ、みんなで愛し合えればいいのに、
って、ほんとうは思ってます。
私がこの世界でショックだったうちのひとつが、
「みんなで仲良く」ができない世界なんだということだったと思います。
どがーん!ってくらいの恐怖だった気がします。
「みんなで仲良く」しちゃいけないんだというくらいに思えてた。
誰かを好きになったら、順番をつけなきゃいけないんだ?
誰かを嫌わなきゃいけないんだ?
好きと嫌いで分けなきゃいけないんだ?
間違っているとたくさんの人に言われるもの(差別とかもね)は、
同じように嫌ってないといけないんだ?
それが「普通」らしい=そうしなきゃいけないと私はそれを思い込んだのね。
だからわりとこの辺、抑圧してきました。
みんなで仲良くできたらいいな、なんてのは非現実的なことだ、
世の中そんなに甘くない(らしいぞ)
偽善者みたい(と思われるらしいぞ)、とかってね。
受け入れられないものは、
攻撃することが正当化されてしまうことも、
すごく怖かったです。
宗教戦争にしたって差別にしたって、特定の誰かが叩かれることだって。
ただ、違ってるのを違ったままじゃいけないの?
なんで、そんなことするの?
害を加えてくるわけでもないのに・・・
子供っぽいくらいの想いかもしれないけど、
消えそうにない想いなのだよ。
消すものでもない気がしてるし。
持っているだけなら無害だし。笑
願いとしては、あるけどね。
この世界のみんなが、仲良くできたらいいのになぁなんて。
仲良く、って、べつにニコニコしてくっついてよう、ってことじゃなくって。
「違うもの」を放っておけるくらいの余裕だったり、
「違い」を豊かさとして楽しめる寛容さだったり。
否定したり攻撃したりするんじゃなく、
ただ存在を認め合えたらいいなぁっていう、
そういう自由な風通しの良い「仲良く」というか。
(ひとりは好きだし。笑)
それに私は、やっぱり人間って、
根本にまでたどって行ったら、
あるのは「愛し合いたい」だけなんじゃないかなぁと思うからさ。
物質世界であり、二極というものがあり、
これだけ「違い」の幅が大きい中で、
壊れもする肉体を持ちながら生きる中で、
それは、難易度としては高いのかもしれないけど、
だからこそ、簡単でシンプルすぎる部分を大事にしていたいと、思ったりするんだ。
世界の一人一人が
よりお互いを愛するためにのみ何かをするなら。
違いを讃え合えるようになるなら。
喜びの中で生きられるんじゃないかなぁ、なんてね。