海の水が蒸発して雲ができる。
・・・ってことは、
雲は、形を変えた海だってこと。
雲と海はつながってる。
そう気づいたとき、
その壮大さにじわりと感動したのを覚えてる。
地球上の「モノ」がすべて原子でできていると知ったときも、
やっぱり感動した。
不思議だよね。
原子レベルで見たら、
りんごも、
イスも、
ノートも、
銀河の星も、
私も、
変わらない。
同じものでできている。
そういうことを考えると、楽しくなる。
だって面白いじゃん。
違って見えるだけ。
同じもの。
でもやっぱり、違って見える(笑)
どの視点で見るかだけの違いなんだよね。
人間の肉眼の視点で見るか、
ミクロの視点で見るか。
視点を変えてしまうだけで、
バラバラだったものが、つながってしまう。
モノで感じる「ワンネス」???笑
「モノ」って、
流れの中の「一点」なんだよね。
「経過」でしかないってこと。
原子がくっついたり、
離れたりして、
その一瞬、そういう形をとっているだけ。
そして次の瞬間、形は変わっていく。
自分の身体ですらも。
原子がつくった「一瞬だけまとまってみた、ただのカタマリ」(笑)。
今たまたま私の肉体をつくっている原子はさ。
私の肉体の一部になる「前」は、
水であり、花びらであり、
クワガタであり、恐竜であり、マグマであったりしてて。
肉体を構成する原子は、数年ですべて入れ替わってしまうと言うね。
ほんと、ほんの一瞬、私の体の一部であるだけ。
私の身体の一部だった原子は、
私を離れたあと、
地球の土の一部になったり、
象の皮膚の一部になったり、
空気中を漂ったり、
地球を離れて・・・宇宙の一部になったりするんだ。
そのうち、どこかの惑星の一部になるのかも。
その逆で、どこかの惑星の一部だった原子が、
今、私の身体の一部になっているかも。
私たちの身体は、
形を変えた宇宙だね。
肉体というこの「物質」ですら、
分離しているようで、本当はひとつ。
地球という惑星とも、同じものでできている。
銀河の星とも、同じものでできている。
ただ、形を変えているだけ。
原子はさ、
そうして形を変えながら、
宇宙の始まりから今まで、
存在しているんだよね。
たとえば私の爪を作っている原子のひとつぶは。
どれだけのものを経験しているだろう?
かえるだったとき、
石だったとき、
海水だったとき。
もっともっと遡ってみる。
かえるや石や海水が存在する前から存在していた原子。
一体どれだけのものを見てきただろう?
地球の始まり・・・
その前の前の前の前の・・・
宇宙の始まり・・・
原子の歩んできた道のりをたどっていくと、
宇宙のはじまりの爆発にまで、たどり着く。
原子は、そのすべてを見てきて、知っているのかもしれないね。
私は、
原子の一つ一つって、
その記憶を覚えているんじゃないかと思ったりするの。
宇宙の、あらゆるもので在った記憶を。
地球上の、あらゆるもので在った記憶を。
その膨大な記憶と共に、今、生きていて、
そしてきっと、宇宙の「最後」も、経験していくんだ。
私たちは、ほんとうにほんとうに、
宇宙のすべてで
「在った」んだよ。
わたし達は、
その永遠の中に、
いるんだよ。