昨日の夕方、私と私の姉妹が小さい時からいつもお世話になっていた
母方の叔母が亡くなりました。
母よりも随分年上で83歳でした。
私にとっては去年日本に行った時に
叔母と再会したのが最後になってしまいました。
ここ1、2年の間「肺がん」をわずらっていたという事で
会える時にあっておきたいと思ったのが
去年だったのですが、随分元気そうだったので
あともう一度くらい会えるかなと祈りながら過ごした日々。
しかし、残念ながら
とうとう昨日逝ってしまいました。
母は7人きょうだいの6番目。
叔母を入れてすでに5人の兄姉の死を迎えています。
歳を取るという事は時にすごく残酷。
「自分自身が死に向かう」というよりも
周りの人の死を受け入れていかなければいけないから。
とても悲しい現実だけれども
人生とはそういうものだから受け入れるしかないのです。
ところで私の大好きだった叔母、
目鼻立ちがはっきりした美人でいつもちゃきちゃきした人。
彼女は一生涯結婚する事はありませんでした。
もちろん子供もいません。
若い時から自分の母親(私にとって祖母)の介護に
あけくれ、妹達の結婚の準備をし、それどころでは
なかったそうです。
でも、だからと言って誰を責める事も
自分の人生を後悔する言葉を一つも私達の前で
吐かなかった叔母。
ずーっと何十年も同じ会社に勤め
私達4姉妹にいつも気前のよいお年玉をくれ、
私達が叔母の家にいくとおいしいお寿司屋さんの
出前をとってくれた叔母。
昔からびっくりする程のヘビースモーカーで
いつも母から「お姉ちゃん、たばこいい加減やめれば?」
と言われていたけれども決してやめる事はありませんでした。
そして1,2年ほど前に「肺がん」を宣告され・・・
逆に、これだけ吸って81歳でやっと肺がんになったのもすごい!
と私達は思ったくらい!
一度「ガン宣告」をされてからというもの
叔母は自分の身の回りの家具やらなにやらすべて処分し、
さっさと介護施設に入り、笑いながら「快適やからアンタも入り。」
と私の母にも勧めていた。
すべてにおいて潔かった叔母の人生。
多くの事を学ばせてもらいました。
ところで、
私は残念ながら離れた所に住んでいる為、
最期を看取る事ができませんでした。
だからだと思うけど、
叔母の死は私にとって非常に現実味に欠ける。
最後にとっても会いたかった半面、
「もしかするとそれでよかったのではないか?」
と思ったりもしたり・・・。
だって、
「いつもの叔母ちゃん」をいつまでも
心に焼きつける事ができるから。
さようなら、叔母ちゃん。
そして、ありがとう!