以前とある団体のインタビューを受けた時の記事を転用します。

ずいぶん偉そうなことを言っています。

自己顕示欲旺盛な記事で不快に感じる方もいらっしゃるかと思います、すみませんがページを閉じてしまってください。

 

 

《プロフィール:前真治郎氏》

1967年岡山県生まれ。

1995年慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業後、機械プラントメーカーにて10年プロジェクトマネージャーとして勤めた後、コンサルタント会社に転職し、中小企業再生と従業員教育に7年従事。同コンサルタント会社の出版部門で編集長を務め、その後出版社に勤務。

縁あって2012年夏から来越。ベトナムの知人の会社で業績改善、営業指導に半年ほど従事するが顧客とトラブルをおこし退職。

その後、ベトナム人向け教育会社にてホーチミン所長を2年務め、ヘッドハンティングでフランス企業へ転身。副業でホテル経営も手がける。(BUSINESS HOTEL SAIGON)

ベトナム在住4年。

 

―ベトナムではどんなお仕事をされてきたのですか?

 

ベトナムでの仕事は現在3社目です。転職が多いのは褒められたものではないのですが、3社共に一貫して日系企業や日本人経営者に対する営業をやっています。1社目ではフリーペーパー誌の広告営業、2社目ではスタッフ教育研修会社でホーチミン所長兼営業、そして3社目の現職では工場やオフィスに対する設備管理スタッフ(食堂、清掃員、メンテナンス員など)の派遣サービスの営業をやっています。

ベトナムは法律で兼業が認められていることもあり、勤務先の許可を得て、2013年11月から21室の小さなホテルに投資し、オーナーも勤めています。

 

↓2社目の教育会社在籍時。日系企業に勤めるベトナム人リーダー層を対象としたセミナーにて。人材教育、育成はベトナムの最重要課題の一つ。

 

【ベトナムの魅力は成長のエネルギーと伸びしろ】

 

―ベトナムとの出会いを教えてください。

 

まだベトナムが注目される前の2000年のことです。ベトナムが自国の発展のためにアジア各国の技術者を集めて開催した学会に、当時勤務していた機械メーカーから参加し、「農業技術の機械化」というテーマの中の1パートを講義させていただきました。そこで出会ったベトナム人大学生たちは口々に「ベトナムをもっと豊かな国にしていきたい!」「家族を豊かにしたい!」と志を熱く語っていました。みな英語も流暢で頭もよい。「これは日本の若者は勝てるだろうか・・・」と思いましたね。街中も、あふれる人とバイクでエネルギーに満ちていました。今も変わらぬその “成長の活気”こそがベトナムの魅力であり、ポテンシャルだと思います。未成熟なところがあるのは確かですが、その分「伸びしろ」があると私は受け止めています。変化と成長を日々実感できる環境というのは、ものすごく刺激的です。

 

 

話しは少し変わりますが、近年は日本の学生のアジア志向が高まっていると聞きます。ASEANの学生と英語で触れ合ったり、人生を語り合ったりすることは、日本の学生のみなさんも刺激を受けるのではないでしょうか。


 

↓2014年日越学生交流会に先輩社会人として招待され参加。ベトナムからは日本語学科の学生が多数参加。

 

↓前氏のホテルには定期的に日本の学生が滞在し、短期インターン(1~2ヶ月)として在越日系企業で働く経験を積んでいる。中にはこれをきっかけにベトナムでの就職を決めた若者も

 

【人の成長をサポートすることに生きがいを感じる】

 

―ベトナムで働いていてどんな時に楽しさや充実感を感じますか?

 

人の価値観ってそれぞれですよね。本当の “楽しさ”というのは、その人の価値観が満たされたときに内から湧き出てくるものだと思うのです。

私は33歳で脳血管腫という命に関わる病気にかかり、九死に一生を得ました。それから「自分は人生で一体何がやりたいのだ?」

「自分のライフミッションって何だ?」

というテーマにぶちあたりました。1年ほど悶々と考えた末、自分がやりたいこと(=人生で一番大切な価値観)は、“人を教え、成長をサポートすることだ”と気付いたのです。35歳の時です。そこで一大決心し、機械メーカーから中小企業再生専門のコンサル会社に転職したのです。給料は半分以下になりました・・・

しかし、最初からうまくいくはずもなく、経営改善がうまくいった先もあれば、むしろ指導先の従業員から反発を受けたり、動いてくれなかったりと、改善が進まないケースの方が多かったように思います。

 

 

 

【理解と尊重~異国の人相手だからこそ~】

 

―なるほど、そんな状況をどう打破したのでしょうか?

 

普通に考えて、いきなり見知らぬ人(コンサルタント)がやってきて、業績などを分析して「こうすればこの会社は良くなって、みなさんの給料も上がって、幸せになります!」と声を張り上げても、「なんだこの人、偉そうに。言うこと聞きたくない」と思われたら何の変化も起こらないですよね。本当に相手に言うことを聞いてもらいたかったら、まず現場で汗水を流している相手のことをよく見て、理解し、尊重し、人間関係、信頼関係を築くことが絶対に欠かせません。これは日本でもベトナムでも全く同じです。当時の私はそこが分かっていませんでした。

 

2012年のある日、大学時代の先輩から、「ベトナムで社長をやっている知人が従業員教育を手伝ってくれる人を探しているが行って見ないか?」と誘われたのをきっかけに、12年ぶりにベトナムを訪れることになりました。

 

営業部門に配属され、張り切って日本人上司やベトナム人同僚を相手に、営業目標管理手法などを導入しようとしましたが、最初は「なんじゃそりゃ?」という反応からのスタートでした。
(↑これは実は私の大きな勘違いで、会社としてはただ営業をやってくれる日本人を探していたというだけで、従業員教育をお願いするなんて考えておらず、私が余計なお世話なことをしていたという構図です。会社を少しでも良くしたいという思いから勝手に先走ったという。お恥ずかしい限り。)

 

「よし、みんなで手分けしてこれをやろう。分担してやればすぐできるよ」

「いま忙しいから今度ね」「そんなのムダだよ」・・・と、こんな反応。

そこで、ベトナム人たちのランチの輪に無理やり加わり、覚えたてのベトナム語で挨拶することから始め、相手のことを色々と聞き、ほめたり共感したりして、とにかく仲良くなろうとしました。そして仕事の面ではまず自分が汗だくになってやってみせ、成果が少し出てきた3週間目・・・「どう?一緒にやってみない?」「前、じゃあちょっと手伝ってやるよ」と、最初の協力者が現れました。嬉しかったなあ・・・。

結局この会社では、約1年で売上を30%伸ばすことに貢献できました。あるベトナム人営業マンは、3ヶ月連続で倍々の新規客獲得を達成しました。月末の結果発表ではガッツポーズやハイタッチの渦で大盛り上がりでしたね。もちろんこれらは私だけの功績ではなく、スタッフみなの努力の結晶の数字です。

(↑実はこの会社で、広告主(お客様)の一人とトラブルを起こし…クビになったのが実情です。)

 

その後、グローバルマネジメント研究所という、ベトナム人教育・研修会社に転職し、ホーチミン所長を任せていただきました。

日系企業の多くは、ベトナム人の教育・育成に課題を抱えています。例えば、日本人の感覚で仕事の依頼をしても、途中報告もなければ、万が一トラブルが起こっても相談もない。「この前の件はどうなった?」と聞くと、「知りません。部下に指示はしておきました」そこで部下に聞くと「はて何のこと?」・・・なんてことは日常茶飯事。日本のビジネスシーンでは当たり前のルールやマナーに始まり、報連相やPDCAなどはまず通用しません。それらは日本国内における常識であって、ベトナムの常識ではありません。この「違い」に苦しむ日本人の方は多いと思います。

 

 

【相互理解、双方の変化こそが異文化コミュニケーションの活路】

 

―そういった“違い”にはどう対応したら良いのでしょうか?

 

くれぐれも誤解しないで欲しいのですが、日本人が優秀でベトナム人は劣っているという訳では全くありません。彼らは悪気なく、自分の価値観に従って行動しているだけです。むしろ冒頭で述べたように、日本人が適わないようないいところもたくさん持っています。「日本流でやれ!」と押し付けてベトナム人が従う訳ない。ここでもまず相手の常識を理解、尊重することから始めなくてはならないのです。

ですから、研修の現場ではベトナム人たちに「日本人ってあいまいで分かりにくいよね。そのくせホウレンンソウしろとか、途中経過をやたらしつこく聞いてくるよね」「うんうん」「それは何でかって言うとね・・・」という感じで、意味や目的をいちから説明してやる。一方では日本人管理者には「ベトナム人たちは、短期的視点や表面的な視点が強い人が多く、なかなかこちらの思うように仕事してくれませんよね。だからこそ日本人、上司が丁寧に意味を説明し、できるまで手を引いてフォローしてやらなくてはならないのです」と双方からの歩み寄りを強調してきました。ベトナム人だけをいくら教育しても、上司たる日本人が変わらなかったら、教育効果なんて出るはずがありません。相手(ベトナム人)に変わって欲しければ、まずこちら(日本人)が変わらなくてはならないということです。

この教育会社では、事務所探し、スタッフ探しからやりました。初めての契約が取れた時は、たった2人のスタッフと嬉し涙の祝杯でしたね。軌道に乗ってきてからは、研修先企業で、ベトナム人の顔つきが引き締まってくるのを見たり、「すごくタメになりました」という感想をもらったり、後日日本人管理者から「仕事っぷりが変わりました」と喜びの声をいただいたりするのが大きな喜びの毎日でした。

 

 

【ホテルビジネススタート。教育育成の実践の場として】

 

―副業のホテルはどのような経緯で始めたのですか?

 

2013年11月からホテル経営も始めました。東京に残してきた中古マンションを売却した資金でこのホテルに投資することにしました。実はこのホテル、立地は良いのですが前のオーナーが利益が上がらないとさじを投げて売りに出したという背景があり、改善すべき点が満載のホテルでしたので、今までの経験をダイレクトに活かせました。

最初に僕がこのホテルを購入の下見に訪れたときは、スタッフはみな暗い顔で、つまらなさそうに働いていました。受付の一人に給料を聞いたらたったの約2万円前後。しかも休みは1か月に1日とか2日とか。独身の若者がほとんどだというのに、これではもう人間らしい生活も、それこそ恋の一つもできない・・・。

「よし、まず彼らを笑顔にしよう!」ということで、完全週休1日制度を導入し、給料を2倍にする計画を練り、発表しました。もちろんタダで給料を上げる訳にはいきません。どうやったらお客さんが喜ぶか、売り上げが増え、給料が増えていくかということをあの手この手で教えて、利益が出たら昇給とあわせてボーナスをあげるようにしました。1年半が経ち、全員2倍とまではなっていませんが、およそ1.5倍の給料になりました。何よりホテルの雰囲気がすごく良くなって、休みのスタッフがホテルに遊びに来てその日仕事に入っているスタッフと一緒にご飯を食べたりする光景も見られるようになりました。もちろんすべてが順調に来た訳ではなく、苦しい時期もありました。でも今、スタッフが「前さん、前さん」と慕ってくれることに、父親になったような喜びを感じますね。


 

↓ホテルのスタッフたちと。スタッフ育成と様々な改善を経て業績は上向き。人材の入れ替わりが激しい業界だが、当ホテルではスタッフが長期定着している

 

 

 

【ベトナム人上司もいる外資系企業へ!】

 

―ADEN Servicesにはヘッドハンティングで転職されたそうですね?

 

はい。2014年8月にフランス企業のADEAN Servicesという設備管理会社から声をかけていただき、同年12月から転職して今に至ります。給料はベトナムに来て最低だった時に比べて8倍にもなりました。

ただ、今まではベトナム人は同僚か部下でしたが、ここではベトナム人の上司もいます。今まで以上にチャレンジングな環境ですが、きっとここでも大きな達成感や喜びが待っていると思うんです。結果に厳しい外資系企業ですので1年でクビ!にならないよう頑張ります。笑

 

 

【 異国の地“ASEAN”で働くポイントとキャリア形成】

 

―ずばり、“ASEANで働く“ポイントとは?

 

これからASEANで働いてみたいなと思っている方に伝えたいのは、

(1)   自分の常識を捨て、まず相手を尊重し、理解することから始めること

(2)   その中で、譲れない自分の軸を確立していくこと

の2点で、異国の地で手ごたえを感じながら生きていくために必須の要件だと言えるでしょう。相反する要素なので、どこでそのバランスを取っていくかという感覚が大切なのですが、譲れない部分のハードルを日本にいる時よりもずっと下げる必要が、私の場合はありました。

最近は、非常によいバランス感覚と強い目的意識を持った若者と多く出会うので頼もしい限りです。少なくとも、異国の地に出てきて、その国やその国の人の悪口や不平を言っているうちはまだまだダメですね。苦笑

 

―海外でのキャリア形成のためのポイントはありますか?

 

色んなパターンがありますので一概には言えませんが、少なくとも「海外で現地採用として、何年か仕事しました」というだけでは評価されるキャリアは何も築けないです。先ほど来言っているように、異文化の中で自分流のバランス感覚を磨き、何かを成し遂げたという経験こそが、日本でも通用するキャリアへと繋がっていくと思います。そうすれば、現地でのキャリアアップ転職も、外資系企業への転職も十分可能性があるでしょうね。

 

↓2年前に、自らベトナムを選んでやってきた人の交流の場として「げんさい会」(現地採用、起業家の会)を発起人として設立。2015年3月に第17回目を迎えた。登録者数は100名を越える。

 

 

【日本人の強み~家族的絆~】

 

―ASEANにおける日本のプレゼンスが下がってきているという声を時々聞きますが、ベトナムでビジネスをする上で、日本人である意味や強みってあるのでしょうか?

 

日本人の強みの一つに、家族的絆を仕事にも持ち込めることがあると思います。たとえばあなたが親なら、自分の子供が自転車に初めて乗る時、一緒に支えてあげますよね?親心を持って接し、成長を一緒に喜ぶ、そういうスタンスで部下に接することができるのが日本人の特徴であり、同時にローカル人材のマネジメントの活路ではないかと思います。逆に相手を見下したりしていると、言葉は通じなくても、必ず相手に伝わってしまいます。世界のホンダ創業者の本田宗一郎さんも、「途上国で成功する秘訣は家族的経営だ」と言っていたそうです。

そのホンダさんの南米での例ですが、毎年正月に帰省したワーカー(工場従業員)が休みが明けても多数(100人単位で)戻ってこないという事に悩んでいたそうです。ベトナムでも同じ問題で頭を悩ませている企業は多いです。きっとふるさとの居心地が良いのと、家族が引き留めたりしてたのでしょう。そこで南米ホンダでとった対策が素晴らしく心温まるものなのです!

 

その策とは、日本人社長が全ワーカーの家族宛に手書きで手紙を書いて持たせたのです。「○○さんにはいつもお世話になっています。○○さんにはこういう良い面があって、こう会社に貢献してくれています」といった内容です。するとその年の正月明けには、なんと1000人を超すワーカーさん全員がきちんと戻ってきたそうです!その手紙を読んだ両親は、自分の息子や娘が褒められて、また上司に目をかけてもらっていると知り、本当にうれしかったのでしょうね。「また行って頑張っておいで!」と送り出したのでしょう。

よくある正月休み明けの対策として、パーティーをしたり、お年玉を支給したりすることがありますが、これらはお金もかかります。一方、手紙を書くのはほとんど経費もかかりません。ただの手間ヒマだけです。プライスレスで効果絶大!

私もその話を見習って、教育会社の時にスタッフの子の親御さんにお手紙を書いたことがありました。そしたらテト(旧暦の正月)明けにお母様が自分の農園で作っているコーヒー豆を持ってわざわざ田舎からホーチミンに挨拶にやってきてくれました。笑

お正月に限らず平素からそんな関係を築いていくことが大事だと思いますが、人のために手間ヒマかけて、こういう人間関係=絆を言葉や価値観の壁を越えて築いていけるのが日本人の本来の良さであり強みではないでしょうか。

 

やっぱり海外で働く以上、異国の人たちから「ああ、日本人って素晴らしいな」と思ってもらえるような人との関わり方をしていきたいですよね。

私自身に関しては、家族のこともあり、正直いつまでベトナムにいるか分かりませんが、これからも「違い」を受け入れる自分の器を成長させながら、熱く生きていきたいと思います!
 

↓休日はホーチミンの日本人テニスサークルで汗を流す。プレーする以上にコーチ役として人に教えるのが好きという。